今年のパリパラリンピックでは、上地結衣(三井住友銀行)がシングルスだけでなく田中愛美(長谷工コーポレーション)とのダブルスでも金メダルを獲得。男子も小田凱人(東海理化)がシングルスで金メダル、三木拓…

今年のパリパラリンピックでは、上地結衣(三井住友銀行)がシングルスだけでなく田中愛美(長谷工コーポレーション)とのダブルスでも金メダルを獲得。男子も小田凱人(東海理化)がシングルスで金メダル、三木拓也(トヨタ自動車)と組んだダブルスで銀メダルと好成績を残し、日本中を沸かせた。次世代のジュニアも育っており、岡野莉央(東邦高校)は髙室侑舞(SBCメディカルグループ)とともに全米オープンジュニア女子ダブルスで優勝。帯同していた元日本車いすテニス協会ナショナルコーチの遠藤義文さん(柳生園テニスクラブ支配人)に、岡野の優れているポイントやこれからの伸びしろ、車いすテニスの可能性について聞いた。

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――まず「定位」について車いすテニスと健常者のテニスとの違いを教えてください。
 
「『定位』(一定した姿勢になること)に入ることは車いすテニスにとって重要なことです。健常者がちょっと手を伸ばしたり、足を伸ばしたりして調整というのが限られています。サイドステップが車いすではできないので、基本的に前回りか後回りでボールに入らなければいけません。2バウンドまでOKというルールですが、一度車いすを回転して次に備えるため一時的にボールから目を切ってしまいます。そうすると『定位』の判断が難しくなります」
 
――車いすテニスに関わって20年近くになるとお聞きしました。そのきっかけを教えてください。
 
「地元が岡山県で偶然車いすの選手とお会いする機会があり『コーチがいないので機会があればやって欲しい』と言われました。一度、お断りをしたんです。正直、やり方もわからないし、何をどうすれば良いのかわからない状態でしたから。その車いすの方も岡山の協会会長をされている方で、『車いすの動かし方は自分で何とかするので、健常者にどうテニスを教えているのか、打ち方とかそういったものを少し教えてくれるだけでもいい』と仰るので、そういうことなら私も興味があったし『やってみます』と。私はクラブ(柳生園テニスクラブ)で支配人をやっていて、コートに来てレッスンしたことがきっかけとなります」
 
――ご自身でも(車いすに)乗って教えるようになったとお聞きしました。
 
「最初は乗らずに教えていたのですが、『こういう動きはできますか?』『こういうのはどうなんですか?』という話をする中で、経験することが一番手っ取り早いかなと思って、競技用の車いすを用意して、自分で乗るようになってから理解が深まりました」

「理解が深まってくると、健常でやってたことが車いすだとこうなるのかとか、これができないのか?とか。車いすは2バウンドまでなので、『逆にこういうことも必要なんだな』というのがわかってきて、教えていたという感じですね」

――岡野莉央選手もジュニアを卒業し、今後ツアーを回って行く方向なのでしょうか。
 
「これからプロとして車いすテニスで、スポンサーをつけたり、プロ活動をして行くことが大きな目標となっています。彼女は去年からツアーを回り始めたんですが、クロアチアにフューチャーズ(ITFの車いすテニスでは、フューチャーズ、3、2、1、スーパーシリーズ、マスターズシリーズ、グランドスラムとグレード分けされている)の試合で行ったのですが、すでに高校2年生の時には1人でクロアチアに行ったいたみたいです。上地(結衣)選手も中学生ぐらいから1人で海外ツアーを回っていたようです。ご両親の決断は素晴らしいと私は思います。(1人で海外に行かせることは)すごく心配でしょうし、一緒にツアーに行きたくとも時間や費用の面で2倍以上かかってくる、というところもあるというのがあります」



「逆に全米オープンは帯同者がいないとエントリーできないということになっているので、自分(岡野選手)のコーチが来ることができないという時に、ご縁があって私に声がかかったという経緯です。基本的にはいろんな所を1人で回っていて、日本人が全然いないようなところにも行っているようです。『ツアーに育てられていっている』という側面もあると思います。逆にツアー経験の中で彼女が自分で行動していくか、ということで強くなっていっていると思います」
 
――なかなかできることではないですし、頼もしいですね。
 
「全米オープンジュニア1回戦では負けてはしましたが、試合の中で苦しい場面でも工夫しようとしている姿が見えました。ペースを変えたり、少し球筋を変えたりということも最後までやろうとしていたので、そういった姿というのはこういった経験からきているのではないかな、と思います」
 
