今夏に開催されたパリ2024パラリンピック。パラカヌーが正式に採用された2016年リオデジャネイロ大会以降、アジアで唯一3大会連続で世界最高峰の舞台に上がったのが、瀬立モニカ(KL1)だ。結果は、3年前の東京大会を一つ上回る6位。“3度目の…
今夏に開催されたパリ2024パラリンピック。パラカヌーが正式に採用された2016年リオデジャネイロ大会以降、アジアで唯一3大会連続で世界最高峰の舞台に上がったのが、瀬立モニカ(KL1)だ。結果は、3年前の東京大会を一つ上回る6位。“3度目の正直”とはならず、メダル獲得には至らなかった。それでもゴールした瞬間は「嬉しさの方が勝っていた」と語った瀬立のレースを振り返る。
後半の伸びに手応えを感じたパリでの初レース
「すごく気持ちが良かったです」。9月6日、パリでの初レースを終えた瀬立は、照り付ける太陽の日差しにも負けないほどのまぶしい“モニカスマイル”を見せた。
8月28日に開幕したパリパラリンピックも後半にさしかかった9月2日に現地入りした瀬立は、2度の公式練習で好感触を覚えていた。「東京大会の会場だった海の森(水上競技場)と似た雰囲気で、すごく漕ぎやすさを感じました」
予選レースの前日は緊張感に押しつぶされそうになったが、それでも翌日のレース前には、すっかり気持ちが切り替えていた。「せっかくパラリンピックに出られたのに、楽しまないのはもったいない。そう思ったらうまく開き直ることができました」
“元気に堂々と自分らしく”をテーマに今大会に臨んだという瀬立。スタート前には日本から駆け付けた応援団や地元の観客たちからの“モニカコール”に背中を押され、気持ちは緊張感から高揚感へと変わっていった。
予選レース1組目に登場した瀬立は、スタートこそやや出遅れたものの、後方から猛追した。後半に入ってもスピードは落ちるどころか、終盤での見事な伸びはこれまでの最高と言って良かった。残り20mで1人をかわし、そのまま勢いよくフィニッシュ。惜しくもわずかな差でもう1人とはいかなかったが、58秒38の好タイムで3位に入った。
聞けば、出遅れたスタートは右から吹く風への対応に神経を取られ、はじめの3パドルはバタついたという。それでも4パドル目からは、昨年から取り組んできた無駄な力を入れない理想のパドリングができた。スタートで出遅れながらも58秒台前半を出した自身のパフォーマンスに、「練習通りにできた」と瀬立は自信をみなぎらせた。
生かされた東京大会での経験
大会最終日の8日、瀬立は再びレースに臨んだ。予選レースで組1着に入った2人が、すでに決勝に駒を進めており、この日はまずそのほかの9人で準決勝2レースを行い、それぞれ上位3人の計6人が決勝に進出することになっていた。
2日前は汗ばむほどの陽気に包まれていたパリは一転、その日は秋の様相を呈し、気温は15度と肌寒さを感じるまでになっていた。だが、瀬立は対策を万全にしていた。それは過去の経験が生かされたものだった。
3年前の東京大会、それまでの猛暑が嘘だったかのように、瀬立のレース日は肌寒く、激しい雨が降りつける悪天候だった。想定外の事態にレース後、瀬立は「対応しきれなかった」と反省の言葉を口にしていた。
同じ轍は踏むまいと、気温が下がることも見越していたという瀬立はカイロを日本から持参していた。準決勝の日は朝からそのカイロで下半身を温めるなどして、しっかりと対策を講じたという。それが奏功し、準決勝は予選以上のパフォーマンスを披露。リオ、東京パラリンピックの2人の金メダリストが入った組のなかで「少しもミスはできない」という緊張があったなか、「バシッと決めた」と語るほどの完璧なスタートを見せた。
その後も2人の金メダリストに挟まれながら高い集中力で水上をしなやかに進み続けた瀬立は、中間の100m時点で東京大会金メダリストのエディナ・ミュラー(ドイツ)とトップ争いを繰り広げた。惜しくも1位の座は譲ったものの、57秒98で2位となり、決勝進出を決めた。リオでは10秒以上、そして東京では4秒以上という大差をつけられたミュラーとの差は、わずか0.88秒だった。
ケガを乗り越えてつかんだ特別な6位入賞
準決勝から1時間半足らずで行われた決勝も、しっかりとスタートを決めた瀬立は、最初の10mを3番目で通過した。そして30mまでは2位争いをしていたが、そこから徐々に遅れ始めた。100mの時点ではトップ3人が大きくリードするなか、瀬立は6番目にまで落ちていた。後半に入っても予選や準決勝のような伸びを見せることはできず、6位でフィニッシュ。58秒73というタイムを見れば、決して悪いレースではなかった。しかしトップからは7秒近く、5位からも4秒近くの差をつけられ、メダルへの道のりの険しさを改めて実感したレースとなった。
それでも過去を上回る「6位」という成績には「嬉しさしかない」と瀬立。「今回の6位は特別だったなと思います。世界選手権で9位だった5月の時点では(パラリンピックの)決勝に出ることが目標でしたから」
ずっと痛めていた左手首は限界に達し、医師からは「治るかわからない」と言われながらも昨年3月に手術に踏み切った。その左手首は完治するまでには至らず、今大会は現地入りする前に痛み止めの注射を射ち、テーピングで固定しながらなんとかレースに臨んだ状態だった。そんななかパラリンピックでは日本パラカヌー界最高成績となる6位入賞は、瀬立には誇らしかった。
「パラリンピックってこんなにも輝やかしい場所なんだということを改めて感じました。この3年間は自分のために頑張ろうと思ってやってきましたが、それがどんなに難しいことかを痛感しました。自分のためだけだったらもう頑張らなくていいやって思うことが頻繁にあったんです。それでも自分を信じて過ごしてきて、今日決勝でレースができたというご褒美につながったように思います」
4年後のロサンゼルスパラリンピックに向けての気持ちは、まだ固まってはいない。それでも「これでやめようと思っていましたが、やっぱりパラリンピックは楽しいなと思った」と語り、保留とした。
金メダリストとは6秒78、銅メダリストとは5秒60と、メダル獲得への道のりはまだまだ険しい。しかしKL1女子では、瀬立の26歳という若さは飛び抜けている。実際、今大会のメダリスト3人の平均年齢は38歳、ファイナリスト8人中、20代は瀬立ただ一人で、ほかは38~54歳だった。そう考えれば、瀬立には大きな可能性があり、伸びしろしかないと言えるだろう。
ロスで瀬立の姿が見られるかはまだ不明だが、それでも期待せずにはいられない。