パリ2024パラリンピック最終日の9月8日、陸上競技最終種目のマラソンが行われ、視覚障害の部女子で前回優勝の道下美里(三井住友海上)が連覇を狙って出場した。懸命な走りで今季ベストの3時間4分23秒をマークしたものの、フィニッシュは4番手だっ…

パリ2024パラリンピック最終日の9月8日、陸上競技最終種目のマラソンが行われ、視覚障害の部女子で前回優勝の道下美里(三井住友海上)が連覇を狙って出場した。懸命な走りで今季ベストの3時間4分23秒をマークしたものの、フィニッシュは4番手だった。だが、3着で入ったスペインのエレナ・コンゴストがフィニッシュ後に失格(※)と判定されたため、銅メダルは3位に繰り上がった道下の手に渡った。2016年リオ大会の銀、2021年東京大会の金につづき、3大会連続でのメダルを道下はつかんだのだ。


マラソン視覚障害女子の部の表彰式で銅メダルを手にし、笑顔の道下美里(右)。左奥は、前半伴走を担当した山下克尚ガイド

金メダルはファティマエザフラ・エルイドリシ(モロッコ)が獲得。タイムは2時間48分36秒で、道下が2020年12月にマークした世界記録(2時間54分13秒)を5分以上も更新する圧勝だった。銀メダルもモロッコのメリエム・エンヌルヒが自己新となる2時間58分18秒をマークして手にした。視覚障害女子としては大会史上最高にハイレベルなレースとなった。

進化した世界、難コースにも苦戦

コースはパリ市の北郊外にあるジョルジュ・バルボン公園をスタートし、パリ市内に入ってシャンゼリゼ通りを凱旋門で折り返し、ナポレオンも眠るアンバリッド(廃兵院)にフィニッシュする42.195kmの、「史上最高難度」とも言われるコースで争われた。

視覚障害女子の部には10選手が出場。8時30分、男女同時スタートで走り始めた道下は5㎞地点を4位で通過。スタートから飛び出し、優勝したエルイドリシにはここで約3分も差をつけられたが、3番手のコンゴストには18秒差でついていた。

「スピードのある選手がいたので、序盤は自分のペースをキープして、後半きつくなってからジワジワ攻められたら、メダルを取れるかな。最後がんばろうという気持ちで走っていました」


スタート後、自身のペースでレースを進める道下美里。右は前半20㎞までを導いた山下克尚ガイド

だが、この日はスタート時に気温14度と比較的走りやすい気象条件もあり、先行する選手たちのペースは鈍らない。道下もしっかり前を追い、22~3km辺りではコンゴストに最短150mほどに近づいた。だが、「思ったより粘られてしまった」と言い、その後は大きな起伏で道下の方がペースを落とし、背中は遠のいた。4番手のまま、道下はフィニッシュした。

レース直後のインタビューは時折、涙で言葉を詰らせた。メダルを逃し、「本当に悔しい。もう少しうまく走っていたら・・・」と振り絞った。「3年間、本当にうまくいかないことばかりだったんですけど、仲間が常に支えてくれて、どんなときも励まし応援してくれて、ここまで仕上げてこられました。昨年秋の状態だと、スタートラインに立てるのか不安もありました。短期間でここまで建て直せてよかった。それを支えてくれた人たちに申し訳ない気持ちも絶対あるんですけど、ほんとにありがとうという気持ちでいっぱいです」

失意の中で仲間への感謝を口にし、報道陣の前を後にした道下を待っていたのは一転、「銅メダル獲得」の朗報だった。「みんなで飛びあがって、抱き合って喜びました」。トレードマークの「道下スマイル」も復活した表彰式を終え、約2時間後、再び、報道陣の前に表れた道下の表情は180度違っていた。

「(最初は)どんな顔で日本に帰ろうって思っていました。やっぱり、メダルがあるのとないのでは全く違う。みんなの喜ぶ笑顔が浮かびました。いろんなことを乗り越えてきた。それを神様が見てくれていたのかな」

金メダリストが過ごした苦しい3年間

パリのスタートラインに立つまでの道のりも長く厳しかった。道下は初出場だった2016年リオ大会では今回、失格したコンゴストに次ぐ銀メダルで、表彰式で聴いたスペイン国歌に悔しさが募り、「次こそ、金」を強く誓った。そうして挑んだ21年東京大会ではパラリンピック新記録で見事に金メダルをつかむ。大きな達成感はあったが、「マラソン連覇を狙えるのは私だけ」という新たな目標を見出し、3度目のパリを目指した。

だが、44歳で金メダリストとなった道下にとって、この後の3年は年齢と共に変化する体と向き合い、抗いつづけた日々でもあった。慎重派で完全主義者の道下はきつい練習にも手を抜かず、妥協も許さない。練習をコツコツと積み上げた実績と自信を力にして走る。限界まで追い込む練習によって、3年間で大きな足の故障を2回も経験した。

