サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、サッカーが起こした「聖なる夜の奇跡」について。■聞こえてきた「きよしこの夜」 全欧州を巻き込ん…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、サッカーが起こした「聖なる夜の奇跡」について。

■聞こえてきた「きよしこの夜」

 全欧州を巻き込んだ「大戦争」だったが、当初はクリスマスまでは終了するだろうと軽く考えられていた。兵士たちは、その年のクリスマスには家族と一緒に過ごすことができるだろうと期待していた。しかし、この時点で誰も知るよしはないが、戦線が膠着(こうちゃく=進展せずに行き詰まる)したこともあり、戦争は4年間、2018年まで続くのである。戦争の最初の年のクリスマスが近づいたころ、兵士たちの間に早くも「厭戦(えんせん=戦争が嫌になること)気分」が広がり始めていたとしても、誰も非難できないだろう。

 そして12月24日、クリスマス・イブがやってくる。

「西部戦線」の北部、イギリス軍とドイツ軍が対峙していたベルギーあたりの戦線での出来事である。夜遅く、10時ごろになって、塹壕のなかに座っていた1人のイギリス兵がかすかな人声が聞こえてくるのに気づいた、対峙しているドイツ兵が突撃してくる声ではない。美しい歌声だった。それはドイツ語で歌う「きよしこの夜」だった。

 すでにイギリスでもクリスマスキャロルの定番になっていたこの曲は、オーストリア人のヨゼフ・モールによってドイツ語で詞が書かれ、フランツ・クサーバー・グルーバーが曲をつけたものだった。当然、ドイツのクリスマスと言えばこの曲だった。

 勇敢な兵士がイギリス側の塹壕から少し顔を出して東を見ると、ドイツ軍の塹壕の手前には小さなモミの木が立ち、ロウソクまで灯っているのが見えた。明らかに、ドイツ兵たちはクリスマスを祝っているのだ。

 やがてイギリス兵たちが英語で「きよしこの夜」を歌い始める。その声がドイツ軍の塹壕に届くと、ドイツ兵の間から大きな歓声が起こった。ドイツ兵には英語ができる者が何人もいた。彼らはドイツなまりの英語で「メリー・クリスマス! イギリス人たち」と叫んだ。その叫び声に応じるように、イギリス軍の塹壕からも「メリー・クリスマス!」の叫び声が上がった。

「こっちへ来いよ」

 ドイツ兵がそう叫んだ。

「途中まで来い、おれも途中まで行く」

1人のイギリス兵がそう応じた。

 その夜は銃声もなく、相変わらずネズミが走り回り、泥んこでジメジメとした塹壕のなかだったが、兵士たちは温かな気持ちで眠った。

■タバコと引き換えに「散髪」

 そして翌朝、ドイツ軍の塹壕を見張っていたひとりの兵士が「白旗が出ている」と声を上げた。見ていると、白旗を手にしたドイツ兵が塹壕から出て、ゆっくりとこちらに歩いてくるではないか。彼は何も武器を身につけていない。

 イギリス兵も、銃を残したまま、塹壕から出た。それを見た両軍の兵士たちが次々と塹壕からはい上がってきた。彼らは「無人地帯」で笑顔で向き合うと、握手をかわし、手にしたタバコやワインやチョコレートを交換した。あるイギリス兵は「記念にあなたの軍服のボタンがほしい」とねだり、ドイツ兵が2個のボタンをひきちぎって渡すと、自分の軍服からも2個をひきちぎり、交換した。

 イギリス兵のなかには、見習いの理容師だった若い兵士がいた。彼は数本のタバコと引き換えにドイツ兵の散髪を引き受けた。「あまりに長くて見苦しいやつがいたからね」と、彼は仲間たちに語った。

 塹壕から出た兵士たちの最大の気がかりは、「無人地帯」に放置されたままになっていた仲間の遺体だった。西部戦線では定期的に数時間の「停戦」をして互いの遺体収容作業が行われていたが、このときにもそれがまず優先された。

 そのうちどこかからか、サッカーボールが現れた。おそらく、サッカー好きのイギリス兵が戦場まで携えてきたものだったのだろう。イギリス兵がボールを蹴ると、ドイツ兵たちから大歓声が起こり、たちまちボールの回りに人が集まった。サッカーは、すでにドイツでも人気競技だった。

■賞品は「1匹」の野ウサギ

 イギリス軍の軍服のコートはカーキ色だった。ドイツ軍のコートはグレイだった。すぐに誰かがヘルメットを置いて一対のゴールをつくり、試合になった。そう広い場所ではない。プレーヤーは「両チーム」合わせて200人近くもいた。それでも彼らは一生懸命にプレーした。キックし、ヘディングし、転んで、点を取っても取られても、大いに笑った。兵士たちは幸せな気分でいっぱいだった。

 ある場所では、「賞品」まで出た。英国兵がとらえた1匹の野ウサギだった。両チームとも「賞品」を見て目の色を変え、勝ったドイツ兵たちは大喜びだった。

「試合」に加わらなかったひとりのドイツ兵が、イギリスの下士官のところに歩み寄ってきて直立すると、ドイツなまりの英語でこう話した。

「おはようございます、サー。自分は北ロンドンのアレクサンダー・ロードに住んでおります。できることであれば、明日のウーリッジ・アーセナルトットナムの試合を見たいと願っております」

 アーセナルとトットナムは、もちろん、ロンドンのライバル同士であったが、「ウーリッジ・アーセナル」は旧名称で、この戦争が始まる直前の夏、「アーセナル」に改称されていた。

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