エイジェック女子硬式野球部を退団した吉田えり“ナックル姫”と呼ばれセンセーションを巻き起こした少女の愛嬌たっぷりな笑顔は、32歳になった今も変わらない。吉田えり投手は11月1日、7年間過ごしたエイジェック女子硬式野球部の退部を発表。その時点…
エイジェック女子硬式野球部を退団した吉田えり
“ナックル姫”と呼ばれセンセーションを巻き起こした少女の愛嬌たっぷりな笑顔は、32歳になった今も変わらない。吉田えり投手は11月1日、7年間過ごしたエイジェック女子硬式野球部の退部を発表。その時点で次なる所属先の発表はなかったが、「引退じゃないんですよね」と白い歯を見せて笑う。退団を決めた背景、そして現役引退を否定する真意を語った。
エイジェック女子硬式野球部からの退団発表に合わせ、吉田は自身のインスタグラムを更新。チームへの感謝を綴ったが、確かに文面には「引退」の2文字がなかった。そして12日、神奈川県で野球塾の運営などを行う「tsuzuki BASE」で働くことを報告した。プレーヤーとして一線を退いたという意味では引退と定義できそうだが、彼女は否定する。真意を知るには、刺激的だった米国挑戦を振り返る必要があった。
昨年6月から2か月間、米独立のエンパイアリーグでプレー。31歳になっても捨てきれなかった「メジャーに挑戦したい」という夢を叶えるために海を渡った。男子選手に混じって腕を振り続けたが、吉報は届かなかった。しかし、別の形で夢が実現することになった。渡米最終日となった2023年7月20日(日本時間21日)、メジャー通算200勝のティム・ウェイクフィールド氏と対面する機会を得たのだ。
ウェイクフィールド氏はナックルボールの使い手として、1990年代から2000年代にかけて活躍。全盛期はちょうど吉田が中学生の時だった。男女との体格差に悩み、今後野球を続けるか悩んでいたところ、父から存在を教えてもらったナックルの習得に励んだ。“魔球”を磨き上げ、高校2年生だった16歳の時、関西独立リーグのドラフト会議で神戸9クルーズから7巡目で指名され、日本プロ野球史上初の女性プレーヤーとなった。“ナックル姫”の原点とも言える存在が、ウェイクフィールド氏その人だった。
18歳の時に渡米した際にも話をする機会があったが、時間はわずかだった。今回は会話だけでなく、2人でキャッチボールも。ナックルボールの指導もしてもらえた。夢のような時間に、涙が止まらなかった。そして、憧れの存在から言葉をもらった。
「今も野球を続けているんだね。これからもずっと投げ続けてほしい」
「神奈川にチームを作って、恩返ししたい」
吉田は決めた。「(野球を)辞められないなって思いました。ウェイクフィールドさんのようなナックルまでには投げられなかったですけど、これからも投げ続けなきゃいけないなって」。この出会いから約3か月後の10月1日(同2日)、ウェイクフィールド氏は57歳の若さで亡くなった。
「今振り返ると、たぶんお会いした時も(体が)しんどかったと思うんです。それでも時間を作ってくれて……やっぱりそういう思いがあるから、閉ざしちゃダメだなって。それを伝えに来た時間だったのかなって思います。だから引退って言葉を使いたくないんです」
選手であり続けながら、選んだ次の進路。エイジェック退団は今年8月に伝えたという。野球部の期末面談が行われる1週間前、たまたま兄・勇介さんと電話をしていた時にその思いを強くした。勇介さんが立ち上げた野球専門の室内練習場「tsuzuki BASE 」で働かないかと誘われたからだ。
吉田の心の中には「いつか神奈川で恩返しがしたい」という思いがずっとどこかにあった。自身が高校生の時、神奈川には女子硬式野球のチームがなく「もし(当時)あったら神奈川でプレーしていたかもしれません」。プレーする環境を求め、関西独立に入団。そこから地元に戻ることなく十数年の月日が流れた。
ナックルボールのような人生の終着点は「ストライクに収まってないかも」
2018年創部のエイジェックは、栃木県初の女子硬式野球チームとなり、当初は県外からの参加者が多かったという。しかし、徐々に浸透していく中で「地元選手が増えてきて、それがすごくうれしくて。地元でできると、地元の友達や親が見に来て応援してくれるので輪が広がるんです。地元に女子チームがあるって大きいことだなって。今、神奈川で(女子が)野球をしようとしても他の県に行かざるを得ないんです。だから、神奈川にチームを作って、恩返ししたいという気持ちが強くなったんです」。
「したい」「やりたい」。その思いに忠実に、真摯に向き合って行動してきた。だから彼女の足跡には“女性初”という肩書が何個も生まれた。そして、そこには失敗という概念はない。
「やったことに意味があるって思うタイプなので。去年米国に挑戦したのも普通に考えたら結果を残すのは難しいですし、ずっと女子の中でやってきて、急に男子の中でプレーというのはすごい無謀だけど、でもやらないと気が済まない。結果が出ないって分かってても、私はやって良かったと思えるので。今回もナックルを追い求めながら、その一方でアカデミーの普及や、女子チームを作る活動をするっていうのはなかなか無謀な挑戦かもしれないですけど……。でも、やりたいって思ってしまったので」
吉田の人生は、ナックルボールのように不規則に、そして大きく揺れ動いている。果たしてその終着点はーー。「アハハ、どこなんでしょうね。ストライクに収まってないかも。自分でも捕れないかもしれない。でも……きっとそれも楽しいですよね」。その瞳は一切の曇りがなく、前だけを見ていた。(新井裕貴 / Yuki Arai)