特別対談/丹羽大輝×家長昭博(後編)現在スペイン4部のアレナス・クルブ・デ・ゲチョでプレーする丹羽大輝が、2011年から続けてきた復興支援活動。今年は例年と少し形を変え、『Niwa Goal Project(NGP)』として、熊本、広島、新…

特別対談/丹羽大輝×家長昭博(後編)

現在スペイン4部のアレナス・クルブ・デ・ゲチョでプレーする丹羽大輝が、2011年から続けてきた復興支援活動。今年は例年と少し形を変え、『Niwa Goal Project(NGP)』として、熊本、広島、新潟、そして京都で実施された。

その想いに共鳴したのが、川崎フロンターレの家長昭博だ。ガンバ大阪アカデミーの先輩・後輩という間柄ながら、同期のように育ったふたりが家長の地元、京都・長岡京市で久しぶりに再会。イベントに集まった子どもたちとともにボールを蹴った。彼らが活動を通して伝えたかった想いや、38歳になったふたりの"今"について話を聞いた――。



それぞれの現状、今後について、大いに語ってくれた丹羽大輝(右)と家長昭博(左)

――お互いの試合を観ることはあるんですか?

家長昭博(以下、家長)丹羽ちゃんがスペインに行ってからはほぼ観てないです。観なくても、なんとなくこうなんやろうなって想像できるし。

丹羽大輝(以下、丹羽)僕も1試合を通して観るってことはないけど、ハイライトは時々、観ています。この間もガンバ大阪戦でアキがえっぐいアシストをしているのを見て、「また"変態パス"を出してるわ」って思っていました。

家長 この歳になったら、サッカーの試合を観ることってあんまりないよね。

丹羽 いやいや! 僕はヨーロッパのサッカーを時差なく観られるから、めっちゃ観てるよ! アキは海外の試合は観ないの?

家長 ガッツリ90分を観ることはまずない。20分くらい観たら大概、違うことを始めてる。丹羽ちゃん、スペイン、何年目だっけ?

丹羽 次で4シーズン目。

家長 すごいな。昨シーズンも結構試合に出てた?

丹羽 34試合のうちの31試合。

家長 すばらしいな。どう? 楽しい?

丹羽 めちゃめちゃ楽しいけど、スペインに行って、ますますサッカーがわからなくなった気がする。でもだからこそ、20代の頃よりもっとサッカーを知りたいし、もっとやりたいなって気持ちにさせられる。おかげで、38歳ながら「まだまだ俺、ひよっこやん!」みたいな気持ちになってる。だから、一周まわってまたイチからフレッシュにって思えているんだと思う。

家長 初心に返るみたいなこと?

丹羽 そんな感じ。引退を考える年齢に近づいているのに、まったくそこを考えられないし、今はこれまでの経験、キャリアを全部受け入れたうえで、プロになりたての頃のようなフレッシュさでサッカーをしてる。

 アキは? 今はどんな感覚でサッカーに向き合ってるの?

家長 どうかなぁ。20代には20代の楽しさ、厳しさがあったし、30代にも同じようにその両方があって、その時々でそのふたつの割合は増えたり減ったりはしてるけど、大きな括りで言うと10代の頃も、今も根本的に自分の何かが変わった感じはないかな。ただ、サッカーをわかった、という感覚にはいつまで経ってもなれない。

丹羽 よな。これだけ全世界の人たちがハマるスポーツやから、当たり前かも知らんけど、やればやるほど奥深いし、観れば観るほど知らんことだらけやなって思う。だから、今はめっちゃサッカーを勉強してる。近隣国のトップリーグの試合も観に行くし、下部の......それこそ6部とか7部の試合や育成年代の試合を観に行くこともある。そうやって、各国の草の根の部分に近づくほど、わからんくなっていくわ。

家長 サッカー、好きやな~。

丹羽 めっちゃ好き。観れば観るほど新しいことを知れるもん。行く場所によって正解も変わるし、戦術にもいろんなトレンドがあるしね。昨今のスペインは、スペイン人以外の指導者も増えたけど、それによる戦術の変化も起きて、またこんな監督がこんな戦術を始めたんか! またこんな選手が来たんか! みたいなことばっかり。それを知るのがほんまに楽しい!

家長 それが、丹羽ちゃんの「やれる範囲」なんやろな。

丹羽 どういうこと?

