プロレス解説者 柴田惣一の「プロレスタイムリープ」(3)(連載2:猪木を全日本の試合会場に誘った柴田惣一 馬場がひとり、…

プロレス解説者 柴田惣一の「プロレスタイムリープ」(3)

(連載2:猪木を全日本の試合会場に誘った柴田惣一 馬場がひとり、リング上で待っていた>>)

 1982年に東京スポーツ新聞社(東スポ)に入社後、40年以上にわたってプロレス取材を続けている柴田惣一氏。テレビ朝日のプロレス中継番組『ワールドプロレスリング』では全国のプロレスファンに向けて、取材力を駆使したレスラー情報を発信した。

 柴田氏はネクタイ愛好家としても知られるが、アントニオ猪木さんの何気ないひと言でネクタイに興味を持つようになったという。今回はネクタイがつなげた縁について語ってもらった。


アントニオ猪木さん(左)のひと言でネクタイ愛好家になった柴田惣一氏

 写真提供/柴田惣一氏

【猪木から「いつも地味なネクタイしているな」】

――ミル・マスカラスの異名「千の顔を持つ男」のごとく、柴田さんは「千のネクタイを持つ男」としても有名ですね。

柴田:いろいろユニークなネクタイを集めるようになったのは、実は猪木さんのひと言がキッカケです。もともと、新日本プロレスの解説を担当し始めた頃は、キチンとした身なりをしないといけないからフォーマルなネクタイをしていました。

――東スポを代表してテレビに映るわけですから、落ち着いたネクタイになりますね。

柴田:でも、ある日、猪木さんが「いつも地味なネクタイしているな。フフッ」と笑ったんですよ。それで、ユニークなネクタイを探すようになったんです。 新日本の選手は基本、黒のショートタイツ。だから逆に、「シンプルなネクタイではなく奇抜なネクタイにしてみよう!」って。

――ストロングスタイルからヒントを得た、逆ストロングスタイルといった感じですね(笑)。猪木さんの反応はどうでしたか?

柴田:猪木さんは、いいと思った時はあまり何も言わない。ネクタイを目にして「フフッ」と笑うだけでした。でも、表情が豊かな人だから言わんとしていることは伝わるんですけどね。

――派手なネクタイをすることで、周囲に何か変化はありましたか?

柴田:蝶野正洋や矢野通、ジャイアント・バーナード、カール・アンダーソンとかに、入場時にイジられましたね。蝶野には「そんなネクタイしやがって、ガッデム!」って言われましたよ(笑)。蝶野とは放送席で同席することもあったけど、オンエア時と休憩時では口の利き方も態度も、まるで人が違ったようだった。こっちが戸惑うほどでしたね。

 そうそう。ネクタイを派手にしたのはもうひとつ理由があって。頭から注意を逸せるためです(笑)。

――昔から柴田さんには、自らもネタにしている"カツラ疑惑"がありますからね。

柴田:それこそ、カール・アンダーソンに髪の毛を引っ張られたことがあるんですよ。その時は録画中継で、たまたま放送が一部地域に限られたからホッとした記憶があります(笑)。

――現在はWWEで活躍するアンダーソン。けっこうひどいことをするんですね(笑)。

柴田:あとは"ジ・アンダー・ボス"ことバッドラック・ファレ。場外乱闘中に、いきなり怒りの矛先が僕に向いて襲われたんです。目がギンギンで、解説歴が長いとはいえ怖かった......。

 でも、その襲撃直後にヤングライオンたちが僕の周りを取り囲んでくれて。マスクをはがされた覆面レスラーみたいな気分でしたよ。周囲の目から守ってくれているうちに、ササッと髪型を整えて九死に一生を得ました。

――その時のヤングライオンは?

柴田:高橋ヒロムや現在のイービル(旧リングネームは渡辺高章)、エル・デスペラードたちだったかな。ファレがあの巨体で襲ってきてビビってしまい、解説席で動けなくなってしまった僕を、身を挺して守ってくれました。ふと我に返ると、しゃがみこんだ僕をみんなが心配そうに見つめていました。

――選手との信頼関係がわかるエピソードですね。

柴田:ネクタイの話に戻りますけど、その業界の方は「ネクタイはコミュニケーションツール」と言うんです。スーツだとVゾーンに目が行くから、ネクタイの色や柄が話のとっかかりになると。それで、個人輸入で海外から取り寄せたりもしながらネクタイを集めて、それが話題になってプロレス界や他業種の方との人脈も広がった。人の輪、ならぬ"ネクタイの輪"かな。

【棚橋のベストネクタイ賞の裏にも柴田あり】

――そういえば、2023年12月から新日本の社長を務める棚橋弘至選手は、2016年にベストファーザー賞と同時にベストネクタイ賞も受賞しましたね。

柴田:実は、僕はあれにも関わっているんですよ。僕の"面白ネクタイ"を作っているネクタイデザイナーの方にその会社の社長さんを紹介してもらい、社長さんを通してネクタイ組合の会長さんと知り合いになって。それで何度かお会いするなかで、「棚橋をベストネクタイ賞に」と推薦したんです。そのあと、棚橋とネクタイ組合の方々を日本武道館近くのホテルで引き合わせて、食事もしましたよ。

――そんな根回しが......。

柴田:もちろん冗談交じりで、ベストネクタイ賞の選定はしっかり行なったと思いますよ(笑)。

 余談ですが、食事会は中華料理だったんですけど、棚橋はすごく節制していて麺は少なめで注文し、スープは飲まない。点心も食べなかったし、デザートは「柴田さん、食べて」と。本当に気をつけていましたが、「食べたいけど......我慢」と言っていました。ネクタイ組合の方が驚いていていましたよ。レスラーは大食い、大酒飲みのイメージがあったようなので。

――ベストファーザー賞も同時受賞でしたから、ワイドショーでも取り上げられていましたね。

柴田:今はテレビ界もいろいろ大変だけど、なんだかんだ言って、やはり地上波テレビの力は大きいです。プロレスを知らなかった人たちも興味を持ってくれたのではないかと。それでいいお父さんのイメージがついたのか、2018年には『パパはわるものチャンピオン』という映画の主演もやりましたね。

 棚橋は「柴田さんのおかげです」と言ってくれました。しっかり感謝を伝えるところや、人を立てるところがすばらしい。もうみんなが認めているだろうけど、新日本の人気がⅤ字回復したのは棚橋の功績が大きいと思います。人柄というか、人間味もあってのことでしょうね。

――本当にそうですね。

柴田:そんな棚橋との関係も、そもそもは猪木さんのおかげ。あのひと言がなければ派手なネクタイにしなかったし、ネクタイ組合の方々とも知り合いになっていませんから。「プロレスラーはネクタイしないでしょ」という声もあったそうですが、そのイメージは覆せたかな。

 巡り合わせというか、不思議なご縁というか......プロレスはよく「点が線になる」と言われますけど、すべて猪木さんのおかげですよ。

(連載4:長州力から「お前にトップ記事をやるよ」元東スポの柴田惣一が語るレスラーの結婚スクープ裏話>>)

【プロフィール】
柴田惣一(しばた・そういち)

1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として『夕刊フジ』などで連載中。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務めた。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。