リハビリ期間中に時間をかけたのが、ウエイトトレーニングだ。走れなくてもできることを続け、リハビリ明けに思いきり走れるような体づくりに努めた。自身と向き合う時間が増え、「心も強くなった」という。無駄のないフォームも身に着け、2022年7月には5000m(18分21秒75)の、2023年10月にはハーフマラソン(1時間24分48秒)の自己新をマークした。

だが、マラソンでは目標としたレースをいい状態で走れなかったり、棄権せざるを得ないこともあり、思ったように自己記録も世界ランキングも上げられなかった。もどかしく焦る気持ちを支えたのが、「チーム道下」という仲間たちの存在だ。視覚障害のある道下は1人では走れない。地元で伴走する約10人のランナーや、送迎や買い出しなどを手伝うサポーターなど約100人の心強い仲間たちに支えられている。

代表選考に翻弄されたパリへの道

東京大会後、国際パラリンピック委員会(IPC)はパリ大会出場枠について、「2023年のマラソン世界選手権で上位6位の選手の所属国・地域に与える」と発表した。道下らパリ大会を目指す選手たちはまず、この世界選手権にピークを合わせようと調整をつづけた。だが、2023年に入っても大会日程も会場も発表されず、結局、中止になった。IPCは当初から、「世界選手権が開かれない場合は世界ランキングをもとに2024年6月末頃に出場枠を配分する」とも発表しており、この“プランB”が有効となった。

日本代表候補の選考を担う日本ブラインドマラソン協会(JBMA)は「世界選手権中止」の状況を受け、2024年2月に選考規定を見直した。実質、4月21日開催の「かすみがうらマラソン」が国内最終選考レースとなった。「かすみがうら」前日時点で道下の世界ランキングは8位で、パリ出場枠を引き寄せる3時間5分切りでの5位以内を目指して走り出した。この日はレース中の気温が20度を超え、暑熱順化前の体には堪える、苦しいレースとなったが、持ち前の粘り強さを発揮。3時間4分44秒でフィニッシュし、パリ出場へと一歩、前進した。「目指すは(パラリンピック)連覇。出場が決まれば、そこを目指して仲間たち皆でやっていきたい」

暑さのなか、全力で走った4カ月後のパリに、もう一度ピークを合わせるべく、練習をつづけた道下は7月上旬、無事に日本代表選手に選ばれた。

難コースにも万全の対策

パリ対策は代表決定前から進めていた。3月にはJBMA主導でパリを訪れ、本番コースを視察。想像以上に起伏があり、石畳も長く、欧米では一般的な、車の速度を抑える目的で路面に設けられた段差、「スピードバンプ」も多かった。実際、レース当日はつまずいて転倒する選手もいた。

レース後半を担当した志田淳ガイドによれば、パリのスピードバンプは形状が多様で、傾斜や長さが異なり、「上って下りるまでの間にある平らな部分の長さもまちまちだった」という。そこで視察時に撮った映像を元に、「どう声かけをすれば乗り越えられるか」を、前半伴走の山下克尚ガイドも含めた3人で、レース前に綿密に打ち合わせたという。もちろん、コースを完全には覚えられなかったが、大まかなレイアウトは頭に入れ、レース当日はガイド二人が臨機応変に伝え、誘導した。


フィニッシュ直前、懸命の走りを見せる道下美里(左)。隣はレース後半を伴走した志田淳ガイド

道下はレース中について、「二人とも、声掛けをすごく丁寧にしてくれた。『より良いコースを』と常に追求してくれたので、転倒などまず考えられなかった。ダメージが少ない最短コースを2人が選んでくれた」と感謝した。練習や対策などすべてを力に4位を守って走り続けた結果がメダルにつながったのだ。

「私は仲間に恵まれてきたから、今ここにいるということを改めて感じたパリ大会でした」と振り返った道下。先着選手の失格の結果ではあったが、「いろいろな人に応援してもらっているので、いっぱい思いが詰まった、大事なメダルです」。道下スマイルが、ひときわ輝いた。

(※:失格理由はWPAが定める「パラ陸上競技ルール7.9.5」の違反だ。ルール7.9.1~7.9.4で、「ガイドが選手を誘導するにはテザー(伴走ロープ)の使用が必須」、「手か腕のみでつながり、その他の身体部位を持ってはならない」、「伴走交代時を除き、選手もガイドもレース中は常にテザーから手を離してはいけない」などと規定されており、7.9.5では選手かガイドのいずれかの違反でも、両者とも失格になるとしている。今回、コンゴストはフィニッシュ手前で転倒しそうになった男性ガイドを咄嗟に支えようとしてテザーから手を離し、彼の腕をつかんだ。ガイドは転倒を免れ、再び二人で走り出したが、フィニッシュ後に失格が言い渡された)