家長 人にはそれぞれ「やれる範囲」があるやん? 年齢に応じてもそうやし、置かれている環境や体の状態に応じてもそうやし。それを超えてはできないというか、そこを超えると自分が苦しくなる。実際、僕が丹羽ちゃんのような毎日を送っていたら、逆にサッカーが嫌いになりそう(笑)。

丹羽 そう言いつつ、アキはトレーニングもしっかりやるし、チームのクラブハウスを出たら終わり、では絶対にない。

家長 まぁ、それも自分のやれる範囲で、よ。調整するという言い方が正しいのかはわからんけど、トレーニングをする日はするけど、めちゃあっさり家に帰る日もある。人は自分が見たものを100だと思いがちやけど、たまたま丹羽ちゃんが僕を見た日がトレーニングをしていた日だったからといって、他の日も頑張っているかはわからない。

 だからやっぱり、人それぞれだと思うんよね。トレーニングの強度も、やる量も、休む量も。なんなら、この歳になったら休憩するとか、休むこともすごい大事やと思うしね。だからこそ(自分は)この先も自分のやれる範囲で、と思ってる。

――先日、家長選手はJ1リーグ450試合出場を達成されました。30年を超えるJリーグの歴史においても15人目の偉業です。そういう数字が何かご自身の基準になることはありますか? たとえば、川崎フロンターレで言うと、すでに引退されていますが、レジェンドの中村憲剛さんが471試合、大久保嘉人さんが477試合という記録を打ち立てています。

家長 Jリーグの場合、時代によって試合数も違うし、それこそ交代枠が3人から5人に変わったことでもこういった数字は変わってくるので、あまり意識はしていません。ただ、自分の年齢が上がるほど、以前のように横を見たら同世代がたくさん頑張っている、という環境ではなくなってきたからこそ、モチベーションのひとつにしているというか。

 自分がもうちょっと頑張ろう、もう一歩前に出ようって時に、あの選手は、あの歳でこのくらい戦ったんやな、ってことを基準にすることはあります。もちろん、数字だけじゃなくて、丹羽ちゃんもしかり、周りの頑張っている姿に刺激をもらうこともありますしね。

丹羽 それは僕も同じよ。J1リーグ出場450試合超えって、過去に達成した人がほとんどいないように、ほんまに限られた人にしかできないことだし、ましてやアキは海外も......マジョルカ(スペイン)や蔚山現代(韓国)も挟んでいるわけやから。

 アカデミーから飛び級でトップチームに昇格して、華々しく活躍してきたイメージがあるアキやけど、その裏では前十字靭帯断裂をはじめとするケガもあったし、海外で苦しんだ時期もあって、その数字の裏にはものすごい努力というか......アキは努力とは思っていないだろうけど、すごい戦いの日々があったはずなので、マジでリスペクトしかない。

 だから、JリーグMVPもめちゃめちゃうれしかったし、今もフロンターレの中心選手として活躍しているのも、めちゃめちゃ励みになる。それはこの先も......。

家長 なぁ、喋りすぎちゃう(笑)? 10超えて15くらいまで喋る勢いやん。簡潔にね。

丹羽 アキが全然自分のこと喋らんから、俺が言いたくなるねん!

家長 ありがとう。でも、もう大丈夫(笑)。

――先ほど丹羽選手の言葉に"引退"というワードが出てきました。キャリアの後半を過ごしているなかで、家長選手は先のことを考えることはありますか?

家長 考えますし、さすがにこの年齢まできたら、いつ終わってもいいとも思っています。何歳までやろうとか、年齢で決めることはないですけど、自分のプレーがプロサッカー選手として見合わないなって思ったところで辞めようかなと思っています。

丹羽 それは、周りがどう評価しようと、自分の感覚で?

家長 そうね。おそらく選手のなかにはサッカーが好きだから、という理由で現役を続けている人もいるし、それも全然いいと思う。でも僕は、性格的にそれは無理やから、自分の思うレベルでプレーできるかが基準になると思う。

 あとは......この歳まで現役をやれているのは、ある程度、個人としての結果をチームの結果に繋げられてきたから雇ってもらっていると思うので。そこはこの先、よりクラブから問われる部分だという自覚もある。丹羽ちゃんは、まだまだやるでしょ?

丹羽 現時点ではプレーヤーであることがてっぺんにあるけど、先のことはわからんよ。ただ、引退後も"サッカー"は自分のド中心にあるとは思う。それが指導者なのか、他の関わり方なのかはわからんけど。スペインでの時間も長くなってきただけに、日本とスペインの架け橋的な存在になるのもいいかな、みたいなことも少しは考えるしね。

家長 いや、まだまだやるな。

丹羽 危機感しかないけどね。僕が所属しているアレナスはスペイン4部のチームやけど、そのステージのチームに38歳の僕が契約してもらっている=1年を通して、チームの結果に直結するような、絶対的な戦力でないとアカンというのはわかっているしさ。今のチームも僕の次の年長者って、10歳くらい下の28歳くらいの選手だと考えてもなおさらね。

家長 その危機感があるから、やれているのかもしらんな。

丹羽 そうね。こうして日本でのオフシーズンを過ごしている間も、実はめっちゃ不安やし。来週から始まるチームのキャンプに向けて当然、体の準備はしているけど、やってもやっても足りているかわからん。

