小園健太〜Aim for the ace of the Baystars 最終回 プロ3年目、今シーズンはプロ初登板の機会を手に入れた小園健太(DeNA)だったが、結局、一度きりの出番になってしまった。「悔しいという思いばかりですね。もどか…

小園健太〜Aim for the ace of the Baystars 最終回

 プロ3年目、今シーズンはプロ初登板の機会を手に入れた小園健太(DeNA)だったが、結局、一度きりの出番になってしまった。

「悔しいという思いばかりですね。もどかしさを感じた1年でもありました」

 小園は、冷静だが語気を強めて言った。


すでに来季に向けて動き出しているDeNAの小園健太

 photo by Sankei Visual

【念願の一軍デビューも...】

 今季はオープン戦で先発争いをすると、3試合を投げ防御率2.25という数字を残し、存在感を示すことに成功した。開幕ローテーションにこそ入れなかったが、早い段階で小園の一軍デビューは決まっており、4月10日の中日戦(横浜スタジアム)でマウンドの土を踏みしめた。

 初めての一軍での試合、詰めかけた観衆は期待を抱きプロスペクトの投球に目をみはったが、後手にまわった守備の影響もあり、自分らしさを見失い2回2/3、5失点と悔しいデビュー戦になってしまった。

「春先は本当にいい準備ができ、オープン戦でもいいアピールができてつかむことのできた初登板でした。デビュー戦はファウルや空振りがとれて、自分のよさを出せた場面もあったのですが、その割合を高めることができず、あのような結果になってしまいました。やっぱり、その部分を詰めていかないと通用しないなって」

 その後、イースタン・リーグで一軍への再チャレンジを目指し、6月頭の時点で8試合を投げて防御率1.50という数字を挙げていたが、ここでアクシデントが襲う。メディアでは右脇腹痛と報道されたが、厳密に言うと、右肋骨の疲労骨折だった。

「リハビリと言っても肋骨だと基本おとなしくしていることしかできず、ランニングもできない。ゆっくりとした動作で、下半身を鍛えるしかない。やりたいのにできない、もどかしさばかり感じていました」

 リハビリを経て7月中旬に実戦復帰を果たすが、なかなか調子が上がらない日々がつづいた。

「肋骨が治ったばかりの時は、テーピングをしたり痛み止めを飲んでいたんですけど、やっぱり無意識のうちに体をセーブしてしまい、春先のような思いきったピッチングができずに戸惑いがありました。痛みが完全になくなったあとも、その影響があったようで、しっかり腕を振っている感覚はあるのですが、思うほどボールがいかないといった難しさがありましたね」

 気持ちと体が連動しない日々。結局、小園は一軍昇格のチャンスをつかむことができず、シーズンを終えた。イースタンでの最終的な成績は、18試合に登板し、3勝3敗、防御率4.46というものだった。

【くよくよ考えても仕方がない】

 待望の一軍デビューは果たせたが、ケガもあり厳しい現実を突きつけられた1年。だが、小園は顔を上げて前を向く。こんなところで落ち込んでいる場合ではない。

 秋季トレーニングでは、量の練習に加え、入来祐作ファーム投手チーフコーチと、今季までファームS&Cを務め来季から投手コーチ補佐に就任する加賀繁の指導を個別に受けているという。

「チーム練習後に、フォームの部分を入来コーチや加賀コーチと一緒に取り組んでいます。また、いま理想としている動きを染みこませ無心で投げられるように、ブルペンに入る回数や球数などもかなり多くしてきました」

 気づいたことがあったと小園は振り返る。それはみやざきフェニックス・リーグでのことだ。

「フェニックスで投げていても調子はいまいちで、そんな時に加賀コーチから『投げる時、左足の踵(かかと)をずっと相手に向けるようなイメージで出したらどうだ?』と言われ、やってみたら、いい感触を得たんです」

 極端に言うと、踏み込む左足の踵を打者に向けて着地させ、腕を振る。大事なのは強く踏み込むこと。これまで小園は、フワッと着地していたため、踏ん張るところで左膝がぶれてしまい、制球に影響が出ていたという。必要なのは下半身の粘り強さ。ここで脇腹のリハビリ中にコツコツと鍛えてきた下半身が役に立つことになる。

「ボールの勢いが変わった実感もありますし、けっこうバッターを押し込めていた感覚があったので、あとはこれをいかに来季に向け機能させることができるか。まだ全然完成はしていないので、しっかりと動きを染みこませていかないといけない」

 張りのある声で、小園は言った。悔しい1年だったことなのは間違いないが、不思議と落胆の影は薄く、意気軒高な様子が見てとれる。なにかあったのだろうか。そう問うと、小園は少しだけ苦笑し、口を開いた。

