筆者がどうやっても忘れられない鬼木達監督の表情がある。川崎フロンターレの監督を退任することが発表されて以降、その日のこ…
筆者がどうやっても忘れられない鬼木達監督の表情がある。川崎フロンターレの監督を退任することが発表されて以降、その日のことばかりが思い出される。
体勢は、壁に寄りかかって、今にも崩れ落ちそうというもの。いや、崩れ落ちる寸前だったところをギリギリ支えてもらっていたのかもしれない。もし、肩を支えてもらっていなければ、立てていなかったのかもしれない。
顔に浮かび上がるのは、苦悶というべきか、怒りというべきか。そうした感情が、顔をくしゃくしゃにしていた。その姿は今まで見たことがないし、あるいは、これからも見せないかもしれない――。
これは、あまりにも悔しい黒星を喫したあるアウェイゲーム後のことである。場所はスタジアム内の廊下。実を言うと、この表情を見て少し安心した部分もある。表現としてややおかしいが、鬼木達監督も人間なのだと。
鬼木監督の驚くべき一つは、自分に矢印を向ける強さだ。どこまでも、本当にどこまでも、その胸に矢印を向ける。そこまでしなくても、と思ったことは数知れない。だからこそ、それについて何度も質問を重ねてきた。そのルーツはどこにあるのか、誰の影響を受けたのか、その理由は――。
返ってくるその答えは言ってみればあまりに理想的だった。生まれながらのキャプテンシーをまとう人が持つ特有のものではある。そしてそれを証明するような言葉が、選手やスタッフの口から何度も聞かされた。プロの世界で結果を残す人とは、そこまで超越しているのかと。
■夜遅くにホワイトボード
冒頭で触れたその姿を見たとき、鬼木達監督自身もふつうの人と同じようにプレッシャーや葛藤を抱えながら、指導や選手選考をしていることを改めて感じた。
たしかにその敗戦はとても痛いものだった。その試合後会見で鬼木監督は、やはり自身に矢印を向けていた。自身の選択を、さまざまな面から追及しているようだった。
観ている側は思う。なぜこの起用なのか、なぜこのタイミングでの交代策なのか、なぜこのシステムなのか。その試合でも、SNS上の意見はそうしたものが並んだ。言うは易いが、その裏でどれほどの熟慮を重ねているか。多くのことを考えながら選択し、そして、その全責任を全身全霊で負うことが、いかに難しいか。
鬼木達監督と長く一緒にやってきたある選手の話も思い出される。たまたま夜遅くにクラブハウスに寄ったところ、ちょうど鬼木監督が帰るところだったという。翌日も通常通りの練習だったというが、その手に持っていたのはホワイトボードだったというのだ。
後に鬼木監督にその話をすれば、「たまたまですよ。いつもではないですよ」と笑顔を見せたが、24時間体制でチームのことを考えていたのに違いない。
■蔚山戦にまつわる3つの笑顔
ここまで2つの“表情”を紹介したが、やはり印象的なのは笑顔。それは遠征先でも変わらない。最後に、蔚山戦にまつわる笑顔を3つ紹介したい。
1つ目は、23年のアウェイ・蔚山戦でのもの。この試合前日は、“アウェイの洗礼”というべきか午前10時に街から遠く離れたホテルで記者会見を行い、夕方16時からスタジアムでの練習という流れだった。その午前の会見に向かった際、思った以上に遠く、そしてタクシーが渋滞にはまってしまったため、到着したのは予定開始時刻5分前のこと。ホテル内では走って会見場まで向かったが、その部屋の手前の椅子に座って「大丈夫、まだ始まってないですよ」と笑顔で声をかけてくれたのが鬼木監督だった。
どうやら会見の準備が終わっておらず、その手前で待たなければいけなかったよう。筆者の姿を見て落ち着かせてくれた。
2つ目は、今年の蔚山戦の前日だ。筆者は空港から直接練習場に直行。スーツケースを持って選手がたまるエリアの直前まで行き、撮影機材の準備をしていると、「来ましたね」と笑顔を見せてくれた。隣国とはいえ、海外に入国して直後に見せてもらったその表情はとても安心させられた。
3つ目は、12月3日、等々力競技場内にある『Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu ギャラリー』を内覧させてもらったときのこと。川崎フロンターレの歴史が詰まったその“博物館”とも言えるその展示物を前に、鬼木監督もとても感慨深げだった。そして、「蔚山の展示物が多いな(笑)」とやはり笑顔を見せていた。
こうして思い出していくと、鬼木監督にまつわるエピソードは他にも数多い。そして、人間として勉強させてもらうことがとても多かった。感謝の気持ちを抱きつつ、残り2試合も取材したい。
(取材・文/中地拓也)