次のロス五輪では日本・大谷(右)vs.アメリカ・ジャッジが見られる可能性も photo by AP/AFLO 連日、熱戦…

次のロス五輪では日本・大谷(右)vs.アメリカ・ジャッジが見られる可能性も
photo by AP/AFLO
連日、熱戦が繰り広げられているパリ五輪。野球は、今大会は実施されていないが、MLBでは、大谷翔平やブライス・ハーパー、ドジャースのデーブ・ロバーツ監督など現場当事者から次回のロサンゼルス五輪へのメジャーリーガー参戦について、肯定的な意見が見られている。
すでに余裕のないMLB公式戦日程との兼ね合い、球団の収益性などの課題も挙げられているが、もし実現すれば世界の野球ファンのみならず、新たなファンの開拓にも大きく寄与することは間違いない。
ここでは、過去のオリンピックに関わりを持ってきた監督・コーチ、そして現役メジャーリーガーたちの声を拾ってみた。
【大谷、ハーパーが五輪出場への熱意を示す】
アメリカでは当たり前のことだが、夏季五輪中でも、普通に野球が行なわれている。
アスレチックスの本拠で、老朽化のため今年がMLB最後となるオークランド・コロシアム。今季の観客動員は平均で9000人を割り、30球団で最下位だ。だが、8月2日から4日にかけて行なわれた3連戦には、家族連れのドジャースファンがロサンゼルスから大挙して押しかけたことで、2万1000人、3万5000人、2万5000人とスタンドが埋まり、とても盛り上がっていた。大谷翔平も「アウェーでこれだけのドジャースファンの人にも来てもらって」と感謝している。
しかしながら、世界一のスポーツの祭典に野球が含まれていないのは寂しいことだと思う。例えば、ドジャースのクラブハウスでもテレビで五輪中継が流れていて、NBAの看板選手で、全米の人気者であるレブロン・ジェームスやステフィン・カリーが星条旗のついたユニフォームで戦っている。そこには、アーロン・ジャッジ(ニューヨーク・ヤンキース)も、大谷もいない。MLBがオリンピックは公式戦の時期と重なるからトップ選手を出すわけにはいかないと拒んできたからだ。だが、ようやく重い腰を上げるのかもしれない。
今年6月、フィラデルフィア・フィリーズの中軸打者、ブライス・ハーパーはニューヨーク・メッツ相手のロンドン・シリーズで、「2028年ロサンゼルス五輪にチームUSAで出場することが夢」と発言し、「オリンピックに出たい。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)もすばらしいけど、それとは違う。オリンピックは全世界的なものだし、子供の頃から夢見てきた舞台。国の色を身にまとい、代表で出る機会があるなら、ぜひそうしたい」と熱弁を奮った。
大谷もオールスターゲームの記者会見でオリンピックについて、熱意を示した。
「国際大会はもちろん特別だと思うし、特にオリンピックは特別。ふだん野球を見ない人も見る機会が増えてくるので、そういう意味では野球界にとっても大事なことかな、と。個人的にも出てみたいなという気持ちはもちろんある」
MLBの問題は、公式戦が162試合もあり、すでに過密な夏場のスケジュールを中断する余裕がないことだ。そして公式戦数を減らせば、各球団のオーナーの懐に入る収益も削られる。加えてMLBはWBCを国際野球イベントの最高峰として位置づけているため、オリンピックに協力したがらない関係者もいる。
とはいえ、このような同じ言い訳を20年近く前から繰り返しており、そろそろ変わるべき時なのだ。
【ロバーツ監督とオリンピックの縁】
ドジャースのデーブ・ロバーツ監督は、2028年のロサンゼルス五輪にトッププレーヤーを送ることに「賛成」と、語気を強めて筆者に明言した。
「すばらしいアイデアだと思う。私たち球界の人間がこれまでに行なってきたことはすべて、野球というゲームを成長させ、より多くの人々に観てもらうためだ。オリンピック以上の大舞台はない。その舞台で、MLBのスーパースターが母国を代表してプレーするチャンスを得ることはとても理にかなっている」
