通算連続出場回数で歴代1位を継続する玉鷲 photo by Jiji Press大相撲2024年9月場所3日目。39歳の鉄人・玉鷲が輝を押し出しで破り、初土俵から通算連続出場を1631回とし、歴代単独1位となる輝かしい記録を白星で飾った。そ…
通算連続出場回数で歴代1位を継続する玉鷲
photo by Jiji Press
大相撲2024年9月場所3日目。39歳の鉄人・玉鷲が輝を押し出しで破り、初土俵から通算連続出場を1631回とし、歴代単独1位となる輝かしい記録を白星で飾った。
その記録を千秋楽に1643回にまで伸ばし、来る11月場所を迎えようとしている。そんな角界の"鉄人"に、偉業を達成した先場所の心境、これまでの長い力士人生を振り返っていただいた。
大相撲・玉鷲インタビュー 前編
【一日一番という言葉は好きじゃない】
――連続出場記録更新がかかった9月場所。そのあたりの意識やプレッシャーはありましたか。
玉鷲 ないって言ったら噓になるけど、意識するほどではないという感じ。でも、(達成の)その日はすごく感じましたね。自分はただただ頑張ってきただけで、周りが騒ぐほどのことではないと思っていたんだけど、あの日はもう、「今日、俺優勝した?」ってくらいの喜びを感じました(笑)。
――ちなみに記録のことはいつくらいから、どんなきっかけで意識するようになったんですか。
玉鷲 3年前くらいに記者さんに言われてからですね。でも、別にだからといってそれを意識して生活してきたわけじゃないんです。普段の生活を普通に過ごすのと、稽古は番数じゃなくて、内容を重視してきました。
――まさに「一日一番」といった心持ちだったということでしょうか。
玉鷲 いや、実は私、「一番一番」とか「一日一番」って言葉はあまり好きじゃないんですね。難しい話なんだけど、例えば20歳くらいの頃だったら、この1年頑張ろう、30歳だったらこの半年頑張ろう、35歳だったらこの場所、40歳になったら、やっと一日一番を頑張ろうって言えるのかもしれないと思うんです。もし最初から、「一日一番」と考えたら、引いたって変わったって、とりあえず今日だけ勝てばいいと思ってしまう。半年、1年と遠い未来を常に考えたら、毎日、はたいていたら続かないと思えますよね。だから、若い子がそう言うのはよくないなと。
――つまり、若い人ほど力士としての寿命は長いのだから、長く取ることを考えて、「次につながる相撲」を取れているかどうか、ということですね。
玉鷲 はい、その通り。だから私は、一日一番っていうのは、「40歳を過ぎてから言いなさい」って言いたいです。でも、私でもそれはまだ言いたくない気持ち。なぜなら年を感じちゃうから(笑)。私がいまやっているのは、15日間を3つに分けて、5番のうち3番勝てばいいって思うやり方。15日間は長いので、そうやって考えています。
【長く取れるのは「自分だけの体じゃない」から】
――もうすぐ40歳になる関取ですが、長く取れている秘訣は?
