蹴球放浪家・後藤健生の取材歴は長い。ワールドカップのために「西ドイツ」を訪れたのは、ちょうど半世紀前のこと。ドイツが壁で分断されていた時代だ。■国境警備隊との「やり取り」で…「壁」にはいくつかの検問所がありました。そのうち、最も有名なのが…

 蹴球放浪家・後藤健生の取材歴は長い。ワールドカップのために「西ドイツ」を訪れたのは、ちょうど半世紀前のこと。ドイツが壁で分断されていた時代だ。

■国境警備隊との「やり取り」で…

「壁」にはいくつかの検問所がありました。そのうち、最も有名なのが都心部にあるチェックポイント・チャーリーでした。どうせなら、そこを通過してみたいではありませんか!

 大きな荷物を持って、歩いてなんとかチェックポイント・チャーリーまで辿り着きました。

 ところが、僕の持っていたビザでは、ここは通過できないというのです。結局、近くのフリードリヒシュトラーセ駅から地下鉄(Uバーン)に乗って西側に出ることになりました。フリードリヒシュトラーセ駅は西側からの長距離列車や郊外電車(Sバーン)、地下鉄が乗り入れる、いわば国境の駅だったのです。

 こうして、僕は「ベルリンの壁」を体験したのですが、映像的には「壁」の姿はまったく記憶に残っていません。なにしろ、まだ海外旅行に慣れていない時代のこと。東ドイツの国境警備隊とのやり取りなどで緊張していて、ゆっくり壁を眺めている余裕がなかったのでしょう。

■脱出を試みて「射殺された」者も

「壁」は、人々を分断するもの。大勢の人が「壁」を越えての脱出を試み、ある者は脱出に成功したが、失敗して処罰されたり、その場で射殺された者もたくさんいました。

 そうした忌まわしい「壁」が存在した(する)のは、ベルリンだけではありません。

 たとえば、イスラエルのユダヤ人は、パレスチナに入植しようとしていますが、イスラエル当局はそこに壁を築いてパレスチナ人を追い出しています。複雑な入り組んだ壁が、人々を分断しています。

 もちろん、イスラエルはガザとの境界にも、レバノンとの国境にも「壁」を築いています。

 朝鮮半島では1950年6月に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)軍が南進を開始。以後、激しい戦闘が行われ、結局3年後に休戦協定が締結されましたが、それに伴って軍事境界線が作られ、その両側が非武装地帯(DMZ)となっています。

 ここも、僕は見学に行ったことがあります。休戦交渉が行われ、協定が調印された板門店(パンムンジョム)は、その後も交渉の場となっていますが、その板門店にはソウルからツアーで見学に行くことができます。絶対に、カメラを向けるなとか、北の兵士が手を振ったりしても反応してはいけない、生命の保証はされない、などといった宣誓書にサインをさせられました。

■メキシコ国境は「どうするのか」

 インドとパキスタンの間にも、全長200キロ近い「壁」が築かれています。これは、鉄条網なので厳密には「壁」とは言えないのかもしれませんが、上空から見ると警備のためか煌々とした照明に照らし出されているのでビックリします。

 僕も、中東に行った帰りに飛行機の窓から下を見ていて、この印パ国境を見たことがあります。その照明の明るいこと! とても、1万メートル近い上空から見ているとは思えない光景でした。印パ国境紛争のことは知っていましたが、あんな「壁」があるとは知らなかったので、かなりビックリしたものです。

 今回取り上げたのは、世界の「壁」のごく一部です。北アイルランドのベルファストの街中のカトリック地区とプロテスタント地区を隔てる「壁」。分断されたキプロスをギリシャ側とトルコ側に隔てる「壁」。一国二制度が形骸化しても、なお両側を厳然とわける、中国(中華人民共和国)と香港特区の間の「壁」。

 そういえば、第1期政権ではメキシコ国境に「壁」を建設するのに熱心だったドナルド・トランプ次期大統領は、今回は「壁」のことはあまり言ってないようですが、どうするつもりなんでしょうかね?

いま一番読まれている記事を読む