生涯現役を貫き、日本最高齢の競走馬として走り続けたヒカルアヤノヒメが亡くなって今日11月15日で1年が経つ。19歳まで地方・名古屋競馬で走り続け、オーナーは好物のニンジンやりんごを持って頻繁に厩舎を訪れ、ジョッキーたちは「アヤノ」「アヤ…

 生涯現役を貫き、日本最高齢の競走馬として走り続けたヒカルアヤノヒメが亡くなって今日11月15日で1年が経つ。19歳まで地方・名古屋競馬で走り続け、オーナーは好物のニンジンやりんごを持って頻繁に厩舎を訪れ、ジョッキーたちは「アヤノ」「アヤノさん」と親しんだ。井上哲調教師は「僕らの言うことをだいぶ分かっていたんじゃないかな」と感じていて、「もう部屋に帰っていいよ」と言うと、自分で馬房に入って行くほどだったという。

 そして、ヒカルアヤノヒメは一人の少年をジョッキーへと育てた先生でもあった。

「大きな経験でした」と話すのは、今年4月デビューから半年弱で通算50勝に到達と活躍を見せる望月洵輝騎手。地方競馬では競馬学校にあたる地方競馬教養センターで2年の訓練を受けたのちデビューするのが一般的で、そのうち約5カ月間は所属予定の競馬場で実習を行う。望月騎手が昨年、競馬場実習初日に初めて跨った馬がヒカルアヤノヒメだった。

「センターで乗っていた馬と違って現役の競走馬はパワーがあって元気がいいというイメージが強かったので、厩舎の方から『ヒカルアヤノヒメは一番大人しいから大丈夫だよ』と言われてもドキドキしながら乗っていました。でも、馬場に出てみたらすごく大人しくて、そこでちょっと緊張がほぐれました」

 自分より2歳年上のヒカルアヤノヒメがリードしてくれたのだった。その後の調教も同様で、実習初日で右も左も分からない中、ヒカルアヤノヒメ自ら速歩1周とキャンター2周をし、特定の場所まで来ると止まってくれた。「ヒカルアヤノヒメで馬場の使い方を覚えました」と感謝する。

 しかしちょうど1年前、突然の別れはやってきた。名古屋競馬の開催日、競馬場で先輩の手伝いをしたり、レースを見るなど実習を終えて厩舎に帰ってくると、井上調教師からこう告げられた。

「アヤノヒメが亡くなった。馬房に手を合わせてこいよ」

 悲しみとショックで、なかなか馬房に足が向かなかった。気持ちの整理がつき、なんとか馬房の前までたどり着くと、手を合わせながら「今までありがとう」と思いを伝えた。

 最近になってもヒカルアヤノヒメのファンから手紙が届くことがある。同馬に関する記事で望月騎手のことを知り、応援してくれているのだという。ヒカルアヤノヒメの馬房に置いてあったのと同じお守りも届き、持ち物に着けている。

 あれから1年。望月騎手はデビュー前からの目標だったヤングジョッキーズシリーズ総合優勝にむけて、ファイナル出場を決めるなど奮闘している。

(文・大恵陽子)