11月の全日本大学駅伝では5区区間4位とまとめた青学大・田中(左) photo by Jiji Press箱根駅伝2連覇を目指す青山学院大。1年前、股関節の痛みにより箱根駅伝を目前にしながら出走を果たせなかった田中悠登は、その悔しさを胸に主…


11月の全日本大学駅伝では5区区間4位とまとめた青学大・田中(左)

 photo by Jiji Press

箱根駅伝2連覇を目指す青山学院大。1年前、股関節の痛みにより箱根駅伝を目前にしながら出走を果たせなかった田中悠登は、その悔しさを胸に主将として、またランナーとして、学生最後のシーズンを走り続けてきた。全日本大学駅伝では5区区間4位と合格点の走りを見せたが、卒業後はアナウンサー職での故郷のテレビ局への就職が決まっている。箱根駅伝はランナーとしてラストチャレンジ。痛みは引かずとも真っ向競技に向き合い、最後の箱根路を目指す。

【昨年度の全日本後に痛みが発症し......】

 11月23日に行なわれたMARCH対抗戦、今年は駅伝シーズンに入って不振だった中央大学が頑張った。これまでの悪い流れを断ちきろうとするかのように。

 MARCH対抗戦は10000mの上位10人の合計タイムで競うが、中大が平均28分21秒71で優勝した。

 この大会の"仕掛人"である青山学院大は2位。それでも鶴川正也(4年)が最終組で中大の吉居駿恭(3年)、本間颯(2年)との競り合いを制し、27分43秒33の青学記録をマークし、全体1位となったのは見事だった。鶴川は最初で最後の箱根駅伝への思いをこう話す。

「走る区間で区間賞は当たり前なので、2位に1分の差をつける走りをします。最後は大手町で笑って終わりたいです」

 大手町で笑おう。

 これが今年の青学大のスローガンだ。このフレーズを浸透させたのがキャプテンの田中悠登(4年)である。

 田中はMARCH対抗戦では、最終組で走り28分37秒47。11月3日には全日本大学駅伝の5区を走り、区間4位でまとめたものの、かなり苦しい走りだったことを明かした。

「全日本では、走っている間も腰からお尻のあたりにかけて激痛が走っていたんです。なんとかまとめられたという感じでしたが、終わってからMRIを撮って診察していただいても、なかなか原因がわからなくて。ようやく神経系統から来る痛みということがわかって、効果的なアプローチができるようになってきました。痛みは徐々に引いてきているので、最後の強化合宿では100%の練習ができるんじゃないかと、自分に期待しています」

 そんな痛みがあったとは......。

 これまで何人もの選手たちに痛みとの葛藤、そしてこんな言葉を聞いてきた。

「朝、目が覚めたら、痛みが引いてるんじゃないかと期待して体を起こすんですが......。痛みが突然消えるようなことはなくて」

 田中は起床時から痛みと向き合ってきた。

「朝、痛いんですよね。そこから1日がスタートします」

 田中の痛みとのつき合いは、1年になろうとしている。去年の全日本では8区のアンカーを務め、國學院大、中大との大接戦を演じ、2位を死守した。この田中の走りを原晋監督は大絶賛。

「あそこで2位と4位じゃ大違い。3位でも違うな。田中が箱根に向けて勢いをつけてくれました」

 そして実際、青学大は箱根駅伝で優勝するわけだが、田中は10人のメンバーに入っていなかった。

 区間エントリーでは8区に登録されていたが、1月3日のレース当日、田中は自身の「X」のコンテンツ、「中町2丁目ニュース」で、8区の中継所近辺から「【速報】田中アナ、出走ならず」というニュースをセルフレポートの形で伝えていた。

 股関節に痛みが出たのは、去年の12月中旬だったという。

【大手町で笑うために走り続ける】

「去年12月の富津合宿でインフルエンザが流行したんですが、僕はその時期に名古屋でアナウンサーの就職活動があって、インフルには罹らなかったんです。正直、ラッキーかなと思っていたんですが、そんなにうまくはいかないものですね。合宿を抜けた分を取り戻さなきゃと思って、頑張りすぎてしまいました。すると12月中旬になって、股関節のあたりが痛いな、となって。それでも練習をこなしていたんですが、どんどん痛みが増していきました。クリスマスあたりには、あと10日、なんとかもってくれと願うような日々でした。痛みが限界に達し、痛み止めも効かなくなって、走れないと決まったのは12月30日でした」

 区間エントリーの時点では、あきらめていなかったのである。気持ちの折り合いがつくわけがない。

「泣きましたね。めちゃくちゃ泣きました。でも、泣いてしまったらスッキリしたのか、自分がやれる仕事をやろうと気持ちを切り替えました。ここで逃げちゃダメだと思いましたし、チームのために仕事をして、自分も人として大きくなれたらと考えました。SNSを利用して自分が走れないことを伝えつつ、青学のことを応援してほしいと思って、レポートさせてもらいました」

 箱根駅伝が終わってから、自ら望む形でキャプテンになった。一方、現役生活は大学までと決め、アナウンサーを志して、生まれ故郷の福井の放送局から内定をもらった。

「キャプテンになってから、練習前のスピーチにはこだわっていました。アナウンサーになるということもありますけど(笑)。それよりも、日々の気づきをポジティブな形でみんなに伝え、前向きな気持ちで練習に取り組んでほしいなと思っていたので」

 部全体をポジティブなムードに。それを意識していたが、自分の故障は一進一退を繰り返した。よくなってきたかな......と思って練習を再開すると、また痛みがぶり返す。夏合宿をすぎても、その繰り返しだった。

 ようやく、練習がしっかり積めるようになったのは、10月に入ってから。そして全日本を前に、田中からこんなことを伝えられた。

「夏合宿に取材していただいた時は、本当に前が見えない状態でしたが、なんとかスタートラインに立てそうです」

 田中にとって、タスキを受け、つなぐこと自体が大きな喜びだった。しかし、全日本の5区を走っている間も、腰から臀部にかけての痛みは田中を苦しめた。

「どこまで行っても、痛みが追いかけてきます」

 MARCH対抗戦を経て、青学大は11月下旬から1週間、最後の強化合宿を千葉・富津で行なう。ここでどれだけビルドアップできるか、田中だけではなく、箱根駅伝連覇を狙う青学大にとっての課題になる。

 来年の4月からはカメラの前で話すことが田中の仕事になる。その前に、箱根駅伝がランナー田中悠登のラストランとなる。

「大手町で笑おう。自分自身が、悔いなく準備して、納得いく走りをして、大手町で笑いたいと思ってます。具体的にイメージできるようになってきました」

 痛みは去らないかもしれないし、収まるかもしれない。

 それでも、田中悠登は向き合う。

 連覇を懸け、青山学院大のキャプテンとして。