【楽天ドラ1・宗山はプロで「息の長い選手に」】 ドラフト会議から約3週間後の11月12日、秋季東京六大学リーグで14年ぶりとなる優勝決定戦が行なわれた。優勝に王手をかけていた早稲田大が最後の慶應義塾大戦で2連敗し、明治大と勝ち点、勝率ともに…

【楽天ドラ1・宗山はプロで「息の長い選手に」】

 ドラフト会議から約3週間後の11月12日、秋季東京六大学リーグで14年ぶりとなる優勝決定戦が行なわれた。優勝に王手をかけていた早稲田大が最後の慶應義塾大戦で2連敗し、明治大と勝ち点、勝率ともに並んだために実現した一戦だ。

「本当に低い確率でしたが、もう1試合野球ができることは本当にうれしい。万全の調整をして臨みたいです」

 5球団による争奪戦の末、楽天にドラフト1位で指名された明治大の宗山塁は、"自身が主将を務めるチームで優勝"という目標を果たすチャンスを得たことについて、そう述べていた。


楽天から1位指名を受けた明治大の宗山

 photo by Sankei Visual

 しかし、試合は2回に先制を許すと、5回には来季からチームメイトとなる早稲田大の3番・吉納翼(よしのう・つばさ/楽天から5位指名)の「体が壊れるくらいに振り絞った」という二塁打を機に3得点を奪われた。明治大の打線は沈黙し、3番・遊撃手で出場した宗山も3打数0安打。0-4で敗れ、昨年春以来のリーグ優勝を成し遂げることはできなかった。

「初めて優勝してマウンドに集まった時のことや、今日のような悔しい経験ははっきり覚えているので、これからの練習の糧にしていかないといけない。明治で学んだことは社会に出ても通用すると思っているので、これからもそのような"当たり前"を大切にしていきたいです」

 4年間でリーグ歴代7位の118安打を放った宗山は、悔しさをにじませながらも、未来を見据えていた。

「伝統のあるチームで経験をさせてもらったことは、自分にとってもプラスになりましたし、これからも感謝の気持ちを忘れずにプレーを続けていきたい。自分はまだまだ課題が残っていると思うので、これからもっと成長し、みなさんに信頼されてコンスタントに結果が残せる、息の長い選手になっていきたいと思っています」

【DeNA2位・篠木は大島公一監督に感謝】

 その宗山の印象を「対戦していて一番楽しかった相手」と語ったのは、DeNAから2位指名を受けた法政大の右腕・篠木健太郎だ。

 最速157キロの速球とスライダーを武器に、2年生の春から先発で起用された篠木の大学4年春までの通算成績は11勝(10敗)、防御率2.16。2023年の春には最優秀防御率(0.68)も獲得した。

 明治大の田中武宏監督も「下級生の頃のようにボールが暴れなくなって、しっかりゲームを作れるようになった」と成長を語る右腕は、大学生活のラストシーズンを前に「エースとしてマウンドを守り続ける姿を見せたい」と意気込みを語っていた。

 今季からチームを率いる大島公一監督(元オリックスなど)に頼み込み、秋のリーグ戦ではカードの初戦と、1勝1敗になった時に勝ち点獲得をかけて行なわれる3戦目に登板。打順では7、8番と下位打線に入りながら、10月14日の東京大戦では決勝タイムリーを放つなどチームを牽引した。

「(監督が)『大丈夫か?』と心配してくださるなかで、自分でもいろいろな制限をかけながら、どちらの試合も勝ちたいと思って投げていました。残念ながら優勝はできませんでしたが、投げさせてもらえたからこそ知れたことがたくさんあるので、大島さんに感謝しています」

 篠木の大学生活最終登板は、11月3日の明治大戦だった。宗山との対戦は3打数0安打2四球と安打は許さなかったものの、7回に集中打を浴び、3失点で敗戦投手に。8試合を投げて3勝(2敗)防御率2.59の成績でシーズンを締め括った。

「4年間でたくさんのことを学ばせてもらいましたし、自分としてはこの野球人生で大きな経験になったので、これからに活かしていきたいなと思いますし、次の世界でも負けることなく、一歩一歩頑張っていきたいです」

 さらなる成長に胸を膨らませる右腕は、クライマックシリーズや日本シリーズで圧倒的な強さを見せ、26年ぶりの日本一を手にしたDeNAに新たな風を吹き込む。

【楽天5位・吉納翼は「徳武さんに恩返しを」】

「試合に関わる部員全員に『東京六大学の代表にふさわしいプレーを見せよう』と伝えましたが、思い通りにいかなかった。まだまだ私の力不足であると痛感しました」(早稲田大・小宮山悟監督)

