2024年の天皇杯覇者が決まった。11月23日に国立競技場で行われた決勝で、ヴィッセル神戸がガンバ大阪を1-0で破って、5大会ぶり2度目の優勝を果たしたのだ。サッカージャーナリスト後藤健生が、関西勢同士の頂上決戦で感じた、日本サッカー界の…

 2024年の天皇杯覇者が決まった。11月23日に国立競技場で行われた決勝で、ヴィッセル神戸ガンバ大阪を1-0で破って、5大会ぶり2度目の優勝を果たしたのだ。サッカージャーナリスト後藤健生が、関西勢同士の頂上決戦で感じた、日本サッカー界の「大きな変化」とは?

■まさに「決勝戦のような試合」

「決勝戦のような試合」という言葉があるが、第104回天皇杯全日本選手権の決勝戦、ガンバ大阪とヴィッセル神戸の「関西対決」は、まさにそんな試合だった。

 そもそも、両チームとも堅守速攻型のチームだけに、「決勝戦のような」試合であると同時に、いかにもこの両チームの対戦らしい試合でもあった。

 ともに、慎重に戦い、守備意識が常に上回っており、そのため、ビッグチャンスの数は少なく、公式記録によれば、シュート数も互いに6本ずつと少なかった。

 G大阪にとっては、エース宇佐美貴史の肉離れによる欠場は痛かった。なにしろ、G大阪は組織的な守備で失点を少なくして、宇佐美が攻撃を組み立て、さらに自ら得点を決めるというのが今シーズンのコンセプトだったのだから。

 それでも、前半はG大阪が優勢に試合を進めた。

 とくに左サイドでは、サイドハーフの倉田秋とサイドバックの黒川圭介が絡みながら縦への突破を繰り返し、そのため、神戸にとってのストロングポイントであるはずの酒井高徳武藤嘉紀が守備に回る時間が長くなってしまった。

 ピッチの中央では、互いのプレスが効いていてパスをつなげない状況なので、サイドで優位に立ったチームが主導権を握ることになる。

 しかし、優勢に試合を進めたG大阪も、神戸の堅守の前に前半無得点に終わる。

 すると、後半は酒井、武藤の右サイドが活性化して次第に神戸が盛り返す。すると、吉田孝行監督もこれに呼応。左サイドハーフに佐々木大樹を投入し、それまでサイドでプレーしていた宮代大聖を中央に置いて、大迫勇也と組ませたのだ。

 これで、攻撃の圧力はさらに高まった。

 そして、交代から5分後の64分に決勝点が生まれた。GKの前川黛也からのロングボールに佐々木が競り合って生まれたルーズボールを収めた大迫が難しい体勢からパスを出し、武藤が持ち込んでクロス。最後は相手DFにも当たったが、フリーになっていた宮代が押し込んだ。

 攻撃に絡むべき選手が全員かかわった、神戸らしい得点だった。

 もちろん、G大阪のダニエル・ポヤトス監督も次々と交代カードを切って反撃を試みたが、神戸も選手を入れ替えながら守備を安定させ、1点を守り切った。

■サポーターにとっても「過密日程」

 この試合には、5万6824人が詰めかけたが、ゴール裏には若干の空席があった。

 やはり、関西勢同士の対決だったことが原因だろう。どちらも万単位のサポーターが駆けつけたが、やはり、残念ながら上京できなかったサポーターもいたことだろう。

 なにしろ、神戸はサポーターにとっても過密日程だ。

 J1リーグの優勝も間近で、来週11月30日(土)のアウェー柏レイソル戦で優勝が決まるかもしれないし、12月にACLエリートの試合で韓国に行く計画を立てているサポーターもいるはずだ。

 もう一つの原因は、決勝戦のスケジュールである。

 かつて、天皇杯決勝は1月1日の元日と決まっていた。

 初めて元日に天皇杯決勝が行われたのは、1968年度の第48回大会。日付でいうと、1969年1月1日のことだった。

 ちょうどメキシコ・オリンピックで日本が銅メダルを獲得した直後の大会で、決勝戦のカードはヤンマーディーゼル(セレッソ大阪の前身)と三菱重工(浦和レッズの前身)。日本代表の2大スター、釜本邦茂と杉山隆一の直接対決となったので、国立競技場には約4万人の観客(主催者側発表)が詰めかけた。

 それ以来、天皇杯決勝は、元日に旧国立競技場での開催と固定されていた。

■この10年で「冬の風物詩」が激減

 明治神宮で初詣を済ませてから国立に回る人も多く、晴れ着姿の女性がスタンドを埋めるなど「冬の風物詩」としてニュース番組にも毎年取り上げられ、サッカーファン以外にもお馴染みとなった。NHK総合テレビで生放送されるため、ふだんサッカーを観戦する機会のない人たちも多く観戦することになった。

 また、毎年、日程が固定されていたため、どこのチームが勝ち残っても必ず観戦に訪れる「固定ファン」も多かった(逆に「元日だから行けない」という人もいたが……)。

 ところが、この10年ほど、元日以外の開催が増えてきていた。

 2014年度の第94回大会は、旧国立競技場の取り壊し工事が始まるため、12月13日に決勝戦が行われた。また、2018年度大会は翌年1月に日本代表がアラブ首長国連邦(UAE)で開かれるアジアカップに参加するため、12月9日に決勝が行われ、2022年には11月にカタール・ワールドカップがあったので、リーグ戦も天皇杯もそれまでに終わらせることになり、決勝戦は10月16日に行われ、2023年度もカタールでアジアカップがあったために前倒しとなり、決勝は12月9日だった。

 そして、今年は「代表チームの日程」といった特別な理由はなかったはずなのに、11月23日に決勝戦が行われた。なぜ元日開催ではなかったのか、説明はないままだ。

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