MLBは近年、世界に野球を普及させるためにかつてない努力を続けている。今年3月に大谷のドジャースとダルビッシュ有のサンディエゴ・パドレスがぶつかったソウル・シリーズが開催され、6月にはフィリーズとメッツのロンドン・シリーズがあり、ほかにメキシコとドミニカでも試合を行なった。2025年もドジャースとカブスが日本で開幕シリーズを戦う。それはそれですばらしい企画だが、オリンピックにベストプレーヤーを送り込むインパクトにはかなわない。ロバーツ監督も同じように感じている。
前回のロサンゼルス五輪が開催された1984年、ロバーツ監督は、サンディエゴ(ロサンゼルスから南に車で3時間)に住む12歳の少年だった。
「隣町でのオリンピックをとても興味を持って見ていた。カール・ルイスが金メダルを4つ獲得したこと、また、開会式の盛り上がりを特に覚えている。私は夏のオリンピックが大好きで、今はロサンゼルスに住んでいるので、2028年にはオリンピックが私の町にやってくるのがとてもうれしい」
ちなみに2000年のシドニー五輪、アメリカは決勝でキューバを4対0で破り、これまでで唯一の金メダルを獲得している。この時、野球では初めてプロ選手の参加が認められたが、MLBはマイナーリーガーしか送らず、若き日のロイ・オズワルト投手(MLBで2年連続20勝)やベン・シーツ投手(MLBで7シーズン2ケタ勝利)がチームをけん引した。ロバーツ監督も当時クリーブランド・インディアンズ傘下のマイナーリーガーで、五輪の出場権を得た1999年のパンアメリカン大会(カナダ開催)ではチームUSAの一員だった。
「私たちはこの大会で準優勝して、シドニー五輪の出場資格を得た。アメリカ代表で出たことは私にとって大変な興奮だった。オリンピックには出られなかったけど、参加できていたらすばらしかったと思う」と振り返っている。
【松坂大輔とコンビを組んだ捕手の良き思い出】
ボストン・レッドソックスのジェイソン・バリテックは2007年に松坂大輔とバッテリーを組み、世界一に輝いた名捕手。現在52歳の彼は同チームのゲームプランニングコーディネイターだ。
32年前の1992年、ジョージア工科大学の学生だったが、バルセロナ五輪で野球が初めて公式種目になった時のアメリカ代表だ。バルセロナ五輪と言えば、NBAが初めてトッププレーヤーを送り出した大会で、ドリームチームがNBAの人気を一気に世界的なものに変えた。バリテックはそのインパクトを現地で、肌で感じた。
「開会式、入場行進で私たち野球のチームUSAの次がドリームチームだった。ラリー・バード、マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソンがすぐ後ろにいる。すごい盛り上がりだった。
開会式の時だけじゃない。私とチームメートが、卓球台などが置かれたアスリートがくつろぐ部屋にいると、チャールズ・バークレーがまっすぐに私たちの方に向かってきて『バークレーです、よろしく』と。もちろん私たちはあなたのことは存じ上げていますと恐縮してしまったよ。世界最高のバスケット選手が集まって一つのチームで戦う。文字通り夢のようなグループで、神々しかった」
バリテックはこう振り返る。そんななかで、ラリー・バードは大学時代に野球もやっていたため、特に仲よくしてくれたという。「我々のことをすごく応援して、3、4試合球場で観戦してくれた。そのうちの一つはデーゲームで日本戦だったように記憶している」と懐かしむ。
今、野球界でも遅ればせながらドリームチームを結成しようという声が出ているが、バリテックもそれに賛成する。
「バルセロナ五輪でNBAの人気は世界的なものになった。野球というゲームをさらに成長させていくために、私たちも考える必要がある。私が出たバルセロナ五輪では野球はまだアマチュアの種目で、アマチュアリズムの意義を口にしていた。
だが、オリンピックは大きく変わった。バスケットに限らず、プロ選手が参加し、ベストプレーヤーが盛り上げている。世界が進化していく中で、野球も進化を続ける必要がある。私たちも最善を尽くすべきだ。そもそも現時点では、私たちアメリカがトップの強豪チームではないかもしれない。(東京五輪王者の)日本と同じラインに立たなければならない。競い合うことで野球も野球選手もよくなっていく。私の希望は、競技がより面白くなっていくことでゲームの露出を高め、若い世代の関心を集められること。幅広い年齢層にアピールできる」
