報道陣に囲まれた麦谷祐介(富士大)は試合を終えた感想を問われ、「うーん......」とうなってから答えた。「言葉が出ないというか、4年間やってきて何もできなかったな......という思いが一番です」オリックスからドラフト1位で指名された富…

 報道陣に囲まれた麦谷祐介(富士大)は試合を終えた感想を問われ、「うーん......」とうなってから答えた。

「言葉が出ないというか、4年間やってきて何もできなかったな......という思いが一番です」


オリックスからドラフト1位で指名された富士大・麦谷祐介

 photo by Ohtomo Yoshiyuki

【大学最後の試合は4打数無安打】

 11月22日、富士大は明治神宮大会の初戦・創価大戦を迎えていた。昨年の春秋全国ベスト4メンバーが多数残り、ドラフト会議では単独チームとして史上最多の6選手が指名されていた。今大会でも富士大は優勝候補の一角に挙げられている。

 だが、試合は0対3で敗戦。破壊力抜群の富士大打線も、創価大の技巧派左腕・田代涼介にうまくかわされた。麦谷は2番・中堅手で出場し、4打数0安打に終わっている。

 麦谷は悔しそうに絞り出した。

「ウチは140キロ後半から150キロ台のボールは打てるんですけど、中間球の投手を苦手にしていて。対応できないまま終わってしまいました。でも、彼(田代)の気持ちを感じたピッチングでした」

 昨年の大学選手権と明治神宮大会は、準決勝で青山学院大と対戦。麦谷は下村海翔(阪神)、常廣羽也斗(広島)とドラフト1位の本格派右腕から本塁打を放っている。

 当時、常廣は麦谷について「東都(大学リーグ)のバッターなら空振りを取れる球でも打たれたのでビックリしました」と語っている。

 麦谷にとっては、今秋に何が何でも日本一になりたい理由があった。

「恩師の準優勝を超えるために富士大に来たので、本当に悔しいです」

 大崎中央高で指導を受けた平石朋浩監督もまた富士大のOBで、2009年の大学選手権で準優勝を経験していたのだ。麦谷の言葉には言い知れぬ無念さがにじんでいた。

 麦谷は今秋のドラフト会議でオリックスから1位指名を受けている。次世代の中堅手を求めるオリックスが、麦谷の能力を求めたのは間違いない。

 50メートル走5秒8(センサー式計測)の快足に、バズーカ砲のような爆発的なスローイング。そして逆方向のスタンドへも放り込める力強いスイング。右投左打の外野手はプロ球界で飽和状態だが、麦谷ほど能力が高ければ話は別だ。

 そして、オリックスが麦谷に求めるものは、単純な技量だけではないはずだ。麦谷は「何もできなかった」と言ったが、そのプレーぶりにオリックスが麦谷をドラフト1位指名した理由が見え隠れした。

【全力でプレーする姿を見せる】

 創価大戦の第2打席。麦谷はセカンドフライを打ち上げた。神宮球場の上空は無風状態で、誰が見ても凡打なのは明らか。それでも、麦谷は猛烈な勢いでフィールドを駆け、一目散に二塁ベースへと向かった。結果はセカンドフライだったが、麦谷の「生き様」が詰まったプレーだった。

 この全力疾走について聞くと、麦谷はこう答えた。

「自分のプレーをみんなが見ているので。なかには『麦谷さんみたいになりたい』と言ってくれる後輩もいます。そんな人たちに全力でプレーする姿を見せることは絶対に大事だと思っていました。それはプロに行っても、変わらずやりたいと考えています」

 オリックスの中嶋聡前監督が今季限りで退任することを表明した際、選手が全力疾走することを徹底できなかったことを明かしていた。昨年までリーグ3連覇を成し遂げるなかで、チームとして失ったものがある。麦谷の存在は、それを取り戻す起爆剤になるとオリックス編成陣は考えているはずだ。

 創価大に敗れて悔しさの収まらない麦谷は、自身の大学野球シーズンが終わったにもかかわらず、こんな言葉も残している。

「明日からでも練習したいです」

 今回の明治神宮大会は不発に終わったものの、麦谷は本来、大舞台に強い選手だ。1年前の取材時には「『球場の全員がオレのことを見てるだろ』と思ってプレーしています」と豪語したこともある。プロの世界に飛び込めば、アマチュアとはケタ違いの観衆の前でプレーできる。そんな楽しみもあるのではないか尋ねると、麦谷は答えた。

「応援いただけるのは光栄ですし、ファンあってのプロ野球だと考えています。僕は人に夢や感動を与えることをひとつの目標にしてきたので、ファンから愛されるプレー姿を残していきたいです」

 岩手県花巻市にキャンパスがある富士大は、冬場は雪が積もってグラウンドでの練習ができなくなる。ただし、富士大スポーツセンターという広大な室内練習施設があり、選手たちが野球に打ち込む環境が整っている。

 周囲に娯楽施設などないなか、麦谷はスポーツセンターが施錠するギリギリまで粘って練習を重ねてきた。麦谷は以前、こんなことも語っている。

「遊ぶ気にもならないので、今年は野球に執着してやっていきます」

 もし、富士大に進んでいなかったら、どんな22歳になっていたと思うか。そう尋ねると、麦谷は苦笑交じりにこう答えた。

「野球をやめていれば、普通に働いていたかもしれませんね。僕に声をかけてくれて、育ててくれた安田(慎太郎)監督やスタッフの方々には感謝していますし、これからも恩返ししていきたいです」

 囲み取材を終えて会見場をあとにする間際、麦谷はクルリと踵を返して、鈴なりの報道陣に向かって「ありがとうございました!」と大声で礼を述べた。

 華やかな世界でこそ輝く男。麦谷祐介はオリックス・バファローズに新たな魂を注入するはずだ。