中竹竜二ヘッドコーチ(HC)代行は、さぞ驚いただろう。 4月30日に韓国代表とのアジアラグビーチャンピオンシップ初戦を85-0で制し(神奈川・ニッパツ三ツ沢球技場)、意気揚々と7日の次戦への準備を始めた折、連関性の欠落に出くわしたのだから…

 中竹竜二ヘッドコーチ(HC)代行は、さぞ驚いただろう。

 4月30日に韓国代表とのアジアラグビーチャンピオンシップ初戦を85-0で制し(神奈川・ニッパツ三ツ沢球技場)、意気揚々と7日の次戦への準備を始めた折、連関性の欠落に出くわしたのだから。
 
 指揮官によれば、「きのう(1日)、突然」のこと。サンウルブズ(国際リーグのスーパーラグビーに日本から初参戦しているチーム)から招集されたメンバーが、ジャパンエスアール側のリクエストに応じて一時離脱をすることとなった。2日午後にはFL安藤泰洋とPR北川賢吾以外の6選手が戻って来たようだが、それを前もって知らされることはなかった。

 2日午前の練習は、たったの20名でおこなうこととなった。中竹HC代行は、残った選手に「仕組みのなかでこういうことが起こったけど、せっかくいい試合をしたのだからぶれずにいこう。サンウルブズのメンバーが戻ってきた時、戦術をしっかりと教えてあげられるようになろう」と言うほかなかった。

 いわば緊急事態に陥った朝。おもにミーティングで話をしたのは、中村亮土だった。身長178センチ、体重92キロ。頑健な体躯で仕掛けまくる24歳のインサイドCTBだ。韓国代表戦でも背番号12をつけて先発フル出場した中村は、セッション中、異なるポジションの選手の立ち位置を細かく修正。連携を深めていた。中竹は述懐する。

「いままでは(全体での)ミーティングで僕が話していたのを、リーダーたちに任せました。グラウンドでやる人間が説明をすると、周りはその選手に質問をするようになる。きょうは、(試合中に使う)あるオプションについて、亮土が皆の前で説明をしました」

 リーダーシップを取る意欲は、かねて高かったろう。

 中村は3月、中竹が指揮する「ジュニア・ジャパン」の一員としてフィジーでのワールドラグビー パシフィック・チャレンジに参戦している。韓国代表戦を前に、本人はこう言っていた。
 
「僕の場合は、ジュニア・ジャパンで中竹さんの戦術は理解してきたつもり。ジュニア・ジャパンではないメンバーに早く伝えるのが最初の僕の責任だった」

 初戦から6日前の集合にあっても、急ピッチでチーム作りができたと手ごたえを感じる。個々の意識の高さに驚いている。

「皆が理解度を高く持って、すんなりとシステムを理解してくれた。3日目には、自分たちからこうやりたいという案も出てきました。いまの状況もポジティブに捉え、上手くできているんじゃないかと」

 大学選手権7連覇中の帝京大で、1年目からレギュラーだった。5連覇を果たした2013年度には、主将を務めた。「常に見られているという意識」を保った。気を張った。礼節を重んじようとした。

 サントリーに入ってもその気質は変わらず。もっとも心中には、アスリート然とした向上心と負けん気を隠し持つ。

 国際間の真剣勝負であるテストマッチにここまで5回、出場してきた。エディー・ジョーンズ前HCからは、2012年から2014年の春までお呼びがかかっていた。しかし、歴史的な3勝を挙げたワールドカップイングランド大会には参加できなかった。後にイングランド代表を率いるジョーンズHCが、公の場で言った。

「日本はCTBの層が薄い」

 当事者である中村は、それを聞いてどう思ったか。韓国代表戦の直後、応じた。

「まぁ、僕が上がっていかないといけないと思いました。ただ、自分がそのレベルにいるかといえば、違う部分もある。いまやっていることを積み重ねて、あのレベルに行けるように…」

 中村のいう「あのレベル」にあたるワールドカップ時のメンバーは、当分、戻ってこない。日本協会は6月のスコットランド代表戦の時期に、ベストメンバーを揃えるため奔走している。アジアで戦う自分たちの立ち位置を踏まえ、中村は繰り返す。

「本当の日本代表になってゆくには、試合を重ねていい結果を残すことが必要。まず目の前の試合を戦う」

 7日、敵地の香港フットボールクラブで香港代表と対峙する。(文:向 風見也)