玉鷲 突き押しという型とか、師匠(片男波親方、元・玉春日)が基本を大事にと教えてくれたこと、両親が丈夫な体に生んでくれたこともありますかね。あとは自分の相撲に対する考え方で、一日一番の考えだと、片足で無理して粘ってっていうことをしてしまうけど、次のことも考えて、負けるときはあっさり。その代わり、自分が負けたこと、弱くて負けたということをしっかり納得する必要があります。
それと、私には愛する家族がいます。つまり、自分の体は自分だけのものじゃない、家族の体なんです。それを無事に返してあげないといけない。だからいつも場所から帰ってくると、「無事に返したよ」って言っているんです。
――いい表現......じーんとしちゃいます。相撲未経験で大相撲界に飛び込んだ最初のとき、まさかここまで活躍していると思っていましたか。
玉鷲 全然。最初は、肉まんみたいな太った人がやっているんでしょって、ナメていたんです。でも、入った瞬間に衝撃を受けた。触らなくても、見ただけでものすごい筋肉だってわかったんです。でも、いつか自分もこうなるって思い続けました。モンゴルで、1カ月で10kg増やして体重を110kgにしてから入門して、最初の半年は相撲を取らず、ずっとスクワットとか運動をしていました。
――つらいことも多かったと思うのですが、どう乗り越えたのでしょうか。
玉鷲 入ったからには、両親の名を汚したくないという気持ちでした。あの家の息子、結局ダメで帰ってきたよ、なんて言われたらと思うと、その苦しみは自分の稽古のつらさよりも上にありましたから、稽古は全然苦しくなかったですね。
ちなみにモンゴルでは、大相撲の放映が幕内だけなので、十両でも関取だと思われていない節があるから、幕内に上がったら帰ろうと思っていたんです。入門して5年目、十両2枚目で勝ち越して、「絶対、次は新入幕だ」と思って5月場所後にモンゴルに帰りました。そしたら、「(十両)筆頭ですよ」って。きつかったですね(笑)。
――十分、立派なのに......。これまで、相撲を辞めたいと思ったことはありますか。
玉鷲 はい、26、27歳くらいの頃、幕内と十両を行ったり来たりしていた時期です。最初は、勝ち越したことを母から電話で「おめでとう!」と言ってもらっていたんですが、徐々に連絡頻度が低くなってきました。その瞬間、ああ自分はもう必要とされていないんだっていうのが寂しくて、何のためにやっているんだろうと、心が弱くなりました。
――それはどうして乗り越えられたんですか。
玉鷲 師匠から厳しい言葉を毎日いただいたからです。稽古も本当に厳しくて苦しかったけど、たくさん、たくさん話して。それで、ある時に変わった実感があったんです。やればやった分、強くなる。あれ、俺のこの右手、こんなところまで飛ばせたんだ、とかね。そうしたらだんだんまた楽しくなってくる。その頃から、自分の体と対話することが大事だなとも思うようになりました。
【「運は作るもの」の真意とは?】
――これまで、さすがに休場しないといけないのでは、と思うようなことはありましたか。
玉鷲 ありますよ。ヒザの内側を打って、触るのも立つのも痛い。朝起きても紫色で痛いままだったので、部屋へ行って師匠に「休場していいですか?」と聞いたら「ここまでどうやって来たんだ? 歩いて来たんだろう? じゃあ、大丈夫だ」って(笑)。
――すごい理論ですね......(苦笑)。
玉鷲 その後、まわしを着けていろんな立ち合いを試して、そこからまた強くなった。こういうきっかけってたくさんあるんです。ケガは、体の使い方が下手だからするもの。ケガをしたら、じゃあ、違う体の使い方をしようとなって、また強くなるんです。
あともうひとつ、痛みって、その人にしかわからないじゃないですか。自分の痛みと人の痛み、それがどれくらいなのかは比較できない。測れるなら測ってみたいですよね。だから、自分は痛くても、たいしたことはないんじゃないかって思うことのほうが多いんです。それも(連続出場を続けられた理由でも)あるかな。
――痛みに強いんですね。運のよさも感じたりしていますか。
玉鷲 運はね、作るもの、感じるものです。人間の運は、だいたいみんな同じ量と決まっていて、それをどこで、どううまく使うかが大事だと思っています。たくさん苦しみがあったら、ほんのちょっとのいいことがあれば、それを大きく喜べるでしょう? それでいいんです。
師匠は、こんなことも教えてくれました。遊んでもいいから、遊ぶときはしっかり遊ぶ。そのあとはたくさん稽古する。適当に遊んだら、稽古も適当になるから、しっかり楽しんで、しっかり苦しむ。若い衆の頃に、そうやって教えてもらったのはとてもよかったですね。
後編〉〉〉
【Profile】玉鷲一朗(たまわし・いちろう)/1984年11月16日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身。身長189cm、体重178kg。片男波部屋所属。本名・玉鷲一朗。相撲経験なしで19歳の時に角界入りし、初土俵は2004年1月場所、新入幕は2008年9月場所。2015年3月場所で新三役となり小結に、2017年1月場所から自身最高位の関脇に昇進。その後、番付を上下しながら連続出場を続け、2019年1月場所では34歳2カ月で幕内初優勝、2022年9月場所では昭和以降では最高齢の37歳10カ月で2度目の優勝を飾った。2024年9月場所3日目で初土俵からの連続出場記録を1631回として歴代1位となり、その記録を1643回まで伸ばして、11月場所を迎える。