北口榛花は五輪女王になった安堵感とともに今後への目標も明確に photo by JMPA パリ五輪陸上競技、メイン会場のスタッド・ド・フランスでは最終日となる8月10日、北口榛花(JAL)が女子やり投でオリンピックのトラック&フィールド種目…


北口榛花は五輪女王になった安堵感とともに今後への目標も明確に

 photo by JMPA

 パリ五輪陸上競技、メイン会場のスタッド・ド・フランスでは最終日となる8月10日、北口榛花(JAL)が女子やり投でオリンピックのトラック&フィールド種目では日本女子初となる金メダル獲得を果たした。決勝は1投目の65m80がそのまま優勝記録になった。

 優勝決定後、取材エリアのミックスゾーンにやって来た北口は、開口一番、朗らかな笑顔を見せながら率直な今の気持ちを話した。

「オリンピックの金を獲ったらけっこう満足できるものになるかなと思っていたんですけど、65mではまだ満足できない。今シーズンの最初は本当に『もう頑張れないかも』と思う時期もあったけど、また頑張る理由ができてすごくホッとしています」

【女王が抱えていた葛藤】

 8月7日午前の予選では、予選通過ラインの62mを1本目の62m58でクリアしたが、65mや64mの一発通過者もいて全体5位と、一抹の不安を残した。

「今シーズンはここまで苦しい試合ばかりでした。勝ってはいたし、記録も悪くないとみなさんは思われていたかもしれないけど、自分のなかではしっくりくるものが全然なくて。パリに来てからもなかなか調子が上がらず、予選も『あまりいい状態ではないな』と思ったなかでの投てきだったので、『本当にこの状態で勝負できるのかな』という不安がありました」

 こう話すとおり、北口は今季初戦の4月のダイヤモンドリーグ(DL)蘇州大会から6月の日本選手権まで、国内3戦では勝ってはいたが、記録は61~63m台。北口らしさを発揮しきれないまま、試合後も「いい感覚をつかみきれていない」という言葉がしばしば出ていた。その後はDLモナコ大会では65m21まで記録を伸ばして優勝と浮上のきっかけをつかみかけたが、五輪前最後の試合になったDLロンドン大会では62m69で4位と、表彰台を逃していた。

 そんなモヤモヤした状態の遠因になっていた、シーズン当初の迷いをこう振り返る。

「シーズン初めの頃に2日くらい体が動かなくなってしまい、誰が味方で誰が敵かもわからなくなり、何を信じていいかもわからなくなった時がありました。やり投げの基本的なところはみんな共通していると思いますが、自分には自分の投げ方があると思っていて、その自分の感覚を信じてくれる人が周りにいてくれました。今日も競技場に立つのはすごく不安だったけど、自分を信じてくれる人がいたから、最後の、最後のウォーミングアップでいい感覚が戻ってきて、それなりの自信を持って臨めました」

 これまで北口が世界大会で、メダルを賭けた勝負を決めたのは最終投てきの6投目が多かった。だが今回の決勝では、1本目に65m80を投げて勝負の主導権を握った。「今日の1投目はいつもの6投目くらいに集中して臨んだけど、思ったより飛んでホッとしました」と明るく言う。

「最近は助走スピードを速くしようと思っていたので、最初の足踏みから助走に入るタイミングがちょっと速いテンポになっていました。それを、昨日の夜に67mを投げた時の映像を見ていて気がついたので、1投目はもっと焦らずに助走に入ろうと思い、そのとおりにできたのがよかったです」

【ライバルに与えたプレッシャー】

 もちろん、その距離を投げても安心したわけではなかった。予選でも調子がよかった選手はいたし、自己記録が自分より上の67mから71mまでの選手が4人もいた。

「コーチは1本目が終わると『今日は68mだ』と言ってきたので『マジかーっ』と思ったけど、昨日の夜は自分が70m投げる夢を見ていたので、『1投目が65mなら、70mは投げられる』というイメージもありました。

 決勝に残ったメンバーは全員実力があるので、いつもどおりに6投目までゆったり待っていられないなという気持ちで、もっと記録を伸ばしていこうと思っていました」

 だが、北口の1投目のビッグスローは本人の気持ちとは関係なく、今季のベストが65~66mに止まっている選手たちに大きなプレシャーを与えた。予選は65m52のシーズンベストを投げて一発通過だったマリア・アンドレイチク(ポーランド/東京五輪銀・自己ベスト71m40)は決勝では力みからか、1投目の62m44が最高。予選は64m57で68m43の自己ベストを持つサラ・コラク(クロアチア)も2投目の63m00止まり。昨年の世界選手権2位で、5月に66m70の自己新を投げていたフロル・デニス・ルイスフルタド(コロンビア)は2投目の63m00が最高で、その後は記録を伸ばせる気配は見えなかった。

 結局2位以下は63m台で、3位は2022年世界選手権8位のニコラ・オグロドニコバ(チェコ)、2位は2021年東京五輪以降の世界3大会では入賞していないジョー・アネ・ファンダイク(南アフリカ)で、メダル候補はみな、沈む結果に。選手たちに襲いかかるような大歓声に包まれるオリンピックの大舞台で、北口の1投目はライバルに強大なプレッシャーをかけたということだ。

 北口自身、昨年の世界選手権で優勝したことで、パリ五輪の金メダルを期待されるようになったプレッシャーが彼女にのしかかっていた。だからこそ、さらに進化しなければいけないと思い、そのための試みのなかで発生した不調に、不安も感じた。だが、パリで金メダルを獲れたことで、「今までの不安や重圧から解放されてホッとした」と涙を流した。

「東京五輪でケガをしたことが、一から自分を見直すキッカケになり、同じことを絶対に繰り返したくないと思い、この3年間はしっかり準備をしてきました。予選のあとはハラハラしたけど、ケガもなく終えられてよかったです。

 昨年の世界選手権も含めていい結果を出すことができたが、それでも満足できないということがわかりました。勝とうと思って臨んだ試合で勝つことは、そんなに簡単ではないのでうれしいけど、それでも満足できない理由があるのはとても幸福だと思います」

 今回も競技場に向かう時は緊張したが、入ってからは自分のやるべきことに集中し、緊張をまったく感じなかったという。その心の持ち様は、"真の王者"の姿であり、風格でもあるのだろう。北口は、それをオリンピックの大舞台で証明した。