GIタイトルには届かなかったが、息長く活躍し、多くのファンから愛されたナイスネイチャ。そんな名バイプレーヤーが重賞初制覇を果たしたのが3歳時の小倉記念。後の飛躍への足掛かりとなった一戦を振り返る。  ナイスネイチャは父ナイスダンサー、母…

 GIタイトルには届かなかったが、息長く活躍し、多くのファンから愛されたナイスネイチャ。そんな名バイプレーヤーが重賞初制覇を果たしたのが3歳時の小倉記念。後の飛躍への足掛かりとなった一戦を振り返る。

 ナイスネイチャは父ナイスダンサー、母ウラカワミユキ、母の父ハビトニーの血統。88年に北海道・浦河の渡辺牧場で生まれた。90年に栗東・松永善晴厩舎からデビュー。春のクラシックには間に合わなかったが、3歳夏から快進撃が始まった。500万下の不知火特別、900万下のはづき賞と連勝。そして格上挑戦した小倉記念でも力を見せつけた。先行策から直線で抜け出すと、ヌエボトウショウやイクノディクタスなどの並み居る古馬を寄せ付けず。2着に2馬身差の完勝で、重賞初挑戦初制覇を果たしたのだった。

 その後はGI制覇を期待されたが、菊花賞が4着、有馬記念が3年連続で3着、マイルCSも3着と「ブロンズコレクター」に留まった。それでも6歳時の高松宮杯で実に2年7か月ぶりに重賞を勝ち、多くのファンを喜ばせた。8歳まで第一線で走り続けて、通算成績は41戦7勝、2着6回、3着8回。GI出走16回、重賞34戦連続出走は、いずれも当時の史上最多記録だった。そういった大舞台に立てたのは3歳時の重賞制覇で賞金を加算できたからに他ならない。

 そんなナイスネイチャだが、実は小倉を走ったのは3歳夏の3回だけだった。成績は3戦3勝。もし小倉にGIがあれば…。そんなことを考えてしまうほどの小倉巧者でもあった。