連載 怪物・江川卓伝〜高木豊が振り返る衝撃の初対面(前編)>>過去の連載記事一覧 元大洋(現・DeNA)の"安打製造機"というよりも、"スーパーカートリオ"の高木豊と言ったほうが、オールドファンには馴染みが深いかもしれない。球団…

連載 怪物・江川卓伝〜高木豊が振り返る衝撃の初対面(前編)

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 元大洋(現・DeNA)の"安打製造機"というよりも、"スーパーカートリオ"の高木豊と言ったほうが、オールドファンには馴染みが深いかもしれない。球団歴代4位となる1668安打(通算1716安打)に加え、球団トップとなる8度の3割超え。

 また、高木は選球眼もすばらしかったが、先見の明もあった。2018年にプロ野球OB選手として第1号となるYouTubeチャンネル『高木豊 Takagi Yutaka』(現在の登録者51.4万人)を開設したのだ。

「最初は軟派に見られましたが、今ではみんなやっていますから。『ふざけるな!』っていう話ですよ(笑)」

 その高木が、あの怪物・江川卓を初めて見たのは、中央大1年の6月、日米大学野球選手権日本代表セレクション会場となった駒澤大グラウンド内だった。


現役時代は8度の3割をマークするなど稀代のヒットメーカーとして活躍した高木豊

 photo by Kyodo News

【江川卓と衝撃の初対面】

「いやぁ圧倒感というか存在感というか、想像以上のものがありましたよ」

 高木は感情豊かに、驚きの口調で語った。

 セレクション会場となった駒澤大グラウンドには、全国から50人ほどの大学生が集められた。東京六大学、東都リーグを中心に、甲子園で活躍し大学野球でも実力を発揮している者、高校時代は無名でも大学野球で名を馳せた者など、精鋭が集った。

 法政大4年の江川、金光興二、植松精一、明治大の鹿取義隆、豊田誠祐、慶應大の堀場秀孝といった六大学のスター選手たち、東都からは駒澤大の石毛宏典、専修大の中尾孝義、東洋大の松沼雅之。さらに東海大の1年生・原辰徳もいた。

 高木は、多々良学園(山口)のエース兼4番として活躍し、一度も甲子園の土は踏めなかったが、中央大に進学してから持ち前の才能が開花。入学早々にレギュラーを獲得し、春のリーグ戦で打率.340を記録。大学1年ながら原とともに大学日本代表セレクションに呼ばれたのだ。

 そのなかでも、ひと際異彩を放っていたのが江川だった。

「これが法政の江川さんかぁ......」

 高木は3つ上の江川を、雲の上の存在として眺めるしかなかった。

 その合宿中、高木は普通じゃ考えられない場面に遭遇したのだ。

 たまたまブルペンを通りかかった時だ。ちょうど江川がブルペンでのキャッチボールを終え、ピッチングを始めようとする時だ。江川は手伝いに来ていた駒澤大の1年生キャッチャーを呼び寄せ、「捕れるか?」と聞いている。仮にも、東都の名門である駒澤大に入ってくるキャッチャーに「なんて失礼なことを聞くんだろう」と訝しながら高木は見ていた。

「はい、捕れます」

 その1年生キャッチャーは即答した。

 仏頂面の江川はやさしい口調で「マスクだけはちゃんとつけておいてな」と言って、プレートをならし始めた。1年生キャッチャーは所定の位置に戻ってマスクをつけ、ミットをバシバシ叩く。江川はゆっくりとしたワインドアップモーションからボールを投じた。

「キュルキュルキュル、バシッ!」

 空気を切り裂く江川の豪速球が、キャッチャーミットを弾く。

「やっぱり代わろう」

 1年生キャッチャーはマスク越しにうなだれた様子で、先輩捕手への交代を余儀なくされた。

 その一部始終を見ていた高木は、驚くというより呆気にとられた。あの発言は、よほどの自信の表われだったんだと気づいた。江川という当代きってのスターは、次元を遥かに超えた存在だった。

【ベースに近づくにつれて加速してくる】

「江川さんとの対戦成績(93打数24安打、打率.258、4本塁打、11打点)を見ると、4打席に1本はヒットを打っていることですよね。まあまあの結果じゃないですか。でも、江川さんの全盛期に打ったというのはあまり記憶になくて、ちょっと落ちてきた頃に打ったかなという感じはしますね」

 抜群のバットコントロールを誇った高木に、江川の球質について尋ねてみた。

「まず球が大きく見えますよね。あとは回転がよかった。だからバットに当たっても全部弾かれて、ファウルか凡フライになる感覚はありました。ホップする感じはなかったけど、やっぱりほかの投手とは違う球質だというのは一目瞭然でした。とにかく、ベースに近づくにつれて加速してくる感じがしました。本当だったら初速と終速があって、初速のほうが絶対速いはずなのに、江川さんのボールって逆に加速してくる感じがありました」

 一流のバットマンたちが「江川の球はホップするように見える」という声が多いなか、高木にはその感覚はなかった。それでもホップこそしないものの、加速していたと高木は証言する。

 いくら異次元のストレートを投げようとも、真っすぐとカーブの2種類しかないのに、どうして打てないのかと聞くと、こんな答えが返ってきた。

「江川さんはカーブもよかったですけど、それだけを待っていたら打てますよ。そこまでのカーブじゃない。ほかにいいカーブを投げる人はたくさんいましたから。ただ、あの真っ直ぐがとんでもなくすごいため、カーブだけを待つことができないんですよ。あのストレートがある以上、打席は真っすぐ狙いをするしかない。それに江川さんって頭がいい人で、ボールが先行してスリーボールになっても、カーブで簡単にカウントをとってくる。まあ、その球を狙った時はありましたけどね」

 洞察力にも長けていた江川は、打者の狙いと違う球でカウントを整えてくる。そして勝負球は、打者の狙っているストレートを堂々と投げて打ちとる。これが江川のピッチングスタイルなのだ。

(文中敬称略)

つづく>>

江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している