パリ五輪でメダル獲得を目指すU-23サッカー日本代表、大岩ジャパンのエースナンバー10を背負う、オランダ1部スパルタ・ロッテルダムに所属する斉藤光毅(22)に直撃インタビューを敢行。初戦のパラグアイ戦では、三戸舜介の先制ゴールを縦へのスル…

 パリ五輪でメダル獲得を目指すU-23サッカー日本代表、大岩ジャパンのエースナンバー10を背負う、オランダ1部スパルタ・ロッテルダムに所属する斉藤光毅(22)に直撃インタビューを敢行。初戦のパラグアイ戦では、三戸舜介の先制ゴールを縦へのスルーパスで演出。そして、ドリブルでの突破から三戸の2点目をアシストし、さらに山本理仁へのパスで3点目もアシスト。初戦から大活躍の最強ドリブラーへのインタビュー3回目は、ベルギー、オランダへの海外移籍などの転機から、戦線離脱を余儀なくされた今シーズンの舞台裏までに聞いた!

「より高いレベルでサッカーしたい」

――では続いて、斉藤選手の転機について聞かせてください。もともと、下部組織から横浜FCで育って、横浜FCでJ2デビュー。その後、チームの昇格にともない、J1デビューしますが、19歳でベルギー2部のロンメルへ完全移籍。若いときに海外移籍した理由は?

斉藤 日本代表の選手は海外に行っている選手がメインですし、中でも攻撃の選手は、ヨーロッパのトップで活躍しないと、代表に入れないような状態じゃないですか。より高いレベルでサッカーしたいという気持ちは若い頃から強かったので、海外移籍を決めました。

――現在、オランダ1部のスパルタ・ロッテルダムで活躍している斉藤選手ですが、横浜FC時代の試合映像と、最近の試合映像を見比べると、明らかに胸板の厚さが違うし、海外の屈強なディフェンダーにも、当たり負けしていません。

 体幹もすごく強くなっていると思うのですが、オランダでやっているトレーニングは、日本のときとは違うのでしょうか?

「自然とそういう体つきになった」

斉藤 正直、横浜FCにいたときもトレーニングはやっていましたし、内容は、そんなに変わったという実感はありません。ただ、周りから肉体の変化を指摘されることは増えたので、変わったのかなと思います。
 オランダリーグだと強度(=インテンシティ プレーの強さや激しさ)が違うので、自然とそういう体つきになったというのは、あるのかもしれません。 

――今シーズン、痛めたハムストリングの手術などもあって、4か月ほど戦線離脱するアクシデントもありましたが、シーズン通して22試合で3ゴール5アシストの数字を残し、オランダメディアが選ぶ年間ベストイレブンにも選ばれました。シーズンを振り返ってみて、いかがでしょうか?

斉藤 ケガで4か月もチームを離れたというのはもったいないですし、悔しいシーズンでしたが、復帰してチームに帰ってきたときに、立場を崩さずに、しっかりと試合に出続けられたというのは、ポジティブにとらえていいかなと思います。
 でも、3ゴール5アシストというのは、結果が圧倒的に足りていないと思うので、今後は「もっと点が取れるし、アシストもできる」ということを、目に見える結果で残したいですね。

――パリ五輪での活躍で、新たなチームへ移籍する、という可能性もあると思うのですが、どうお考えですか?

斉藤 スパルタにいるときもロンメルにいるときも、常にステップアップしたいという気持ちがありましたし、しなきゃいけないと、ずっと思っています。パリ五輪もあるので、常に自分のコンディションをいい状態にしておかなければならないと考えています。

――なるほど。では、続いて斉藤選手の最大の武器、持ち味であるドリブルでの仕掛けの「最近の変化」について教えてください。

斉藤光毅(さいとう・こうき) プロフィール 2001年8月10日生まれ、神奈川県出身。170センチ、61キロ。犬蔵SCから横浜FCジュニアユースを経て、横浜FCユースへ。下部組織から横浜FCで育ち、18年9月にプロ契約。J2デビューを果たすと、通算31試合で6得点。20年にチームが13年ぶりにJ1昇格を果たすと、J1通算32試合で3得点。19年には、U-20ワールドカップに出場。20年シーズン終了後に、ベルギー2部のロンメルSKへ完全移籍(29試合5得点)。22年6月に、オランダ1部のスパルタ・ロッテルダムにレンタル移籍(32試合7得点)。昨シーズンは、ハムストリングの手術で4か月、戦線を離脱するも、公式戦22試合で3得点5アシストをマーク。オランダメディアが選ぶ年間ベストイレブンに選出された。最大の武器は、ドリブルによる仕掛け。

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