メジャーリーガーをオリンピックに送れば公式戦を中断しなければならなくなるという点については、バリテックは次のように持論を述べる。
「中断が可能かどうかはわからない。でも理想的には、WBCもシーズンの途中に行なわれるべき。これまではシーズンが始まる前だったけど、(選手が最高のコンディションで臨める)シーズンの中盤から終盤にかけて開催されるべき。WBCのタイミングを調整して、シーズンの一部として組み込めるかもしれない。そして、4年ごとにオリンピックもあり、すべてが同じ時期に集中すれば、すべての国が同じタイミングで準備できるようになる。それが理想だ」
162試合の長い公式戦にこだわることで、MLBは新しい、大きなビジネスチャンスを逃してきた。だがNBAより遅れること36年、2028年は、アメリカが最強のチームを結成し、大谷率いる日本と真剣勝負をするべきなのである。
【課題は残るもMLB側と選手組合は前向き】
ちなみに五輪野球で金メダルを最も多く獲得しているのはキューバだ。1992年バルセロナ、1996年アトランタ、2004年アテネと3度も制した。特に活躍したのはラザロ・バルガス三塁手。バルセロナ五輪でオリンピック史上初のサイクル安打をマーク、37打数17安打で金メダルに貢献した。アトランタ五輪でも35打数12安打で連覇を達成。英雄としてキューバで切手にもなっている。その息子ミゲル・バルガスはドジャースでプレーしていたが、先日のトレードデッドラインにホワイトソックスに移籍したが、ミゲルもMLBがトッププレーヤーをオリンピックに送ることに賛成だと言う。
「父がオリンピックで活躍したときはまだ生まれていなかったから、見ることはできなかった。でもうちの家族は父をとても誇りに思っているし、2008年北京五輪の時は兄弟でテレビにかじりついて見ていた記憶がある。キューバはあの時は銀メダルだった。
オリンピックでメジャーリーガーがプレーするのは、とてもいいこと。世界的なイベントでインパクトが大きいし、トッププレーヤーたちも国を代表して戦いたいと願っているからね」
現在60歳の父親は、今はフロリダ州マイアミにいて野球アカデミーを営んでいるそうだ。
こうした前向きな意見があるものの、みんなが前向きなわけではない。
アスレチックスのマーク・コッツェー監督(48歳)は1996年アトランタ五輪のアメリカ代表で2番レフトで常時出場、打率3割をマークし、銅メダルを獲得した経歴を持つが、異なる意見の持ち主だ。
「国を代表してプレーすることに大きな喜びと誇りを感じた。だから、ロサンゼルスで再び野球がオリンピック競技に戻るのはうれしい。しかしメジャーリーグの選手がオリンピックのために2週間も休むのは現実的ではない。私の出た時のように、トップアマチュア選手から選んで、最高の舞台に立たせればいいと思う」
ちなみに米スポーツサイト『ジ・アスレチック』がメジャーリーガーを対象に行なった調査によると、シーズンを中断してでもトップ選手を出すべきと考えるのは46.6%にとどまり、反対が53.3%であった。賛成派の主な意見は、オリンピックに出るチャンスなんてそうはないし、すごく楽しいだろうというもの。反対派からはケガが増えるし、アメリカが強すぎて他国を圧倒するだけというのが主な理由として挙げられている。
とはいえ、MLBのトップは前向きに考える方向に舵を切っている。オールスターウィークの記者会見ではロブ・マンフレッド・コミッショナーも、MLB選手組合のトニー・クラーク代表も、以前とは違って前向きになっていた。マンフレッド・コミッショナーは「どのようにすれば可能なのか、シーズンにおいてどのような妥協が必要かを話し合っている。私はこのテーマに関してはオープンな姿勢を保ち続ける」とコメントした。
ぜひ2028年、大谷vs.ジャッジを実現し、未来につなげていってもらいたいと考える。