パリ五輪に選手で出場した中村知春(左)とレフェリーで出場した桑井亜乃(右) photo by Noto Sunao(a presto)中村知春×桑井亜乃 スペシャル対談 後編 スペシャル対談 前編: 「桑井亜乃×中村知春 レフェリー・選手の…


パリ五輪に選手で出場した中村知春(左)とレフェリーで出場した桑井亜乃(右)

 photo by Noto Sunao(a presto)

中村知春×桑井亜乃 スペシャル対談 後編 

スペシャル対談 前編: 「桑井亜乃×中村知春 レフェリー・選手の異なる立場でパリオリンピックに出場した親友ふたりがスタジアム内で感動の対面を果たす」 >>

「サクラセブンズ」こと7人制ラグビー女子日本代表の中村知春と、同競技のレフェリーの桑井亜乃。2016年リオデジャネイロオリンピックに共に選手として出場した親友同士が、今度はそれぞれの立場でパリオリンピック出場を果たした。対談後編では、これまでの歩みを振り返ってもらった。

【ラグビーしかないじゃん!】

―― ふたりとも他競技を経験してラグビーに転向して、日本代表になりました。

桑井 最初は苦労したよね。ひたすら走ってラグビーさせてもらえなくて、何をしに(日本代表に)入ってきたんだろうと思っていました。

中村 ひとつの競技だけやってきた選手よりは、視野は広く保てていたかな。

桑井 私はアイスホッケーも経験させてもらって、陸上の投てきもやっていたからこそのオリンピック出場でした。(ハンマー投げのオリンピック金メダリスト)スポーツ庁長官の室伏広治さんに「あんなにトレーニングしていたのに、(陸上で)いい結果が出せなかったのはこのためだ。ラグビーに転向してからなんかわかる気がする」とおっしゃってくださいました。

 パリオリンピックも見に来てくださってInstagramにアップしてくださいました。広治さんに、陸上をやっている時にオリンピックという存在を身近に感じさせてもらったから、ラグビーに転向してからも、絶対に食らいついてやるみたいな思いがありました。

 でも、多分ラグビーが好きじゃなかったらここまでこられていないから、本当にラグビーに出会って私はよかったと思うし、ここまで充実させてもらえたラグビーが好きだなって心から思います。

中村 転向組だからこそ、ラグビーの特別性にどんどんのめり込んでいったところもあります。でも本当にラグビーが好きだと思ったのは、東京オリンピックのあとかもしれない。嫌だったら離れてもよかったと思うんですけど、なんで続けられたのかなって思ったら、こんなにもラグビーが好きだからという思いが一番、軸にはありましたね。


「ラグビーが大好き」と語る中村知春

 photo by Noto Sunao(a presto)

――どのあたりで、ラグビーが好きになったのでしょうか。

桑井 ラグビーって知れば知るほど、もっと知りたくなっていくスポーツだと思っています。引退してレフェリーになってからも、新たな魅力を見つけられて、そこにまたハマっていきました。レフェリーとしてやり始めて、苦しいこともありましたけど、それを乗り越えた時に、すごく充実していたし、もっと知りたいなと思いました。少しずつ世界で認めてもらった時に、自分が成長していっているのがすごく面白かったです。

中村 東京オリンピック後、両親に「なんで続けるの。もういいじゃない」って言われました。その時にやっぱりラグビーが好きという以外の理由がなくて、「ラグビーしかないじゃん!」と思った。ラグビー、大好きですね。

桑井 LINEで、ふたりで「なんか苦しいけど、うちらラグビー絶対大好きだね」とか書いていたよね。

中村 でも、ラグビーは愛してくれない。愛し返してくれないんだよ。私はこんなに好きなのに......。だから永遠の片思いみたいな(苦笑)。でも、「ラグビー好きでしょ」と言われると「そんな好きじゃない」みたいに言いたくなっちゃう(笑)。なんか認めたくない。

桑井 でもたぶん、サクラセブンズのなかで一番ラグビーを愛した選手だと思います!

【サクラセブンズへのエール】

――ところで、おふたりが最初に会ったのはいつですか。

中村 いつだったかな。桑井が初めて日本代表に来たのは、2012年にフランスで行なわれた大学生年代の国際大会で、試合に出られなくて、もう過呼吸になるぐらい泣いていた。

桑井 そりゃ、そうです。だってラグビーを始めて3カ月で、初めての公式戦だったし。「タックルできないから試合に出さない!」と言われて、「それは、まだできねぇよ」と思っていた。中村がタックルバッグを持って、「もっと来いよ!」と永遠にタックルを受けてくれました。

中村 過呼吸になりながら泣いている桑井のタックルをバフ、バフって受けていたね。

桑井 泣いているから全然、力が入らないし(苦笑)。すごいところに来たなと思いましたね。本当に最初の一年はよく覚えています。

――今回、ふたりがパリオリンピックに出場して、後輩たちや日本ラグビーに残せたと思うものは何ですか。

中村 私が何をどれだけ残せたかということはわからないですが、自分としてはいい仕事ができたと思います。後輩たちには、本当にちょっとでいいので、いつか、どこかで私がこれを言っていたと思う瞬間があれば、自分を褒められるかな。後輩たちに次のバトンを渡して、私が悔しいと思うくらい、サクラセブンズの価値をより上げてほしい。

桑井 私が活躍することによって、選手が終わった後にセカンドキャリアとしてレフェリーという道もあると気づいてもらえたらいいですね。目指すべき存在にならないと、レフェリーを目指す人はいないと思っていたので、だから私自身はグラウンドの上で堂々と、そういう存在でありたいっていう思いが強かった。世界を経験している選手はやっぱり強いと思うので、サクラセブンズからレフェリーになってくれる人が出てきてくれないかな。

