ケニア戦は勝利が不可欠。山田のパフォーマンスに期待だ(C)Getty Images パリ五輪に臨む女子バレー日本代表は現地8月1日、プール戦を突破すべく、第2戦に臨んだ。相手のブラジルは2022年世界選手権、2023年のパリ五輪予選と競り合…

 

ケニア戦は勝利が不可欠。山田のパフォーマンスに期待だ(C)Getty Images

 

 パリ五輪に臨む女子バレー日本代表は現地8月1日、プール戦を突破すべく、第2戦に臨んだ。相手のブラジルは2022年世界選手権、2023年のパリ五輪予選と競り合いを演じ、そして今年のネーションズリーグ準決勝で撃破してみせた相手とあって、今回も!と息巻いたが……。ストレートで敗れる結果に終わった。

【動画】スマイル炸裂!184㎝の女子バレー日本代表・山田二千華の“あるある”とは

 

 五輪では過去2度の金メダルを獲得し、男子とともにバレーボール大国として国際舞台では頂上の一角に君臨するブラジル。その強敵に対して日本はとりわけ2022年以降、好ゲームを繰り広げてきた。それらの試合で活躍が光った一人がミドルブロッカーの山田二千華である。

 というのも2022年世界選手権の準々決勝では両チーム通して最多7本のブロックポイントをマーク、そして昨年のパリ五輪予選は要所で3本のブロックシャットを浴びせていたのだ。いずれもフルセットの末に敗れたため、“ブラジルキラー”とまではいかなくとも、相手にとって山田のブロックが脅威であることは確か。本人もブラジルに対して強敵であることは認めつつ、苦手意識を持ってはいなかった。

「私の中でブラジルは止めやすいんです。勢いを持って向かってきれくれるので。こちらが引けば引くほど、ぐいぐいと押してくるのですが、しっかりと攻撃を見極めれば、相手もムキになって打ってくる印象です。なので、冷静に見れたときに『あ、ここは止められるかも!!』となる。その感覚がブラジル戦では多くありますね」

 ゆえに期待値は高かった。今回のパリ五輪でも山田がブラジルを跳ね返してくれるのでは、と。

 だが、今回はまるで違った。山田が口にした「引けば引くほど、押してくる」の展開に日本は引きずり込まれる。ブラジルとしても、ほとんどの時間帯でリードしていることもあっただろう、決して“ムキになって打ってくる”ことはなく、「集中力がすごかった」という試合後の眞鍋政義監督どおりに終始、高いアタック決定率で日本を圧倒した。そのブラジルを相手に山田のブロックも不発に終わる。結果的にシャットは1本もできなかった。

 それでも山田の強みが出た場面があったとすれば、第1セットの開始早々、6-5から奪ったサービスエースだ。

 日本としては各セット序盤の入り方は重要であり、先行する展開に持っていくことで勝機を見出せる。その点において、相手エースのアナ・クリスティーナを崩した山田のサーブは、ここから試合を進めていくうえでの“号砲”に映った。

 そもそもサーブは2022年から始まった眞鍋監督体制下における強化ポイントであり、山田もサーブの効果率は年々高まっていた。その理由について「自分の打ち方もかなり安定してきたと感じています。それに、以前はターゲットだけが意識にあったのですが、それだけだと相手もカバーするなど手を打ってくるので。いかに揺さぶるかも頭に入れながら、サーブのバリエーションや引き出しを増やすことを心がけてきました」と話す。

 眞鍋監督もセット序盤で山田にサーブ順が回るようにローテーションを組んでいるのは、「サーブで主導権をにぎりたい」という狙いと山田への期待の表れだ。そして山田も「自分のベストサーブを打つ」ことを体現している。

 思えば、プール戦敗退に終わった東京2020五輪は日本代表での経験も浅く、さらに山田自身の性格もあり、チームとしても個人としても悔しさに打ちひしがれた。そこから眞鍋監督に「お前はプラス思考でいったほうがいい」と促され、今に至る。

「この3年間でいちばん進化したのは気持ちの部分です。東京五輪で『もう絶対に悔しい思いはしない』と決めて、今は『自分がチームを勝たせたい』という思いでいます。その気持ちが大きくなっているので、パリ五輪では後悔のないように、全力を尽くして戦いたいです」

 大会を前にそう言葉に力を込めた山田。プール戦最後のケニア戦で今一度、この3年間の成長した証しをぶつける。

 

[文:坂口功将]

 

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