ソフトバンクから育成6位で指名を受けた川口冬弥は、クラブチーム・ハナマウイから巣立った最初のNPB選手となる。同チーム在籍2年間、投手コーチ・中山慎太郎氏(当時、現女子部監督)と共に1つずつ階段を登ってきた。「絶対にプロへ行く、という熱量が…
ソフトバンクから育成6位で指名を受けた川口冬弥は、クラブチーム・ハナマウイから巣立った最初のNPB選手となる。同チーム在籍2年間、投手コーチ・中山慎太郎氏(当時、現女子部監督)と共に1つずつ階段を登ってきた。
「絶対にプロへ行く、という熱量がずっと変わらなかった」と尊敬の念を持って、中山氏は二人三脚で歩んだ日々を振り返ってくれた。
~プロに行くには実力と実績が重要だと思う
川口は四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスが誇る大型右腕だった。身長187cm体重86kgの恵まれた身体から最速155キロの真っ直ぐを投げ込む。スライダーやフォークといった変化球の切れ味も鋭く、今季は3勝0敗7セーブ、防御率1.37でチームの前後期優勝に貢献。59.1回を投げ85奪三振と打者を圧倒する姿が印象に残った。
「本人が一番感じていると思いますが、まずはホッとしました。(ハナマウイ時代の)昨年もドラフト指名の可能性もあったがダメだった。当日は一緒にいたのですが、指名漏れが決定した瞬間に川口はショックで倒れ込んでいました」
「ハナマウイではNPB二軍や三軍とオープン戦で対決しました。ファームとはいえプロの打者相手にも好投を続けていた。指にかかった時などは完全に抑え込んでいました。実績が足りない部分が指名漏れの原因だったのかもしれません」
東海大菅生高(東京)、城西国際大(千葉)とアマチュア球界では名前の知れたコースを歩んできた。しかし、高校時代のベンチ入りは1度もなく、大学でも公式戦登板は4年春になってからで最後まで主戦投手にはなれなかった。
「公式戦での登板経験すら少なかった。多少でも実績があったならハナマウイからでもプロ入りできたかもしれない。大卒2年目、24歳という年齢もプロ側からすると躊躇した原因かもしれないですね」
「プロへ行ける、と手応えもあったのでしょう。足りないもの(=実績)を埋めるために徳島への移籍を決心した。ハナマウイ側も温かく送り出してくれました。レベルアップと共に、独立で胸を張れるだけの実績を残せたのが良かったと思います」
~あの時に話しかけてきた男がプロに行った
2人の出会いは衝撃的だった。中山が自身のパフォーマンスアップの通っていた初動負荷トレーニングジムに川口も足を運んでいた。鏡に向かってシャドーピッチングをしていると「あの、野球をやられているのですか?」と声をかけられた。
「川口が城西国際大4年の春くらいです。『野球を続けたいんですが進路が決まっていないんです』と話してくれた。こちらがハナマウイ関係者ということを伝えると、『興味ある』ということだったので連絡先を交換しました」
「どんな投手か気になったのでスマホの動画サイトで調べました。投球フォームがバラバラなのに球速145キロをコンスタントに出していました。すぐに本西厚博監督(当時)に連絡して、練習参加して入団という流れになりました」
「奇跡的だったと思います」(中山)と語る信じられない展開。身体は大きかったがプレーなど1度も見たことのない、未知の男と共に歩む日々が始まった瞬間だった。
「ドラフト指名後、当時からトレーニングジムの受付をやっている知人からすぐに連絡が来ました。『信じられないです、あの瞬間に私もいたんですよ』と興奮気味でした。映画やドラマの出来すぎたシーンのようですから(笑)
川口はハナマウイ入団が決まり、社員選手として介護職と野球の二刀流生活が始まった。恵まれた体格と登板数が極端に少ない使い減りしていない肩や肘は魅力的。しかし、当初は見ていられないほどメチャクチャな投げ方であり、2人の地道な作業が始まることとなった。
~ベクトルを定めてリリースポイントを安定させる
「ベクトルを捕手方向へ向けることが全てでした」と中山は振り返る。
全身を使って大きく強く投げることだけを考えていたため、1球ごとに力の向き(=ベクトル)がバラバラ。大学時代にはブルペン捕手上部の屋根を超えたと思えば、ベースの3m手前に叩きつけることも多々あったという。