「正直言えば、今年はずっと悩んでいたんですよ。ケガのこともあったし、復帰しても大量失点してしまうこともあって、どうやったらうまくいくんだろうって......。ただもう、今年はそういう年だったって割りきることにしたんです。くよくよ考えても仕方がない。もう今年は全部終わっていますし、幸い、今は躊躇なく腕が振れている。もう僕のなかでは来シーズンは始まっているので、今はしっかりと先を見据えたい」

 そう語る小園の口調は勇ましく、どこかひと皮むけたのかなと予感させるものだった。

 聞けばこのオフは、これまで一緒にトレーニングをやらせてもらってきた涌井秀章(中日)の元を離れ、ひとりで自主トレを行なう。甘えを排除し、自分自身に向き合う覚悟だ。

「最後の2〜3日は涌井さんにピッチングを見てもらうため合流するのですが、それまでは自分が普段使っているトレーニング施設で、トレーナーさんとマンツーマンでやります。自分でやらないといけない状況をつくる。絶対にやりきるという覚悟で練習したいと思います」

【ネガティブ思考でもいいんだ】

 青年から大人へ。いくらプロスペクトと呼ばれても、開花しなければ評価はされない。期待も焦りも全部自分のなかに飲みこんで、それをエネルギーとし、小園は自立しなければならない。

 今季までファーム投手アシスタントコーチを務め、アナリストとして入団1年目から小園をつぶさに見てきた東野峻は、以前、肯定も否定もすることなく、小園の性格について次のように語っていた。

「心配性で、ネガティブ思考で、いつも不安を抱えている」

 このことについて問うと小園は頷いた。

「ええ、自分はネガティブ思考ですし、試合前は不安でいっぱいなんです。こういう性格を変えなければいけないのかなと思ったんですけど、ある時『ネガティブでもいいんだよ。ネガティブじゃなきゃ成長できない』という言葉をもらって、これでいいんだって思えるようになったんです」

 ネガティブ──言葉としては負のイメージがつきまとうが、裏を返せば、これはアスリートに必要不可欠なものだ。勝ちたいから、結果を出したいから、常にそういった不安を抱えているからこそ、誰よりも練習に勤しむことができ、準備にあたることができる。そして思慮深く、慎重だからこそ、時に大胆に行動ができる。

 たとえばDeNAの選手は一見、明るくポジティブなプレイヤーが多いが、それはあくまでも自身を取り巻く被膜であって、結果を出している選手ほど、実際のところ繊細な人間性を持ち合わせている。だからネガティブだって構わない。

 不安を払しょくするほどの練習や準備ができ、果たして来季小園は、自信を持ってマウンドに上がることができるのか楽しみにしたい。

【深沢鳳介には絶対に負けたくない】

 高卒3年目、他球団を見れば活躍し始めた選手たちがちらほら目に入るようになってきた。「同級生は気になりますか?」と問うと、小園はかぶりを振って「あっ」という顔をした。

「他球団の同級生は気にならないんですが、僕としてはやっぱり深沢(鳳介)ってライバルがいるので、絶対に負けたくないなって」

 深沢は今年春にトミー・ジョン手術を行ない、現在はリハビリの最中だ。また、今季から育成契約となり、あらためて支配下登録を目指している。

「鳳介は親友でもあるんですけど、今は本当にリハビリを頑張っていて、きっと来シーズン上で投げてくれると思っています。鳳介だけには絶対に置いていかれないように、一緒に活躍できるように頑張りたいんです」

 今季、26年にぶりに日本シリーズを制覇したDeNA。小園は歓喜に沸いた一軍の試合を見ていたというが、正直、特別な感情は湧かなかったという。喜ばしいことだということは理解しつつも、チームに何の貢献もできていない人間であれば当然のことだろう。

「次は、深沢選手とともにあの場のど真ん中にいないといけませんね」と声をかけると、小園は「はい!」と力強く返事をした。

「先ほども言いましたが、僕のなかでは、来年はもう始まっているし、最高の準備をしてキャンプインを迎えたいと思っています。そこでしっかりアピールをして、開幕からチームの力になれるように」

 真価を問われる4年目の来季、この数年の苦労や葛藤が報われることを願ってやまない。小園がマウンドで輝く時、それは27年ぶりのリーグ優勝を引き寄せる大きな原動力になるはずだ。

小園健太(こぞの・けんた)/2003年4月9日、大阪府生まれ。市和歌山高から2021年ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズから指名を受け入団。背番号はかつて三浦大輔監督がつけていた「18」を託された。1年目は体力強化に励み、2年目は一軍デビューこそなかったが、ファームで17試合に登板。最速152キロのストレートにカーブ、スライダー、カットボール、チェンジアップなどの変化球も多彩で、高校時代から投球術を高く評価されている。