二度目の現役時代。(左から)馬淵優佳さん、父の馬淵崇英氏、松本行夫コーチ、榎本遼香選手 photo by AFLO SPORT馬淵優佳 インタビュー前編 2024年2月に二度目の引退を発表した、元飛込選手の馬淵優佳さん。二児の母として挑んだ…
二度目の現役時代。(左から)馬淵優佳さん、父の馬淵崇英氏、松本行夫コーチ、榎本遼香選手
photo by AFLO SPORT
馬淵優佳 インタビュー前編
2024年2月に二度目の引退を発表した、元飛込選手の馬淵優佳さん。二児の母として挑んだ二度目の競技人生では、父であり、コーチでもある馬淵崇英氏の元から離れ、パリ五輪出場に向けて、懸命に努力を重ねた。目標としていたパリ五輪出場にはあと少しのところで及ばなかったが、引退から半年が経った今、彼女は清々しい表情で前を向いて歩み始めている。これまでの競技人生と、今の心境について話を聞いた。
【覚悟が拓いた道】
――今年2月に二度目の引退を発表しました。それから約半年が経ちましたが、今振り返ってみて、どんな競技人生でしたか。
飛込で自分は作られたという感覚です。飛込がなかったら今の活動はなかったので、本当にやってよかったと思っています。一度引退をしてから、すごく悩んでいましたが、思い切って復帰して本当によかったです。
――最初の引退で、そのまま競技人生を終えていたら、今のこの気持ちはなかったのでしょうか。
なかったです。どこかで競技に対して、もっとできたんじゃないだろうかという思いや、劣等感を持っていたと思います。私は小さい頃から嫌々競技をやっていて、その時間が長すぎました。その思いのまま引退をしたので、本当の意味で競技に向き合えていませんでした。自分の意志で競技に復帰したことによって、飛込に向き合えましたし、真剣に打ち込むことができました。この経験はこれからの人生において、本当に大事なことだったと思っています。
――嫌いだった飛込についても、今ではいい思い出になっているんですね。
今では飛込をやってよかった、競技をしてきてよかったと思っています。一度目の競技人生の時は、やらされていたという感覚でした。ほかにやりたいことがありましたが、「できないだろうな」と諦めていて、自分で何かを決断することができなかったんです。それは自分の性格的なところも要因のひとつとしてありました。
当然ですが、復帰するかどうか悩んだ時に、いろんな壁がありました。競技を離れて4年が経っていましたし、子どもがふたりいて家庭もありました。金銭面、所属先の面など、本当にクリアすべき問題がたくさんありました。
復帰を決断した時には、父にも反対されましたが、初めて自分の意志でそれを押しきりました。競技を支援してくれる人がいなくても、自分のお金でやり繰りする覚悟を決めて前に進みました。
その時に気づいたんです。自分はこんなにも飛込をやりたかったんだと。環境を変えてまでやりたかったんだと。そして覚悟を決めて行動に移していったことで、不安に思っていたこと、いろんな壁がすべて解決されていきました。本当にこれは支えてくれた周りの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。そして再び競技に飛び込んで行けた自分に対して自信もつきました。
パリ五輪出場を目指してやってきて、結局出場できず、すごく悔しかったです。ただ今感じるのは、こんなにも大きな決断を自分ができたこと、その決断に責任を持ってできたことは、この先の人生で起こるさまざまな苦難や壁に対して、強く生きていける糧になったと思っています。
【実感した「好き」のパワー】
――さきほどのお話のなかで、お父様が反対されたということでしたが、それはどのように反対されたんですか。
父は私が嫌々飛込をやっていたことを知っていたので、寝耳に水みたいな感じで受け取られました。「嘘やろ」「子どもをふたり産んで、4年も競技から離れていてできるのか」「そこまでしてやる必要があるのか」と。それは私の体が心配だというのもあったと思います。
それでも「もうやるから」ときっぱり伝えました。さきほども言いましたが、それが初めて父に貫いた反抗だったんですよ。とても厳しい父でしたし、それに立ち向かおうとも思っていませんでした。その気力すらないような状態で、成績もある程度出ていたので、「これが自分の道なんだ」と受け入れて競技をしていました。
だから父に反抗できた時に、「好き」のパワーってすごいんだなと実感しました。その後は本当に大変でしたが、好きであればこんなに踏ん張れるんだと自分に驚きました。
――二度目の引退の時には、お父様から何か言葉はありましたか。
「よく頑張った」と言っていました。父もこんなに自分が楽しく飛込をやっている姿を見たことがなかったんだと思います。めっちゃ練習をしましたし、自分で言うのも変ですが、父も周りの人も、国際大会の代表争いができるレベルまでもっていけるとは、想像していなかったと思います。
オリンピック出場が叶わなかった後、父から「こんなにできるとは思わなかった。結果ではなく、やってきた自分を認めてほしい」と居酒屋で泣きながら言われました。今思い出すと私も涙が出そうなんですけど。
――お父様も心配されていたんですね。
4年以上ブランクがあったので、ケガをしないかと、本当に心配していたようです。でも過去の自分とは全然違うんですよ。目標に向けて自ら進んでやってるだけ。その気持ちになるのが遅かったですよね。高校とか大学の時だったらよかったのにと思います。心と体が一体になっていればよかったんですが、当時はなかなか難しかった。本当に未熟でした。大人になって当時の環境で練習ができていたありがたみがわかりました。
――お父様以外の方々からはどんなメッセージをいただきましたか。
いろんな人から「辞めなくていいよ」「もうちょっとやったら」と言われました。今でもそれは言われますね。後輩と顔を合わせると「あれ、飛びに来たんですか」とか、「いつでも待ってます」とか言われます。それはすごくうれしいです。
復帰する時には、もう一度、選手のなかに入っていっていいのかと思っていました。中途半端な気持ちで入ってきたとか、注目されたいから入ってきたとか、思われているんじゃないかと。後輩たちばかりでしたし、入りにくかったのは確かです。でもいざ入ってみると、後輩たちも、小学生の子どもたちも、みんなすごく受け入れてくれて。復帰後の競技人生は本当に楽しかったです。
●インタビュー後編 『第3の人生に踏み出す決意「競技人生で得た経験を持って強く生きていきたい」』>>
【Profile】
馬淵優佳(まぶち・ゆか)
1995年2月5日生まれ、兵庫県出身。3歳から水泳を始め、小学生時代から飛込に励む。2009年に東アジア大会3メートル飛板飛込で銅メダルを獲得。2011年に世界選手権代表選考会の3メートル飛板飛込で優勝をし、世界選手権に初出場。2017年、22歳で競泳日本代表の瀬戸大也と結婚して引退。2018年に第1子、2020年に第2子を出産し、2021年、26歳の時に競技復帰を決断。2022年8月、日本選手権の1メートル飛板飛込で優勝、3メートル飛板飛込で4位、3メートルシンクロ飛板飛込で2位となる。2023年4月の翼ジャパンダイビングカップ兼国際大会派遣選手選考会の3メートルシンクロ飛板飛込で優勝。2024年2月に現役引退を発表した。