心身を消耗させた70分にピッチを後にし、仲間に勝利を託してベンチで声をからせていた清水エスパルスのMF乾貴士の脳裏を、絶望の二文字がかすめた。「終わったと思いました。あぁ、やってしまった、と」  栃木SCのホーム、カンセキスタジアムとちぎ…

 心身を消耗させた70分にピッチを後にし、仲間に勝利を託してベンチで声をからせていた清水エスパルスのMF乾貴士の脳裏を、絶望の二文字がかすめた。

「終わったと思いました。あぁ、やってしまった、と」
 栃木SCのホーム、カンセキスタジアムとちぎに乗り込んだ27日のJ2リーグ第36節。清水が勝った瞬間にJ1昇格が決まる一戦で、1点をリードしたまま迎えた後半アディショナルタイムの93分に、乾を観念させかけた場面が訪れた。
 ハーフウェイ付近から栃木のDF福島隼斗が放ったロングボールを、守護神・権田修一の今シーズン初の欠場に伴い、鹿島アントラーズから移籍後で初出場を果たしていたGK沖悠哉が余裕をもってキャッチする体勢に入った直後だった。
 下がりながらクリアしようとした清水のセンターバックで、50分に右コーナーキックのこぼれ球を押し込み、待望の先制弾をチームにもたらせていた住吉ジェラニレショーンと接触。沖がファンブルしたこぼれ球に反応した栃木のFW宮崎鴻が、パワープレー要員で攻めあがっていたDFラファエルへパスをつないだ。
 無人と化した清水のゴールへ、こん身の力を込めてラファエルが右足を振り抜く。必死に体勢を立て直し、体を投げ出した住吉も間に合わない。万事休す、と思われたシュートを、とっさにブロックに入ったDF原輝綺が右膝で弾き返した。

■「声が通りづらい状況だった」

 敵地へ7000人近くが駆けつけた清水サポーターが大声をとどろかせ続け、負ければJ3降格が決まる栃木のサポーターも必死に応戦する。右サイドバックで先発していた原は「声が通りづらい状況だったので」と“神ブロック”を振り返った。
「沖も試合を通してずっと声を出していて、あの場面ではもう潰れた感じで声が出ていなかった。ジェラ(住吉)も非常に責任感が強い選手で、2人が重なるような形になるかもしれない、というのが横から見ていてわかったので」
 自分に任せろ、といった沖の声はかすれて住吉にまず通らない。ボールの落下点だけを目視して下がってきた住吉も、自分の背後に飛び出してきた沖の存在にまったく気がつかない。危ない、という周囲の声も、もちろん2人には聞こえない。
 気がついたときには、原は自らの体をシュートコースへ投げ出していた。
「あのときは最悪のケースを考えて、ゴールのカバーに入りました。結果的にそれが正解になって本当によかったと思っています」
 8分のアディショナルタイムを守り切り、勝利とともに2年越しの悲願だったJ1昇格を決めた直後。試合終了直前にPKを献上して東京ヴェルディに追いつかれ、悪夢の引き分けとともに昇格を逃した昨シーズンのJ1昇格プレーオフ決勝の二の舞を、本能に導かれたブロックで防いだ原へ沖が感謝の声をかけた。
「ありがとう。助かったよ」
 笑顔を浮かべた原の左腕には、赤いキャプテンマークが巻かれていた。副キャプテンの一人であるMFカルリーニョス・ジュニオにまず託され、乾に代わって途中出場した今シーズンのキャプテン、FW北川航也の左腕に戻っていた腕章は13分後の83分に、予期せぬ展開の末に副キャプテンの原へ託されていた。
(取材・文/藤江直人)

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