家長 大丈夫。それは、ちゃんとピッチでのプレーに表われるから。

丹羽 ホンマに? そう言われるだけで安心するわ(笑)。

――前編では、NGPでの活動を通して、子どもたちの未来に希望を与えるきっかけになれば、というお話がありました。今後、ご自身はひとりのサッカープレーヤーとしてどういう希望を与えていきたいと思いますか。

丹羽 僕は年齢に関係なく、チャレンジすることの大切さを自分の姿を通して伝えていければなと思っています。そのためには、言葉ではなくピッチの上でのプレーで自分を示し続けることがひとつだと思うので、まずはその姿勢を見せ続けていきたいです。

家長 自分に伝えられることはほとんどないと思うので、僕自身がどういう姿を見せたいっていうのはないです。でも、これまでの自分の経験をもとにした子どもたちへのメッセージということで話をするなら、自分がやりたいことをやれる人になってもらいたいなって思っています。

 大人になったらわかるんですけど、意外とやりたいことをやるって難しいことで......。そもそも見つけられないかもしれないし、環境的にできないこともあるかもしれない。でも、それもたくさんの選択肢のひとつであることを忘れないでほしいというか。やりたいことをやれなくても人生が終わるわけではないし、やれないことによって、やれることが出てくるかもしれない。

 もっと言えば、仮にやりたいことがなくても不安を持つ必要もない。だって、それって人生で一番大事なことではないから。僕が一番大事だと思うのは、健康に生きること。それができていて、楽しいと思えることがあったら、それでいい。

丹羽 やりたいことは、サッカーである必要はない、と。

家長 そうそう。なんならスポーツである必要もないし、家族と話すとか、恋愛を楽しむ、でもいい。前編でも話したように、なんでも答えを決める必要はなく、「いつか夢中になれるものが見つかったらラッキー」くらいの感覚で元気に、楽しく過ごしてほしいなって思う。

 実際、僕も丹羽ちゃんも、そんなプロ、プロと思ってサッカーをやっていたわけではなく、楽しいと思うことを積み重ねてきた先に、たまたまプロの道が拓けただけじゃない?

丹羽 確かに、特に僕は特別な才能があるわけでもなかったし、サッカーが好きで、サッカーをするのが楽しくて、もっと巧くなりたい、これができるようになりたいって、目の前の練習をただただ一生懸命やってきて、気がついたらこの年齢になっていた感じやからね。

家長 僕らがこうしてサッカーを今もやれているのもある意味、偶然やしな。もし、目の前にあるのが野球だったら、野球にのめり込んでいたかもしらんしさ。見方を変えれば、生まれ育った環境が自分をサッカーにハメてくれたのかもしれない。そう考えると......改めて今回のNGPの活動を通して、自分が育った長岡京市で子どもたちと一緒にサッカーができでよかったなって思う。声を掛けてくれた丹羽ちゃんに感謝です。

丹羽 なぜかアキがまとめてくれてる!

家長 もうだいぶ話したから、そろそろいいかなって(笑)。

丹羽 そやな。NGPに参加してくれた子どもたちが元気すぎて結構、俺ら、クタクタやしな(笑)。アキは将来、指導者って選択肢はないの?

家長 え!? まだ聞く? 指導者はないな。

丹羽 そんな気がした。

家長 どやねん。何をすればいいと思う?

丹羽 ファッショニスタでいいやん。アキは昔からオシャレやったから。17歳でびっくりするような赤いベルトをしてたもん。

家長 そうやったっけ?

丹羽 うん。俺らにはまったくそのセンスが伝わらなくて「アキ、どうしたん?」みたいになってたけど(笑)。

家長 俺、癖強っ!

丹羽 それが、家長昭博やからいいねん。今日はありがとう。

家長 こちらこそ、ありがとうございました!

(おわり)


ガンバ大阪のアカデミーで一緒に汗を流した面々。写真は2012年当時。左から家長昭博、金正訓(当時サガン鳥栖通訳、現在はSOLTILO CHIBA U18監督)、丹羽大輝、横谷繁(現ガンバユースコーチ)

 写真提供:丹羽大輝

丹羽大輝(にわ・だいき)
1986年1月16日生まれ。大阪府出身。ガンバ大阪のアカデミー育ちで、2004年にトップチーム昇格。当初はレンタル移籍を繰り返して、2012年にガンバへ復帰。2014シーズンにはチームの三冠達成に貢献した。その後、サンフレッチェ広島、FC東京などでプレーし、現在はスペイン4部のアレナス・クルブ・デ・ゲチョでプレーしている。

家長昭博(いえなが・あきひろ)
1986年6月13日生まれ。京都府出身。ガンバ大阪ジュニアユース、ユースを経て、2004年にトップチームデビュー。2011年にスペイン1部・マジョルカに移籍。その後、韓国の蔚山現代などを経て、2014年から大宮アルディージャでプレー。2017年に川崎フロンターレに加入し、2018シーズンにはJリーグ最優秀選手賞を受賞した。