――今後大人のツアーに参加して行くにあたって、岡野選手にアドバイスをするものがあればお願いします。
 
「ツアーを回るタフさというのはあります、彼女のパーソナルコーチと彼女がいつも何を話している方針とは別に、ナショナルチームでやっている時に伝えたのは、ショットは良いものを持っていること、あとはチェアトレーニング、車いすの動かし方について話をしたことがあります」

「初めて会ってヒアリングした時に、あまりできてないということだったので、一緒に動かし方について伝えました。スラロームや手を離して動いてみたり、ボールに反応してみるとか、そういったことは取り組めていないので、まだ伸びしろがある。トップの選手ほどチェアトレーニングはすごくやっているし、上地選手や国枝選手はラケットを持たずに練習をしているという話をして、実際に取り組むことを決めたようです。練習が3時間あれば、1時間ぐらいはチェアのトレーニングをしてテニスをやった方が良いと思います」

「『定位』というお話をしましたが、そこに入れるか、動けるか?というのが大切になってきます。もちろん筋力も必要ですし、先ほどお伝えした『定位能力』、ボールから目を離しても入れることだったり、両手で(チェアを)漕がずに片手で入っていけること、時間がないのでラケットを引きながら左手だけで打って行くこともあります。彼女はそれができるはずなのですが、あまり練習ができていないので、片手と腰で動くとか、片手と身体で動くということも必要となってきます」
 
――今後「車いすテニス」がプロとしてやっていけるという可能性を教えてください。
 
「一昔前よりは、今の環境の方がすごく良いと思っています。東京パラリンピックでは無観客で寂しかったのですが、逆にテレビがすごく頑張ってくださって、普段パラリンピックではそんなに放送してくれないNHKさんが総動員でテニスや他の競技をずっと放映をしてくださった。パラ選手の素晴らしさとか、(身体の)残された機能をどれだけフルに使って勝負ができるか、というところなんですよね。そこに感動もあります」

「それをきっかけに関心が高まってきたと言えると思います。そうなってくると企業スポンサーがつきやすくなってくると思います。パラスポーツを応援したい、という企業さんもたくさん出てきています。賞金もグランドスラムで優勝すると1000万を超えて、出場するだけでも100万ほどになっています。これはパラスポーツの中でショースポーツとして確立してきたところだと思います。個人でも動けること、世界中でやっている、グランドスラムもあるし、WOWOWさんが放映してくれたり、そういった意味でもこれからプロ活動というのは、これからどんどん増えてくるのかと思います」
 
――日本やヨーロッパは車いすテニスが強いイメージがありますが、アメリカは現時点ではまだという印象です。その点についてはいかがお考えでしょうか。
 
「アメリカが良いところは、USTA(全米テニス協会)が健常者もパラも一括で管理しているところです、意思疎通がとれているという点ではアメリカの方はこれから伸びてくるのではないかと思います。国枝さんもUSTAでやっているのでアメリカ人選手の実力が伸びてきています。アメリカの車いすテニスの選手が活躍してくると賞金もどんどん上がる可能性はあると思います」
 
――偶然が重なって「車いすテニス」の世界に入って選手を支えていらっしゃいます。
 
「地方の普通のテニスクラブのテニスコーチと支配人をやっていたという状況なので、ナショナル遠征や日の丸を背負って5年間働くことができたというのは、車いすテニスと出会ったおかげだと思っています。そこにはすごく感謝していて、東京パラでは感動ももらえました」

――車いすテニスに未来がある、ということで障がいを持っている方に希望を持って欲しいです。

「特にジュニアの活動というのは、日本はまだ障がい者に対しての理解が腫れ物に触るようなところがあるように思います。子供が障がいを持っていたら親が囲ってしまったり、外に出したがらないとか、そういったところが欧米に比べると多いように感じます。生まれつきの方もいらっしゃるし、事故による場合もあります。そういう方達も活躍の場がある、何か出会いがあって人生に違う展開があるというのが良いことではないでしょうか」

――簡単な道ではありませんが、プロを目指して行く場があることは素晴らしいことだと思います。

「そうですね、昔は一般のグランドスラムも4ドローしかありませんでした。それから8ドローになり、現在は16ドローに。ジュニアも全豪、全仏、全米と開催されるようになりました。ジュニアもこういう舞台を経験できるというところは『本物』に触れることになる。そこに夢や希望、生きがいが生まれてくるというのは素晴らしい活動だと思っています」

――最後にメッセージをお願いします。

「車いすテニスとの出会いは感謝しかありません。障がい者も健常者も分け隔てなく一緒の舞台があるということと、そこにジュニアの子供たちには夢と希望も持てること。国枝さんが引っ張ってこられたことを、男子は小田選手が女子は上地選手が引っ張ってきているところをみんなで元気になっていって欲しいですね。私もその活動の一端を担えたらいいなと思っています」

――貴重なお話をありがとうございました。