「出会った当初は全身を使って腕を大きく振って殴るような感じの投球フォーム。アーム式を絵に描いたような感じで、腕をブーンと大きく振るような投げ方。球はすごいけど1球ごとがバラバラでした」
球速150キロ近くをコンスタントに出せてもリリースポイントが定まらない。良い球と悪い球の差が激し過ぎるため、「投球におけるボールの再現性」を高めることが必要だと感じ、ベクトルの向きを定めることに取り組んだ
「ベクトルの向きを定めるため、力を伝える方向を1つにまとめることの重要性を説明しました。メカニクスが大事で、具体的には体幹、お腹周り(=腹斜筋)、体重移動です。当時は体幹が弱く、腹斜筋の使い方も定まっていませんでした」
「(川口は)腹斜筋とお尻が強くて使い方も良かったので球速が出たと思います。しかしそこに頼り過ぎたためか、大きく動かし過ぎていた。回旋運動が強過ぎたのでバランスが取れるようにしました」
抗回旋(=アンチローテーション)トレーニングを重ねることで、体幹のコア部分の強化にもなった。自分自身に適した腹斜筋の使い方も覚え、身体が逃げなくなりリリースポイントが定まった。制球力が上がると共に、効果的な変化球も投げられるようになっていた。
スキル面を磨く考え方の一つとしては、「方法の知識」と「結果の知識」をそれぞれ考えながらトレーニングを行なってきた。
「左肩(=捕手側)に木の枝を付けての投球動作を繰り返しました。投球動作中で並進運動に入っても木の枝が左右に大きくブレないことが大事。それができた時にリリースポイントが定まり、安定したボールが投げられます」
「腹斜筋が効果的に使えて、コアを安定させたまま並進運動できればベクトルはブレない。これが方法の知識にあたります。また逆に考えてみると、木の枝がブレない時には結果的にベクトルがブレずに身体の全てが効果的に使えている。これが結果の知識です」
多くの情報を手に入れやすくなっているため、方法の知識に偏りがちになってしまうこともある。マウンド上で「腹斜筋の使い方はこう?」などと考えている時間はない。「どちらが良いというわけではなく、方法と結果の両方からアプローチすることが重要だと思います」と付け加える。
~今のままで実直に野球に取り組むことこそ一軍選手への最短ルート
ハナマウイで2年、徳島で1年を過ごして別人のように成長、24歳でプロへの入り口に辿り着いた。しかし現状はあくまで育成契約であり、ここから先が本当の勝負になる。
「ハナマウイ1年目は育成期間と言っても良かった。安定感がなかったので長い回を投げさせるのが怖かったです。それでも少しずつ良くなっていくのが手に取るようにわかり、2年目に入ってからは安心して先発を任せられるようになりました」
「ハナマウイで投手としてのベースができつつあった中で徳島では筋力もついた感じがする。正しいメカニクスに沿った投げ方の上にパワーがつけば、投手としてさらに上に行けると思います」
身体能力の高さなど投手としての資質に恵まれているのもある。しかし、それ以上に優れているのは「野球に取り組む姿勢」だという。
「速い球を投げる能力もありますが、調子に乗ったり天狗になったりしない。また、打たれた時も周囲に悪影響を及ぼさない。トレーニングでできないものがあると、「マジかー?」と言いながらも『これができたらまた上手くなる』と言う態度を出す。上達するためにしっかり考えられる部分も魅力的です」
「プロ入りできると言っても育成の四流選手。技術、体力、精神力、コンディショニング…。やるべきことは多いが、甘いことを言わずに全部やらないと一流選手と同じ土壌に立てない。でも川口なら黙々とやり続けていけると思います。その先に何が待っているのか楽しみです」
ソフトバンクは日本シリーズでDeNAに惜しくも敗れたが選手層の厚さは球界トップを誇る。一軍はおろか支配下登録までも果てしない道が控えている。しかし川口は目指す場所へ向かい一歩ずつ着実に歩みを進るはず。
「いろいろな選手と接しますが伸びる選手のモデルケースを見せてくれた」(中山)とまで言わしめた右腕の今後に注目したい。
(取材/文/写真・山岡則夫、写真・佐藤友美、取材協力/写真・ハナマウイ)