第74回:最多勝利名古屋場所(7月場所)では、元大関の魁皇が持つ最多勝利記録(1047勝)を見事に更新した横綱。最多優勝などに続き、またも偉大な記録を塗り替えた、横綱の素直な思いに迫る――。名古屋場所で目標としていた最多勝記録を塗り替え…

第74回:最多勝利

名古屋場所(7月場所)では、元大関の魁皇が持つ
最多勝利記録(1047勝)を見事に更新した横綱。
最多優勝などに続き、またも偉大な記録を塗り替えた、
横綱の素直な思いに迫る――。



名古屋場所で目標としていた最多勝記録を塗り替えた白鵬

 およそ1カ月にも及んだ夏巡業が終了。8月28日には大相撲秋場所(9月場所)の番付が発表されました。

 さて、先月行なわれた名古屋場所(7月場所)を振り返ってみると、通算39回目の優勝を達成。そして、大きな目標としていた魁皇関が持つ通算最多勝利記録(1047勝)に追いつき、追い越すことができました。それだけに、本当に充実感いっぱいの場所でしたね。

 その最多勝記録の前には、あの大横綱・千代の富士関が打ち立てた1045勝という記録もありました。同じ横綱として、偉大なる先輩が達成されたこの記録に「まずは追いつきたい」と思っていました。場所前は、その思いが相当強かったです。

 そうして臨んだ名古屋場所。ここ最近の中では、場所前としてはかなり納得できる稽古ができましたし、気持ちの面も充実していました。ただし、本場所の土俵では何が起こるかわかりません。私はその恐ろしさが十分にわかっていましたから、改めて気を引き締めて、初日を迎えるようにしました。

 序盤戦は、若手の元気な力士たちが果敢に挑んできました。4日目には若手の有望株である貴景勝(21歳)と対戦。その際には、土俵の中央で見合ってしまって、私が「来いよ!」とばかりに喝を入れるほど、私の士気も高まっていましたね。その後も、中日には話題の”アクロバット力士”宇良との対戦が組まれるなど、息の抜けない毎日が続きました。

 それでも、何とか全勝で迎えた9日目。平幕・輝との一番は、いよいよ千代の富士関の記録(通算1045勝)に並ぶとあって、気合いが入っていました。結果、はたき込みで輝を下して、大横綱の記録に並ぶことができました。素直にうれしかったですね。

 それからすぐ、11日目には最大の目標である魁皇関の記録に並べる一番を迎えました。相手は関脇の御嶽海でした。やや気持ちが入りすぎてしまったのか、寄り切り負け。すんなりと1047勝を挙げることはできませんでしたが、翌12日目の玉鷲戦に勝って目標を果たすことができました。

 通算1048勝という新記録がかかった翌日は、大関・高安と対戦。押し倒しで勝って、魁皇関の記録を更新することができました。当日は東京から家族も駆けつけてくれて、忘れられない一日になりました。

 優勝争いは、1敗の私を2敗で追っていた平幕の碧山が奮闘。千秋楽でも先に碧山が勝って2敗をキープし、最後に私が敗れれば、優勝決定戦までもつれ込む展開となりました。

 横綱・日馬富士との結びの一番。1分を超える長い相撲となりましたが、最後は寄り倒しで勝利して14勝1敗。碧山を押さえて、39回目の優勝を飾ることができました。

 昨夏から今年の前半にかけて、思うように白星を挙げられずに悩んでいた日々を、このときばかりは忘れて喜びに浸りました。優勝インタビューでは『V39』に引っかけて、「名古屋のみなさん、サンキュー!」と言ったのは、まさに私の心にあった正直な叫びだったと思います。

 名古屋場所が終わり、夏巡業が始まるまでのわずかな休暇中、私は故郷のモンゴルで過ごしていました。モンゴルの短い夏を味わいたいということもあったのですが、このたびウランバートル市内に初めて大相撲と同じ土の土俵が作られ、その贈呈式に参加する役目もありました。

 現在、大相撲の世界には30人近いモンゴル人力士がいます。それなのに「なんで、(モンゴルには)これまで土俵がなかったの?」と、不思議に思う方もいるかもしれません。

 モンゴルで盛んなモンゴル相撲の場合、その大会は草原で行なわれます。ゆえに、土俵というものは存在せず、子どもたちの相撲大会を行なうときなどは、体育館にマットで土俵を作って対応していました。また、土俵を作るためには、専門的な技術が必要で、一度作った土俵を維持していくのも結構大変なことなんです。

 それが、今回はついに実現。大相撲の土俵は呼び出しさんたちが作るのですが、今回は名古屋場所の仕事を終えた彼らにウランバートルまで飛んでもらって、最終的な仕上げを依頼。それで、なんとか真新しい土俵が完成しました。私が所属する宮城野部屋の呼び出し・隆二さんや、同じく友綱部屋の旭さんには本当にお世話になりました。

 完成した土俵には、これから吊り屋根と観客席もつけて、モンゴルでも相撲大会が開催できるように整備していく予定です。この土俵から、私が主催する『白鵬杯』や、さらには大相撲界入りを目指す、たくさんの少年が育ってほしいと思っています。

 モンゴルでの束の間の休暇を終えると、7月30日に岐阜県からスタートした夏巡業に参加。その後、滋賀県、愛知県、富山県、新潟県などを回って、東京・渋谷の青山学院大の記念館でも行ないました。以降、東北、北海道などの巡業には、負傷した足の治療もあって参加できませんでしたが、東京・お台場で行なわれた巡業から再び復帰しました。

 私も途中で離脱してしまいましたが、今回の巡業では横綱みんなが顔をそろえることができませんでした。夏場所(5月場所)から四横綱時代に突入しましたが、各々負傷などを抱えていて、いまだ全横綱が万全な状態で土俵を務める形には至っていません。ファンのみなさんには、残念な思いをさせて申し訳なく思っています。

 その分、私が参加するときは、横綱として「できることはしっかりやらなければいけない」と思っていました。気持ちも、いつも以上に引き締めて巡業に臨みました。

 おかげさまで、各巡業はとても盛況でした。どこに行っても、たくさんの拍手で我々力士を迎えていただきました。そして、どの会場も熱気に満ちていて、一時人気が低迷していた数年前のことを思うと、夢のような光景です。ファンのみなさんには、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 人生って、その後どうなるのか、誰にもわかりません。だからこそ、大変だし、面白いのでしょう。そんな人生を目いっぱい楽しむためにも、「今日を思いっ切り生きる!」ということを大切にしていきたいな、と思っています。

 ところで、今回の夏巡業では、新潟県佐渡市に行ったときのことが印象に残っています。そこでは1日お休みがあったので、付け人たちに一緒に磯釣りに出掛けたんですよ。私は自然が大好きですから、とても楽しく過ごせました。

 ただ、釣りに没頭するあまり、下ばかり向いていて、背中だけがかなり日焼けしてしまいました(笑)。釣った”獲物”は焼いて、みんなで食べました。こうしたリフレッシュができるのも、巡業ならではのことでしょう。