アプリで配車したタクシーは時間通りに、バンコク中心部のホテルの前にやってきた。2023年10月25日の午後7時。行先の欄には、すでにスワンナプーム国際空港を入れてある。勢いよくアクセルを踏んだ運転手は、すぐに高速道路へとハンドルを回した。…
アプリで配車したタクシーは時間通りに、バンコク中心部のホテルの前にやってきた。2023年10月25日の午後7時。行先の欄には、すでにスワンナプーム国際空港を入れてある。勢いよくアクセルを踏んだ運転手は、すぐに高速道路へとハンドルを回した。
後部座席に入ってくる朝日は、徹夜していた筆者の目にはまぶしかった。それでも、不快さはなく、とても清々しかった。
24日に行われたACL・パトゥムユナイテッド戦で川崎フロンターレが4得点の勝利をもぎ取っていたことも影響している。23日の前日会見で、かつて所属していたチャナティップと鬼木達監督との感動的な再会を目撃していたことも、心を軽くしていた。
しかし、「ブブブ」とバイブするスマートフォンの画面を見て驚かざるを得なかった。開いたメールの文面を見て、タイ滞在2日間の自身の“見る目のなさ”を痛感せざるを得なかった。そこに綴られていたのは、鬼木監督の父親が23日に逝去していたという事実。意外な形で知ったその内容は、一気に筆者の頭をフル回転させた。後部座席にはまだ南国の陽光がたっぷりと差していたはずだが、まぶしさはすでに感じなくなっていた。
■2日間のタイ滞在時の様子
23日、鬼木監督は試合会場であるパトゥムターニースタジアムで前日会見を午前中に行い、夕方に公式練習を行った。午前の会見ではとても和やかな表情が見られたが、夕方の練習ではやや険しい表情が見られたのはたしかに感じていた。一方で、この日の練習である選手が負傷気味だったこともあって、それが要因なのかとは思った。少なくとも、大きな事情を感じているようなレベルの険しさではない。
加えて、24日の試合でもそんな様子は感じられなかった。試合中も、そして、試合後会見においても。改めて会見の音源を聞き直したが、どこにも揺らぎはない。鬼木監督のプロ魂を、そして、自身の事情よりもチームにすべてを注ぐ姿を改めて感じたのだった。
詳細は書かないが、その葬儀は鬼木監督の親族を喪主として千葉県内で行われた。そして10月29日、チームはアウェイでの柏レイソル戦を迎えている。実家から近いスタジアムでの一戦。鬼木監督にとっては、気持ちの入った一戦だったに違いない。それだけに、試合中、その一挙手一投足に注目していた。
しかし、抱えていたであろう心理的動揺は微塵も感じさせない。個人的な感情ながら、“勝ってほしかった”と強く思った。すべてをチームに注ぐ姿が、少しでも報われてほしいと。この試合の70分に1点ビハインドのスコアを振り出しに戻した橘田健人のゴールは、それに応えるかのような気持ちのこもったものだった。
■再会と別れを迎えた日
指揮官が「悲願」としていたACLの舞台は過酷だ。体力面でハードであれば、日本と離れるがゆえのそれぞれの事情もある。飛行機などの移動トラブルもあれば、食事や気候面での順応も必要となる。そのような中で選手や監督・スタッフ陣が戦っているという当たり前のことを感じざるを得なかった。
出会いと別れが交錯するのが人生だ。かつての教え子とタイで再会する一方で、父親との別れを迎えるという一日を、仮に自分がその立場であればどのように過ごすのか。少なくとも、チャナティップへ向けた鬼木監督の笑顔はまるで父親のように慈悲に満ちていた。エレベーターまで笑顔で迎えに行く足取りの軽やかさなど、どう表現したらいいだろうか。
個人的な事情も含むのでここまで書いてきませんでしたが、川崎フロンターレの退任が決まった中で、その姿勢が伝わればと記事にしました。
(取材・文/中地拓也)
(後編につづく)