「すっきりしない勝ち方だったんですけど……また次につながればいいなという想いです」 9月9日、カリフォルニア州カーソンのスタブハブセンターでの米国デビュー戦を終えて、WBO世界スーパーフライ級王者の井上尚弥(大橋…

「すっきりしない勝ち方だったんですけど……また次につながればいいなという想いです」

 9月9日、カリフォルニア州カーソンのスタブハブセンターでの米国デビュー戦を終えて、WBO世界スーパーフライ級王者の井上尚弥(大橋)は不満げな表情だった。




5ラウンドに左ボディでダウンを奪うなど、相手を圧倒した井上

 この日に行なわれた6度目の防衛戦で、井上は同級7位のアントニオ・ニエベス(アメリカ)に6ラウンド終了TKO勝利。5ラウンドには強烈な左ボディブローでダウンを奪い、公式採点でも相手に1ラウンドもポイントを与えない”支配的”な内容ではあったが……。

 王者のパワーを体感したニエベスは、貝のようにガードを固め、3ラウンドあたりから早々とサバイバルモードに突入した。24歳のチャンピオンは時に両手を上げて挑発し、足も使ったが、消極的なニエベスをおびき出すことはできなかった。

 結局、ニエベスが手詰まりになったのを見て、ダウン以外は大きなヤマ場もないままセコンドが試合をストップ。順当にタイトル防衛は果たしたが、井上は期待された派手なフィニッシュを披露できなかった。”インパクト”という意味に限れば、この試合は確かに物足りなかったかもしれない。

「初回はけっこう相手も出てきていて、自分のパンチも当たる距離だったが、中盤の3、4、5回あたりからは逃げ一辺倒。これじゃ、ちょっと試合にならない」
  
 試合後の井上の言葉からは、内容が問われるアメリカのリングで、語り草になるようなデビューを飾れなかったことへの悔しさが滲んだ。

 もっとも、アメリカのボクシング関係者たちが井上のパフォーマンスに批判的だったわけではない。むしろその逆で、基本的には賞賛している。特に”パワー”に対する評価が高く、左右両方の拳から放たれたボディブローの威力は話題になった。

『ESPN.com』のダン・レイフィール記者は、序盤の時点で「井上が打ち込むボディの音はリングサイドまで聞こえてくる。強烈だ」とツイートした。実際に、豪快なボディアッパーがヒットすると、リング下の記者席にまで爆発音のような音が届いた。そのたびに、リングに近い席に陣取ったファンから、ため息とも悲鳴ともつかない声が聞こえてきたものだった。

 アメリカで名を売ろうと思うならば、代名詞になるような”得意パンチ”を持っているに越したことはない。井上の武器はパワーだけでないが、この日に誇示したパワフルなボディブローは、本場のファンの記憶にも焼きついただろう。

 ニエベス戦を放送したプレミアケーブル局『HBO』の幹部、ピーター・ネルソン氏も、井上のパフォーマンスに感心した様子だった。ネルソン氏は、HBO のボクシング番組で中継するカードの決定権を持つ人物だ。アメリカでは無名の存在だったミドル級の怪物、ゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)や、軽量級の帝王となったローマン・ゴンサレス(ニカラグア)の起用を決断し、新たなセンセーションに仕立てあげた責任者でもある。

「ニエベスはアマチュア、プロを通じてKO負けがなかっただけでなく、ダウン経験もなかった選手。粘り強かったが、井上は強すぎた。彼は、自身がどれだけの才能を持っているか世界に示したと思う。井上陣営がどんな方向に進みたいかが明確になった後、今後について話し合えるのを楽しみにしている」

 会見前に個別で話を聞いた際のネルソン氏の言葉を聞く限り、井上が遠くないうちにHBO 興行に再起用される可能性は高そうだ。そんな流れから見ても、”モンスターの米国デビュー”は成功だったと言えよう。

 ただ、評判通りの強さを見せつけた後だからこそ、井上の対戦相手探しには苦労するかもしれない。お披露目ファイトの相手は格下のニエベスでよかったが、今後はそれなりの強豪との対戦が求められる。そう考えたとき、9月9日の最大の誤算は、井上が破壊的なKOを演出できなかったことではなく、メインイベントに登場した4階級制覇王者のゴンサレスが衝撃的なKO負けを喫したことだった。

 HBOが、ゴンサレスや井上を中心とする”Superfly”と銘打ったイベントを開催したのは、スーパーフライ級の有力選手の潰し合いを継続したい思惑があったからだ。その最終的な目玉になるのが、日本でも長く熱望されてきた通称”ロマゴン”と井上のスーパーファイトだったことは間違いない。

 ところが、ゴンサレスはWBC世界スーパーフライ級王者シーサケット・ソールンビサイ(タイ)との再戦に惨敗。もはや井上vsゴンサレス戦は現実的ではなく、いずれ実現したとしても”ドリームマッチ”とは言えない。そんな状況下で、井上がどこに向かっていくのかに注目が集まっている。

 スーパーフライ級に残るとすれば、シーサケットとの統一戦がクローズアップされるのが自然の成りゆきだろう。井上が挑む”ロマゴンの敵討ち戦”として、そのファイトには日米両方で希求はある。しかし、試合後の記者会見でシーサケットの印象を尋ねても、井上は初のKO負けを喫したばかりのライバルから気持ちを切り離せていない様子だった。

「(ゴンサレスは)シーサケットの土俵で戦っていた。パワーでちょっと押されている感じがあって、スーパーフライ級で身体、体力面できついのかなという印象はありました」
 
 たしかに”ゴンサレスがダメならシーサケット”などと、そう簡単に気持ちを切り替えられるものではないだろう。また、勝ったとはいえゴンサレスに比べれば世界的な知名度が低いタイ人と戦っても、ビッグイベントにはならない。もともと、井上にとってスーパーフライ級の減量は容易ではないだけに、ゴンサレス戦という目標が消滅した今、早々にバンタム級への昇級を決意することも十分に考えられる。

 ともあれ、井上にとって9月9日が重要な1日であったことは間違いない。高い評価を得られる戦いぶりで、米国デビューをクリアした”モンスター”の進む道はどこに続いているのか。現時点ではっきり言えるのは、井上の動向を楽しみにしているのは、もう日本のファンのみではないということだけである。