サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、名古屋グランパスとアルビレックス新潟の手に汗握る決勝が話題となったルヴァンカップの「意外…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、名古屋グランパスとアルビレックス新潟の手に汗握る決勝が話題となったルヴァンカップの「意外と知らない」本当の話。

■最初の公式大会にして「世界最長の大会」

 さて、ルヴァンカップ、正式名称「JリーグYBCルヴァンカップ」という大会が、かつては「ヤマザキナビスコカップ」という名称だったこととは多くの人が知っているに違いない。Jリーグが正式にスタートする1993年に先立つ1992年に「最初の公式大会」として開催され、1995年は開催を見送ったものの、それ以外は毎年続いて今回が第32回。「同一スポンサー名を冠した世界最長のプロのサッカー大会」として、ギネスブックに認定されていることも、よく知られている。

 日本の「リーグピラミッド」の頂点に立つJリーグ(その優勝チームが、その年度の「日本チャンピオン」である)、原則として日本サッカー協会の登録全チーム(といっても大人の男性チームだけだが)に門戸が開かれている「天皇杯」と並び、「日本サッカーの三大大会のひとつ」というのが、ルヴァンカップである。

「山崎製パン」傘下のお菓子会社が、アメリカの「Nabisco」社と結んでいたブランドライセンス契約が切れ、「ヤマザキビスケット」となることを契機に、2016年に「YBC(ヤマザキビスケット株式会社)ルヴァンカップ」と改称された。会社の改称はJリーグのシーズン途中の9月1日であり、当然、大会も半ばだったが、Jリーグはグループリーグを「ヤマザキナビスコカップ」として開催し、ノックアウトステージは「YBCルヴァンカップ」と銘打って決勝戦まで続けた。

 どうでもいい話だが、取材する私たちにとってこの大会の小さな喜びは、会場に行くと記者室にクラッカーやクッキーなどのお菓子がたっぷり用意されていることだ。「豪傑」として鳴らした私の先輩記者などは、試合後の記者会見が終わると、演壇に飾られているクラッカーやクッキーの箱をつかみ、広報担当者に「これ、もう不要だからもらっていっていいよね」と、バッグにしまっていた。

■どのクラブも準備段階「チーム名に親会社」

 第1回大会は、1992年の秋、9月5日に開幕し、11月23日に決勝戦が行われた。出場は翌年からのJリーグに参加する10クラブ。全チームが1回総当たりのリーグ戦を行い、上位4チームで準決勝、決勝という形だった。

 翌年のリーグ・スタートに向けて、どのクラブもまだ「準備段階」にあった。スタジアムも改修中のところが多く、使用スタジアムはさまざまだった。「カシマスタジアム」の竣工予定が翌年春だった鹿島アントラーズは、最初のホームゲームを茨城県ひたちなか市の笠松運動公園で開催した後、残りの「ホームゲーム」は、東京の国立競技場、名古屋の瑞穂球技場、広島の広島県総合グラウンドで開催した。最後の2つは、いずれも相手(名古屋グランパスエイト、サンフレッチェ広島)のホームスタジアムだった。

 クラブ名も、「ホームタウン名+ニックネーム」というJリーグの大原則がまだ完全に適用されておらず、鹿島、名古屋、広島、そして清水エスパルスの4クラブを除く6クラブには、「親会社名」がつけられていた。

「東日本JR古河サッカークラブ(翌年はジェフ市原)」、「三菱浦和フットボールクラブ(浦和レッドダイヤモンズ)」、「読売日本サッカークラブ(ヴェルディ川崎)」、「日産FC横浜マリノス(横浜マリノス)」、「全日空佐藤工業サッカークラブ(横浜フリューゲルス)」、「パナソニックガンバ大阪(ガンバ大阪)」といった具合である。

■決勝戦の観客数は「最多入場可能数」以上

 決勝戦は、「公式記録」に掲載されている名称のまま記載すると、「読売ヴェルディ川崎×清水エスパルス」。1992年11月23日、東京国立競技場で開催された。観衆は5万6000人と記録されている。

 日本のスポーツでは、観客数は長い間「当事者発表の概数」ということになっていた。言ってみれば、主催者が適当な数字を発表していたのだ。サッカーではないが、6万人が限界の旧国立競技場で「8万5000人」と発表されたこともある。プロ野球のとある人気球団は、4万6000人しか入らない球場で毎試合「5万6000人」の発表をしていた。

 しかし、Jリーグでは、初の公式戦となった9月5日のナビスコカップ第1節から「実数」の発表に踏み切った。販売したチケット数ではなく、当日、入場ゲートでもぎった「半券」を試合中にスタッフが懸命に数え、後半なかば過ぎまでに集計して発表するという方法がとられたのである。

 同じ国立競技場で行われた「ヴェルディ×アントラーズ」の準決勝(10月16日)も3万9390人の「大観衆(当時としては驚くべき数字だった)」を集めた。しかし、決勝戦はそれどころではなかった。あまりに観客数が多く数えきれなかったため、当時の国立競技場の最多入場可能数である5万6000人の発表をしたのだ。

 もちろん、今の「東京2020」のために新築された現在の国立競技場ではなく、「旧国立競技場」である。メインスタンド、バックスタンドはもちろん、両ゴール裏も最上階まで文字どおり「立錐の余地もない」ほどの満員。最上階背後の通路にもびっしりと人が立っていた(これは「消防法」で違法である。もしかしたら、定員を大幅に超す観客を入れてしまったため、「5万6000人」の発表をしたのかもしれない)。

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