 秋季東京六大学リーグ優勝決定戦で明治大を下し、2季連続のリーグ優勝を果たした早稲田大。6月の全日本大学選手権で青山学院大に敗れ、準優勝に終わった雪辱を果たすべく、秋の大学日本一をかけて明治神宮大会に挑んだが......それは来季に持ち越しとなった。

 大会の初陣となった11月23日の準々決勝、環太平洋大戦(中国・四国三連盟)で、楽天からドラフト2位指名を受けた左腕・徳山一翔の前に散発5安打、10残塁と打線が沈黙。3年生エースの伊藤樹の力投も虚しく、延長10回タイブレークの末に1-2で敗れた。

 来季から徳山と同じユニフォームに袖を通す吉納は、「今は早稲田のユニフォームを着ているので、(徳山を)そこまで意識していなかった」としながらも、「自分を含めた野手陣が要所で打てなかったことに尽きます。いい投手であることはわかっていたけど、それでも結果を出していくことが全国大会では必要だった。うまく対応できなかったことが敗因だったと思う」と、5打数1安打3三振に終わった試合後に唇を噛んだ。

 吉納は"徳武定祐(旧名は定之)氏の最後の教え子"とも言われている。徳武氏は早稲田大を経て元国鉄(現在のヤクルト)に入団し、引退後は中日やロッテでコーチや監督を務め、早稲田大でも打撃コーチを務めるなど長く後輩たちの指導にあたってきた。しかし今年、早稲田大が秋季リーグで優勝を決めた2日後の11月14日、86歳で永眠した。

 日頃から「『(徳武氏が)最後に育てたプロ野球選手になる』と言われていた」という吉納は、「プロの世界に行けるのは徳武さんのおかげだと思う。日本一の報告ができずに非常に悔しい」と思いを述べた。

「今後は"ここぞ"という場面で頼りがいがあるような選手になりたい。自分がプロの世界で活躍して、天国にいる徳武さんに恩返しができたらなと思います」

【清原正吾は野球とは別の道へ】

 今年、東京六大学野球からは6名がドラフト指名を受け、プロの道に進むこととなった。一方で、指名がなく別の道に進む決断をした者もいる。今後に注目が集まるのが、慶應義塾大で4番を務めた清原正吾だ。

 NPB通算525本塁打の記録を持つ和博氏を父に持つ清原は、中・高の6年間は別競技を行なっていた"ブランク"がありながら慶應義塾大で成長し、春のリーグ戦ではベストナインを獲得した。秋のリーグ戦では打率.264ながらも3本塁打をマーク。9月28日の明治大戦では、1点ビハインドの9回2死の場面でリーグ戦初となる本塁打を放って勝負強さを見せつけた。

 ドラフト会議後初の公式戦となった早慶戦(11月9日)では、1本塁打を含む4打数4安打1打点の活躍。そのうち3本は「バットを素直に出すことだけを意識して練習してきた」という逆方向(ライト)への安打。成長した姿を見せると、6回には相手投手の失投を見逃さずにレフトへ3号の本塁打を放ち、スタンドで見守る父・和博氏に向けて指をさす場面も。

「(指をさした)気持ちとしては『見たか!』っていうところもあれば、『本当にここまで育ててきてくれてありがとう』という気持ちでした」と、その時の印象を語った清原は、こう喜びを爆発させた。

「早慶戦は僕にとっては特別な舞台ですし、本当にたくさんのお客さんが入ってくださるなかでダイヤモンドを一周するのは特別な経験でした。一生の思い出になるのかなと思います。

本当に僕のすべてをかけてここまで挑戦してきました。『少しは(チームに)報えたかな』という気持ちと、明日(翌日の早稲田大との2戦目)も引き続きチーム勝ちに貢献できたら、という思いがあります。僕にとっては大学生活最後の試合なので、本当にすべてを出し切って、勝って、みんなで笑って終わりたいと思います」

その試合で、チームは2-1と逆転勝利。清原は4打席に立って内野安打1本のみに終わったものの、試合後には涙を流し、スタンドに向けて「ありがとう」の言葉を残して、充実した4年間に別れを告げた。

「挫折やしんどい時期もありましたけど、ずっとそばにいてくれた家族や野球部のみんなのおかげでここまでやってこられたと思います。早稲田に連勝することだけを考えて過ごしてきたので、この先の進路に関しては、自分の中で腹に落として、きちんと自分と見つめ合って考えたいです」

リーグ戦の終了時点では自身の進路については「どの選択肢もあり得る」として明言を避けていたが、11月25日には自身のSNSで野球以外の道を目指すことを表明。「大学から再び始めた野球人生でしたが、どれもが自分を成長させてくれる貴重な経験ばかりでした。目標に向かって、自分の気持ちに正直に正面から挑戦出来たことに後悔はありません」と思いを綴った。

ユニフォームを脱ぐ者も含め、さまざまな思いとともに学生生活を終えようとしている選手たちが、素晴らしい春を迎えることを願わずにはいられない。