サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回のテーマは、黄色か、青か―。

■EUROで「笑った」背中に刻まれた文字

「Let‘s Play DIRTY, Baby!(ダーティにプレーしようぜ!)」

 オレンジ色のTシャツの背中に書かれた太い文字に思わず笑った。古い話で申し訳ないが、2000年にオランダとベルギーの共同開催で行われた欧州選手権(EURO)でのことである。ちなみに、2002年にワールドカップが日本と韓国で共同開催されるが、2000年のEUROは、この規模の大会が複数の国で開催された初めての例だった。

 刺激的な言葉を背中に刻んだオレンジ色のTシャツを着ていたのは、もちろん、オランダのサポーターである。「ダーティなプレー」とはいったい何だろう? 実はオランダには、「プレーは非常に美しいが、結局は勝てない」という定評があったのである。

 その最高の例が1974年に西ドイツで開催されたワールドカップだった。天才ヨハン・クライフを中心とした「トータル・フットボール」は大会を席巻、世界中に衝撃を与えた。ところが決勝戦では手堅く守って速攻を繰り出した西ドイツに逆転負けを喫し、「世界チャンピオン」の座をつかむ絶好の機会を逃した。

■ワールドカップで「3回」決勝戦に進出も…

 以来、これがオランダの「伝統」になってしまった。ワールドカップで3回も決勝戦に進出しながら、そのすべてで負けているのである。ドイツ(西ドイツも含む)は、4回という「決勝戦負け」の最多記録保持者だが、同時に優勝も4回ある(決勝戦進出計8回は、ブラジルの7回をしのぐ最多記録だ)。

「美しく戦うが負ける」オランダの伝統の唯一の例外が、1988年に西ドイツを舞台に行われたEUROだった。このときには、ルート・フリット、マルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトを中心としたチームで決勝戦ではソ連に2-0で勝ち、現在のところ、この国の唯一のメジャータイトルとなっている。

「攻撃的で、美しく、魅力的なサッカーもけっこうだが、そろそろ次のタイトルが欲しいぞ。フェアプレーなんてくそ食らえ! 少しぐらい汚くても、勝負に徹しようじゃないか」

 サポーターのそんな気持ちが、Tシャツの背中の文字ににじみ出ていたのである。

■フェアプレー誕生は「2回目の朝鮮出兵」の年

 英語で「フェアプレー fair play」という言葉が最初に出てくるのは、1597年に書かれたシェイクスピアの『ジョン王』という作品の第5幕だという。「敵との間の礼儀正しい交際」を意味したと、角川小辞典『外来語の語源』(吉沢典男・石綿敏雄著)にはある。

 1597年と言えば、日本で言えば戦国末期。国内を統一した豊臣秀吉が2回目の朝鮮出兵を強行した年で、秀吉は翌年に亡くなり、2年後には関ケ原の戦いで徳川家康が「天下」を取るといった時代であるから、けっして新しい言葉ではない。

 しかし、この言葉を世界に広めたのは、何といっても「近代オリンピックの父」ピエール・ド・クーベルタン(フランス)だっただろう。1984年に国際オリンピック委員会(IOC)を設立したとき、彼は「スポーツは普遍的な言葉であり、人々を結びつけ、相互尊重、連帯、寛容、フェアプレーなどの価値観を教える」と宣言した。

 しかし、その後、サッカーに限らず、日本のスポーツ界では「スポーツマンシップ」という言葉がよく使われるようになった。いまでもときおり、年配の解説者がこの言葉を使うのを聞くことがある。だが、はっきり言ってこの言葉は「死語」だ。その理由は語るまでもない。

 そして、それに代わって、あるときからサッカーの世界で「フェアプレー」が強調されるようになる。1988年のことである。国際サッカー連盟(FIFA)の当時の事務総長ゼップ・ブラッターが大々的に提唱した。当時、世界のトップクラスのサッカーは「勝つためには何をしてもいい」という方向に流れつつあり、ブラッターは「このままでは大衆の支持を失ってしまう」と強く危惧し、「フェアプレー・キャンペーン」をスタートさせたのだ。

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