中村 桑井のあとは、なかなか思えないよ。

桑井 私も最初はレフェリーに興味なかったんですが、「一回やってみたら面白いよ」と言いたいですね。

パリ大会でレフェリーを務める桑井亜乃

 photo by JMPA

――おふたりにお聞きします。サクラセブンズや日本の女子ラグビーは、もっとこういう風になってほしいという思いはありますか。

中村 出発前、オリンピックは「ボーナスステージ」という言い方をしましたけど、世界を変えるためのボーナスステージが、本当にオリンピックの4年に一回のこのチャンスだけというのを見てきました。勝つとどんな変化があるのかも、選手たちはわかっていると思うので、やっぱりいい思いをしてほしいですよね。

 それが私たちも含めて、サクラセブンズを作ってきた先輩方への恩返しかなと。サクラセブンズには、女子ラグビーをやっていたことを誇りに思えるような存在になってほしい。出場するだけでなく、オリンピックとか世界大会で結果を出すというフェーズになってきていると思います。

桑井 「女子がラグビーをやるの?」というフェーズはもう終わったと思っています。だからこそ、女子ラグビーも男子に負けないくらい強くなってほしいですし、逆に女子ラグビーがラグビー界を引っ張っていくぞというところまでいってもらいたいです。サクラセブンズにはそういったパワーがどんどんついてきているし、次のオリンピックではメダルを獲ってほしいという期待も込めて、頑張ってほしいですね。

【ラグビー界への恩返しに向けて】

――おふたりは、今後はどういった活動をしていくのでしょうか。

中村 全部の大会、これが最後になるかもって思いながら戦っていました。よかったことと苦しかったことの比率で考えたら苦しかったことのほうが本当に多かったですが、終わりを意識しながら戦えたこの3年間は、非常に幸せでした。

 それからサクラセブンズの価値を上げるためにも、自分とチームの距離を間違えないようにしないといけませんでした。好きすぎて、「サクラセブンズはこうでなきゃ!」という立場にはなっちゃいけないと思っていました。

桑井 「昔のほうがきつかったよ!」とか絶対言っちゃダメだよ(笑)。

中村 コーチはやりたいなと思います。でもセブンズしか知らないので、ちゃんと教えるのであれば、もっと外の世界をたくさん見ないといけないと思っています。

桑井 レフェリーを目指して3年、自分で動いて行動して、本当に密に過ごしてきたからこそ、新たなステージを見てみたい。次のステップに進まなきゃいけないという気持ちです。海外に留学したいという思いもあります。

中村 私は正直、やりきったと思っているので、とりあえずちょっと一回ゆっくりしたいです。それくらい一生懸命に生きてきちゃったから。ただ、ラグビーが好きなので、もっとラグビーを知りたいと思います。

桑井 レフェリーやってみる?

中村 いや、桑井の後は無理だから(苦笑)

――改めて、応援してくれたファンへのメッセージをお願いします。

中村 「本当にありがとうございました」という言葉に尽きます。東京オリンピックに落選した時に、温かいメッセージをたくさんいただいて、こんなに私のことを応援してくださる方がいるのとか思いました。

 そういう経験をしたからこそ見えなかったものが、本当の意味で見えるようになりました。またコミュニケーションを避けない、伝えるべき時に伝えなきゃいけないことの大事さを学んだので、ラグビーに限らず、今後、みなさんから学んだものをきちんと言葉や形にして、お返ししていきたいです。

桑井 リオデジャネイロオリンピックの時もパリオリンピックの時も、ひとりだったら絶対達成できなかったです。本当に応援してくださった人たちのおかげでオリンピックの舞台に立てたという思いがあるので、みなさんには本当に感謝しています。だからこそ、いろんな方々に恩返しをしたいという気持ちで、これからもグラウンドに立つので、引き続き応援していただければ幸いです。

――最後に改めて、おふたりにとってお互いの存在は?

中村 桑井に関しては、近すぎて恥ずかしいですが、これからも仲よくやろうよって感じですね。

桑井 中村の存在があって、私自身を成長させてもらったという思いがあるので、ありがとうございますという気持ちです。この人、「休みたい」と言っても休まないマグロみたいな人で、ステップアップとしていろんなことに取り組むと思うので、私もまた頑張んなきゃ、と思います。お互いに、これからも「やっぱり、ラグビー好きだよね!」って言い合える間柄でいたいなと思います。

【Profile】
中村知春(なかむら・ちはる)
1988年4月25日生まれ、神奈川県出身。小学時代から大学までバスケットボールに励み、2010年からラグビー競技を始める。2013年に7人制ラグビー女子日本代表に初選出され、翌年にはアジア大会で銀メダルを獲得。2016年のリオデジャネイロ五輪には主将として出場した。2024年のパリ五輪にも出場し、過去最高の9位に貢献。7人制ラグビーの代表キャップ73。大正製薬リポビタンDアンバサダー。

桑井亜乃(くわい・あの)
1989年10月20日生まれ、北海道出身。幼少時から陸上を始めて、帯広農業高校時代に円盤投げで国体5位入賞。中京大学卒業後の2012年にラグビー競技を本格的に始める。2013年に立正大学大学院に進み、クラブチーム「アルカス熊谷」に加入。2016年リオデジャネイロ五輪代表。2021年8月に現役引退してレフェリー転身し、パリ五輪では2試合を担当した。7人制ラグビーの代表キャップ31。大正製薬リポビタンDアンバサダー。