蹴球放浪家・後藤健生は世界を渡り歩く。時には、疑惑の目を向けられることもある。ジャーナリストを警戒する国もあるからだ。そうした人物とのコミュニケーションも、放浪には欠かせない、醍醐味なのだ。■「アウェー戦」観戦のためにハノイへ 2007年…
蹴球放浪家・後藤健生は世界を渡り歩く。時には、疑惑の目を向けられることもある。ジャーナリストを警戒する国もあるからだ。そうした人物とのコミュニケーションも、放浪には欠かせない、醍醐味なのだ。
■「アウェー戦」観戦のためにハノイへ
2007年の秋、反町康治監督率いるU-22日本代表は、翌年に北京で開かれるオリンピックのアジア最終予選に挑んでいました。
日本はホームではベトナム、カタールにともに1対0で連勝していましたが、アウェーではカタールに敗れ、サウジアラビアとも引き分けと厳しい戦いが続いていました。
そして、11月17日にベトナムとのアウェー戦があったので、僕もベトナムまで観戦に出かけました。
ふだんだと東南アジアなどでは観光資格で入国してしまうのですが、このときはちゃんと報道ビザ(B1ビザ)を取って出かけました。実は、この年の7月に東南アジア4か国共同開催でアジアカップがあり、そのときは報道ビザを取って入国していました。それなのに、入国検査で「今度は観光です」と言ったら疑われるかもしれないと思ったのです。
成田空港からシンガポール航空でバンコクに入り、バンコクからエアアジアでハノイに向かいました。バンコク経由にしたのは、ベトナム戦の翌日、バンコクでU-19アジアカップ予選のタイ戦を観戦するためでした。
■若い女性が「どこに泊まるんですか」
さて、バンコク経由でハノイのノイバイ空港に到着したのは、20時過ぎのことでした。もう、あたりは真っ暗です。
入国審査を済ませて到着ロビーに出たところで、突然、呼び止められました。そこには情報省の職員だという若い女性が待っていたのです。
報道ビザを取ったので、その連絡が情報省に行ったのでしょう。報道ビザを取って海外に行ったことはそれまでにも何度もありましたし、その後も何度かあります。しかし、現地の政府職員が接触してきたことは初めてでした。
「いったい、何事! 何か嫌疑でもかけられているのか?」
ちょっと狼狽えましたが、でも、まあ、若い女性の歓迎を受けたわけですから、喜んでおくことにしました。さらに、女性官僚は「車で市内までお送りします」と言うではありませんか。これで、タクシー代も浮くというわけです……。
で、「どこに泊まるんですか」と聞かれました。
先ほども書きましたが、7月にアジアカップがあって、グループリーグから準決勝まで日本はハノイで戦ったので、僕はハノイに17泊もしました。
そのときはハノイ駅の近くの庶民的な街の家族経営のホテルに泊まっていました。ホテルの人たちもとても親切でしたし、部屋の鍵など締める必要もないようなアットホームな雰囲気。しかも、周囲には安くて美味しい食べ物屋が軒を接していましたし、そんな中にお洒落な欧風のカフェなどもあって、とても居心地の良い滞在でした。
■半月以上も滞在「ツテを頼って…」
そうそう、アジアカップのときには、せっかく半月以上もハノイに滞在するのでと思って、ツテを頼って先生を探して、ベトナム語のレッスンもしました。
試合がないヒマな日にはホテルまで先生に来てもらって、発音や単語などを習いました。ハロン湾まで日帰り観光に行ったときは、作文も書かされました。
ベトナム語は中国語に近い言葉です。日本人が中国語を習うときに最も難しいのが「声調」です。同じ「マ」と言う発音でも、音の高低によって意味が違ってきてしまいます。平板な発音や、低い音から高い音に上がっていく発音など、中国語の標準語(普通話)には4つの声調がありますが、ベトナム語には6声調あります。
ですから、聞いていると音楽のように美しい言葉なのですが、「声調」の観念がない日本人にとってはやっかいなものです。
せっかく習ったベトナム語ですが、今ではほとんど忘れてしまいました。ですが、当時はタクシーに乗ってベトナム語で行き先を伝えるくらいのことはできるようになっていました。
もっとも、タクシーに乗って行くところといったらスタジアムとホテルしかないわけですが(市内だったら徒歩かバスで移動しますから)。