日本にパリ五輪の出場権、アジア王者の称号をもたらした、U-23日本代表。その栄光のメンバーの中でも、U23アジアカップ全試合を通じての数々のビッグセーブ、そして決勝戦での劇的PKストップで、一躍、国民的ヒーローとなった小久保玲央ブライアン…

 日本にパリ五輪の出場権、アジア王者の称号をもたらした、U-23日本代表。その栄光のメンバーの中でも、U23アジアカップ全試合を通じての数々のビッグセーブ、そして決勝戦での劇的PKストップで、一躍、国民的ヒーローとなった小久保玲央ブライアン。
 パリ・オリンピック初戦のパラグアイ戦では、ディフェンダーとの連係ミスから危ないシーンもあったが、5-0の完封勝利に貢献。先日、所属するポルトガル1部ベンフィカからベルギー一部シント=トロイデンへの移籍を発表したパリ五輪日本代表の守護神に、アジアカップでの激闘を振り返ってもらった。
「みんなを守りたい」と語るS・G・G・K(スーパー・グレート・ゴール・キーパー=『キャプテン翼』©高橋陽一)に独占インタビュー!

「ミスをしない安定したプレーだなと」

――パリ五輪出場権を獲得し、アジア王者にも輝いた「AFC U23アジアカップ」を振り返らせてください。
 全試合にフル出場し、日本代表の守護神として数々のビッグセーブ。大会を通じて、小久保選手が得たものは?

小久保 所属するポルトガル1部のベンフィカ(7月11日、シント=トロイデンへの移籍を発表)では、出場機会に恵まれていなかったので、アジアカップに出場して試合感覚をつかめたことで、自分の長所は、ミスをしない安定したプレーだなと改めて気づきました。
 だから、自分ができないプレーはやめて、集中力をキープして、高いディフェンスラインをしっかりと守る。やることはシンプルだけど、1本1本のプレーの質を高めていけば、キーパーとしての安定感をアピールできる。
 その考え方がしっくりきたので、アジアカップの安定性をそのままに、どのチームに行っても、どのリーグに行っても、同じプレーを見せ続けられたらいいなと思っています。

――グループステージ初戦の中国戦では、開始8分に松木玖生選手の先制ゴールでリード。幸先いいスタートと思われましたが、17分に西尾隆矢選手がレッドカードで退場。10人という数的不利な状況を突きつけられました。

「正直、自信はなかったです(笑)」

小久保 最初は、先制した1点を後ろの選手と自分で絶対に守らなければいけないと思いました。でも、そうじゃない。チーム全員で守らなければいけないよねと、ハーフタイムにみんなに声をかけました。
 追加点を狙いたいし、この1点を守りたいという思いもあったので、そんなときこそ、チームがしっかり団結しないといけない。結果、10人になったけど、みんなで11人分の働きをすることができたので、勝つことができたんだと思います。
 もし、中国戦で負けていたら、アジアカップの優勝はなかったと思いますし、それだけ重要な試合でした。

――決勝のウズベキスタン戦は、後半アディショナルタイムに山田楓喜選手がゴールを奪いましたが、終了間際、関根大輝選手がPKを献上。そのPKを小久保選手が見事に防ぎました。

小久保 関根にはたくさん助けられていたし、自分だけではなく、チームとしても頼りになる存在だったので、あのときは自分が関根の力にならなければいけないと思いました。PK戦はキーパーに不利ですし、正直、自信はなかったです(笑)。でも、チームのみんなが「止められる」って声をかけてくれたのが自信につながりました。
 それに、キーパーコーチとのミーティングで、飛ぶ方向を決めていたのが大きかったです。相手選手(ウマラリ・ラクモナ)は自分のことを見ないでヘッドダウンした(視線を下げた)ので、それを見た瞬間、先に飛ぼうと思ったんですね。おそらく、すごく良いコースに来るなと。
 実際に、すごく良いコースのシュートが来たのですが、先に飛んだことで、ボールに追いつくことができたんだと思います。

――PKストップの後、試合中に涙を見せたことも大きな話題になりました。

小久保 ずっとPKの練習をやっていたので、その積み重ねが結果につながったことがうれしかったのと、今のチームが大好きだったから。自分はU-15から代表に呼んでもらっていて、どのチームも素晴らしいのですが、特に、今のU-23が一番のお気に入りなんです。
 それだけ思い入れが強いチームだったので、そのチームでの戦いがもうすぐ終わってしまう。そんな寂しさもあったし、そのチームのために守り切って優勝で終わりたいという思いもあった。それで、泣いちゃったんです。

――U-23日本代表で戦うことに、特別な思いはありますか?

小久保玲央ブライアン(こくぼ・れお・ぶらいあん) 2001年1月23日生まれ、千葉県出身。193センチ、91キロ。ナイジェリア人の父と日本人の母との間に生まれ、小学生時代は柏エフォートFCでプレー。柏レイソルU-15、U18で才能を伸ばし、18年、柏レイソルトップチームへ。同年1月開催の「アルカス国際カップ」で大会最優秀GKに選出されたことで世界的に注目され、翌19年1月、ポルトガル1部の強豪SLベンフィカのU-23チームに加入することに。20年8月には、UEFAユースリーグ決勝でレアル・マドリードと対戦。2-3で敗れるも、大会準優勝に貢献した。同年10月、2部SLベンフィカBで初ベンチ入り。22年1月、Bでデビューを果たし、5月にトップチームで初ベンチ入り。日本代表としては、U-15代表候補に選ばれたのを皮切りに、各年代で選出。今年4月のAFC U23アジアカップでは、数々のビッグセーブでパリ五輪出場権、アジア制覇に貢献。7月11日、ベルギー1部のシント=トロイデンVVへの完全移籍を発表した。

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