サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、名古屋グランパスとアルビレックス新潟の手に汗握る決勝が話題となったルヴァンカップの「意外…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、名古屋グランパスとアルビレックス新潟の手に汗握る決勝が話題となったルヴァンカップの「意外と知らない」本当の話。

■タッチラインの手前で「カズダンス」

 それはともかく、1992年11月23日、第1回ナビスコカップ決勝戦、国立競技場のスタンドではひっきりなしにチアホーン(この年限りで禁止になった)が鳴り響き、両チームの活発な攻守に沸き続けた。そして後半12分、ヴェルディのMF戸塚哲也が、彼ならではのスラローム・ドリブルで前進し、2人の相手DFの間を走るカズにパス。ワンコントロールしたカズは、相手を左にかわすと、低いシュートをエスパルスゴールの右隅に送り込み、ヴェルディに勝利をもたらした。

 もちろん、この後カズはテレビカメラによく写るようメインスタンドに向かって走り、タッチラインの手前で有名な「カズダンス」を披露する。このときカズ25歳。ブラジルから戻って2年、日本代表でも文句なしのエースとなり、コンスタントに、しかも重要な場面でドラマチックなゴールを決め、私の考えでは、選手としてピークにさしかかった頃だった。

 終盤、エスパルスは猛攻をかけた。しかし、ミランジーニャとトニーニョの「ブラジル代表FWコンビ」のシュートはわずかにゴールの枠をとらえきれなかった。最後にはDF平岡宏章が右からファーポストまで届くロングスローを見せたが、それも実らなかった(ロングスローが別に目新しい戦術でないのは、このひとことでもわかる)。

■決勝戦のハイライトを「視聴しよう」

 こんな調子で32大会の歴史を書いていたら、1冊の本になってしまう。興味を持った方は、ぜひJリーグの公式サイトで全大会の決勝戦の動画を見てほしい。トップページの右に並んでいるバナーの上から8番目、赤い「Levain Cup」とあるもの(いちばん上の「Levain Cup FINAL」ではない)をクリックすると、「大会情報はこちら!」という赤い帯の下に8つの黒い窓がるので、下列右端にある「大会概要・大会の歴史」に入ってほしい。その中で「大会の歴史」を選ぶと、1993年から2023年までの決勝戦のハイライトをすべて見ることができる。

 年代をたどっていくと、この大会、この決勝戦にかけた両クラブとサポーターたちの情熱や思いがひしひしと伝わってくるはずだ。レオンの話で出てきた1996年の決勝戦では、「丸刈りのカズ」という世にも珍しい姿も見ることができる。

 1995年に大会が行われなかったのは、「過密日程」によるものだった。1993年に10クラブでスタートしたJリーグ。試合数を確保するために、ホームアンドアウェーの2回総当たりを2ステージ繰り返し、1クラブあたり年間の試合数を36とした。ナビスコカップは、その間に入れられた。

■たびたび変更されている「大会方式」

 しかし、1994年に2クラブ増えて12クラブで2ステージをすると年間44試合。1995年にまた2クラブ増えると52試合になってしまった。これではナビスコカップを入れることなどできないと、中止になったのだ。翌1996年は、また2クラブ増えて16クラブとなったが、1ステージ制、年間30試合とすることでナビスコカップを復活させた。

 大会方式はたびたび変更されているが、昨年までの大半の大会では「グループステージ+準々決勝からのノックアウトステージ」という形がとられてきた。それを今年Jリーグは、J1からJ3まで全60クラブ出場、1回戦からのノックアウト方式に改めた。来年以降もこの形が踏襲される予定だ。

 決勝戦は32大会中31大会が「中立地=もちろん国立競技場を含む」での1戦制だが、1997年の第5回大会はホームアンドアウェーの2戦制で行われた。対戦は「ジュビロ磐田×鹿島アントラーズ」。90年代後半のJリーグを牽引する2強である。第1戦は磐田で行われ、鹿島が劣勢だったものの、数少ないチャンスを生かして2-1で競り勝った。そして鹿島での第2戦は、鹿島が立ち上がりから圧倒し、5-1で連勝して初優勝を飾った。

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