今季アタマからまずまずの好発進を見せたベガルタ仙台の森山佳郎監督。とはいえ、Jトップチームと年代別代表を指導するのは全…
今季アタマからまずまずの好発進を見せたベガルタ仙台の森山佳郎監督。とはいえ、Jトップチームと年代別代表を指導するのは全く別物だ。広島ユース時代に年間通してチームをマネージメントした経験はあるものの、JFAにいた昨年までとは異なるサイクルで仕事を進めることになったのは確か。そこには多少なりとも難しさを感じたはずである。
「昨年までやっていた代表監督というのは、選手をピックアップするのが仕事の7割。『職業・旅人』みたいなところがあって、いろんな場所に行って選手を見る時間が非常に多かったんです。
夏休みであれば、高校総体やクラブユース選手権、フェスティバルに出向いて朝から晩まで漏らさずに試合を見て、あちこちの関係者との情報交換に明け暮れていました。
活動は月1回ペースのキャンプと遠征。そこで選手を試し、宿題を与え、次に呼んだ時に進歩しているのかどうかを確認し、よくなければ別の選手と入れ替えるというのを繰り返し、年代別W杯や予選に挑む形でした。
その1か月間のプレッシャーとストレスは半端なかった(苦笑)。練習や分析で時間に追われてまともに寝られない日々が続く。そういう時間だったと思います。
Jクラブの監督になった今はそれが毎週来る感じかな(笑)。ホントに気を抜けないし、ホッとできるのは試合に勝った夜くらい。翌朝からまた映像を見て戦い方をどうするかを考え、選手たちの状態を見る生活に戻る。悩みに悩んで最後は『これでいく』と決断し、戦うというのを38試合やるというのは、緊張感の連続ですね」と森山監督はJFA時代との大きな変化を実感している様子だ。
■24時間を仙台に捧げる日々
仙台に移り住んで8か月が経過したが、青葉城などの名所を巡ったり、名物を食べたりする時間はほぼないと打ち明ける。
「今は単身赴任しているんですが、お昼はクラブハウスのケータリングが物凄くおいしくて、ホントに助かっています。夜は近くのスーパーの半額セールに行くか、近所の居酒屋にたま~に顔を出すくらいで、ほとんど家にいます。休日も家から一歩も出ずに映像分析をしている状況。お金も使わないし、練習場と家を行き来しているだけで。JFAの頃とは真逆の生活になりました(笑)。
やっぱり『仙台のためにやれることはないか』をつねに考えているし、強い情熱を持って自チームや対戦相手の映像をくまなく見たり、ミーティングのための映像や資料を編集しています。世界のサッカーを見る時間も減りましたけど、やることは本当に沢山ある。今は充実していますよ」
持てるエネルギーを全て仙台に注ぎ込んでいる森山監督。だからこそ、選手たちが消極的な戦いをする姿を見ると憤りを覚えるのだろう。最たるものが、4月20日の清水エスパルス戦の前半だ。序盤から相手に主導権を握られ、2失点した際、指揮官は選手たちに感情をぶつけたという。
「力の差も感じましたし、いろんな選手たちが『今季戦った中で一番難しかった』と話していた通り、清水が強かったのは事実です。外国籍選手や元日本代表選手もいて、質が高いのも認めます。それでも『難しいのは承知で全力でぶつかっていくべきなんだ』と僕は言いたかった。ハーフタイムにはそれをストレートに伝えました。
僕は正直者なんで、よかったらいいと言うし、ダメな時にはダメだとハッキリ言う人間。あの時はとにかく悔しすぎて『こんな試合をしていても全然成長しないぞ』と語気を強めたんす」
■「ゴリさんに言われたことを忘れたことはない」
森山監督のそういうスタイルは育成年代を指導していた時と全く同じ。久保建英(レアル・ソシエダ)や菅原由勢(サウサンプトン)らがU-15年代だった時の合宿でも「お前らはすぐ消える」「A代表になるやつは1人もいない」と容赦なく現実を突き付けていた。菅原などは「今もゴリさんに言われたことを忘れたことはない」としみじみ語っている。
仙台が8月3日の清水戦でリベンジを果たせたのも、前回対戦の悔しさが選手たちの脳裏に焼き付いていたからではないか。それをパワーに変えてしまうところも森山監督の手腕なのである。
【もりやま・よしろう】
1967年11月9日生まれ、熊本県出身。現役時代はサンフレッチェ広島などでプレーし、サッカー日本代表としてもキャップ数を重ねる。引退後は指導者の道を歩み、サンフレッチェ広島ユースでコーチと監督を歴任。その後、日本サッカー協会で育成年代の監督を務め、U―17日本代表監督としてFIFA U―17ワールドカップに出場した。今季からベガルタ仙台の監督を務める。
※記事内のデータはすべて8月9日執筆時点
(取材・文/元川悦子)
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