サッカー元日本代表で、関東リーグ1部の南葛SCに所属するMF稲本潤一(45)が4日、現役引退を発表し、都内で会見を開いた。今後は指導者の道を歩むと宣言。2002年のW杯日韓大会で日本初のベスト16入りに貢献するなど、小野伸二、高原直泰ら1…

 サッカー元日本代表で、関東リーグ1部の南葛SCに所属するMF稲本潤一(45)が4日、現役引退を発表し、都内で会見を開いた。今後は指導者の道を歩むと宣言。2002年のW杯日韓大会で日本初のベスト16入りに貢献するなど、小野伸二、高原直泰ら1979年生まれの「黄金世代」を支えてきた1人が、28年のプロ生活に別れを告げた。

 ついに「黄金世代」を支えてきた一人が、ユニホームを脱ぐ決断をした。今季はケガの影響もあって公式戦出場はなし。「正直、ここ2、3年は毎年引退のことを考えていた。今年に関しては、今の自分ではチームの力になれないとすごく感じた」と決断に至る経緯を語った。

 当時の最年少記録となる17歳でプロデビューを果たし、日本サッカー界をけん引してきた。02年W杯では初戦のベルギー、2戦目のロシアを相手にゴールを決め、日本初の16強入りに貢献した。

 稲本自身も「あの大会がなかったら、こんなに引退会見に人が来てくれなかったと思う。インパクトという意味では、あのゴールはすさまじいものがあった」と振り返る。ただ、最も印象に残る試合として挙げたのは栄光の瞬間ではなかった。

 「0対5で負けた試合は一番ショックだった」。後に『サンドニの悲劇』と言われる01年3月にパリで行われたフランス代表との親善試合だ。海外移籍を模索する中で「世界との差を感じた。日本にいてはダメだと再認識した試合。勝った試合よりも覚えている」と自身の分岐点となった。

 その敗戦を糧に、01年のイングランド1部・アーセナル加入を皮切りに、ドイツ1部・フランクフルトなどを渡り歩いて海外クラブでも活躍。W杯でも3大会連続で出場を果たした。

 小野や高原らと「黄金世代」と呼ばれるも「僕はしがみついてここまで来た。そんなすごい選手ではない」と自身を評したが、たゆまぬ努力が世代の中でもひときわの輝きを放った。「やっぱりサッカーは楽しいってことに尽きる。28年間、やりきったという気持ち」と稲本。晴れやかな笑顔とともに、現役生活に終止符を打った。

 ◆稲本潤一(いなもと・じゅんいち)1979年9月18日、大阪府出身。97年にG大阪ユースからトップチームに昇格。同年に当時の最年少記録となる17歳6カ月25日でJリーグデビューを果たした。その後は01年のプレミアリーグ・アーセナル移籍をはじめ、ドイツ1部・フランクフルトなど海外クラブでも活躍。10年に川崎でJリーグ復帰し、22年からは関東リーグ1部の南葛SCに加入。今季はコーチ兼任となっていた。日本代表としてW杯は02年日韓大会で2得点を挙げて初の16強入りに貢献。06年ドイツ大会、10年南アフリカ大会にも出場した。日本代表通算は82試合5得点。181センチ、77キロ。