パリ五輪でメダルを目指すU-23サッカー日本代表、大岩ジャパンのエースナンバー10を背負う、オランダ1部スパルタ・ロッテルダムに所属する斉藤光毅(22)に直撃インタビュー。第2回は、初回に引き続いてパリ五輪に対する熱い想いから日本代表の仲…

 パリ五輪でメダルを目指すU-23サッカー日本代表、大岩ジャパンのエースナンバー10を背負う、オランダ1部スパルタ・ロッテルダムに所属する斉藤光毅(22)に直撃インタビュー。第2回は、初回に引き続いてパリ五輪に対する熱い想いから日本代表の仲間たち、初戦への準備について聞いた!

「パスを出して走ればパスが出てくる」

――先日、日本サッカー協会の宮本会長にインタビューした際、パリ五輪で男子サッカーはザ・ファイナル、決勝戦を目指してほしいと話されていました。斉藤選手は、それを超える目標を高らかに宣言されました。

斉藤 はい!

――先ほど、代表チームの課題は選手間でコミュニケーションを取りながら改善していけばいいと話されていましたが、現段階で、パスが合うとか、動き出しのタイミングが合うなど、五輪代表のメンバーで「阿吽の呼吸」を感じる選手はいますか?

斉藤 アメリカ戦のときは、(荒木)遼太郎は、自分が顔を上げたときにいてくれますし、そこでパスを出して走ればパスが出てくるので、やりやすかったですね。(大畑)歩夢も自分が動いたらパスを出してくれますし、自分も出せるので、やりやすかったです。もちろん、遼太郎や歩夢だけじゃなく、自分がプレーしているエリアの近くの選手とは、そういうプレーを毎回したいですし、そういう関係性を築きやすいような選手にもなりたいですね。
 日本代表は久しぶりだったのですが、みんなうまいと思いましたし、自分がこう動けばこう動いてくれるっていうのも「前もそうだったな」という感じだったので、パリ本戦に向けて、もっとコミュニケーション取って、やっていきたいなと思っています。

――同じ五輪代表の三戸舜介選手は、現在、斉藤選手が所属しているオランダ1部のスパルタ・ロッテルダムでも、一緒にプレーしていますよね? お互いに気心が知れているんじゃないですか?

 「三戸ちゃんとは“いい関係性”を築けている」

斉藤 三戸ちゃんがスパルタに来る前よりかは、しゃべる機会も増えましたね(笑)。

 どういうプレーするかというのは、スパルタでプレーしているときから分かっているので、いい関係性を築けていると思っています。

――では逆に、日本代表のディフェンダーで対戦をするとしたら、やりづらいというか、こいつが守備にいると、やっかいだなと思う選手はいますか?

斉藤 誰か特定の選手というのではなくて、日本代表のメンバーは一緒に戦ってみて、プレスのかけ方だったり、試合の進め方だったり、もし相手だったらイヤだなって思いましたね。紅白戦でもそうでした。個人というよりも、本当にチームとして、相手だったらイヤだなと思います。

――なるほど。ちなみに、グループリーグで対戦する3チームですが、初戦7月24日に当たるパラグアイは南米予選1位、27日に当たるマリはアフリカ予選3位、30日に当たるイスラエルはヨーロッパ予選3位タイと、FIFAランキングでは、17位の日本よりも下(パラグアイ58位、マリ50位、イスラエル79位 いずれもA代表=7月9日現在)ではありますが、油断できない相手です。
 中でもマリとは3月に親善試合で戦って、日本はホーム(サンガスタジアム)で敗れています(1-3)。警戒している選手や相手チームはいますか?

斉藤 いえ。どこと戦っても勝たなければならないので、特にそういうものはありません。本当に全部、勝たなければいけないチーム、という認識だけです。

――確かに、優勝するというのは、全部のチームに勝つということですよね。

 オリンピックでの日本代表の過去の実績では、初戦で勝つと上昇気流に乗りやすい傾向(2004年アテネ、2008年北京、2016年リオデジャネイロでは、いずれも初戦で敗れてグループステージ敗退。初戦で勝った2012年ロンドン、前回の東京はベスト4入り)がありますが、何か初戦に向けて準備をしていますか?

斉藤 オフシーズンを挟んで世界大会があるというのは、初めての経験なので、いろいろな方に相談しながら、自分のコンディションを作っていくというのが大事だと思います。
 また、常に考え続けることで、今後、こうした状況のときの自分の経験値になって、自分の引き出しも増えてくると思うので、何が最善なのかということを常に考えながら、ベストを尽くしたいなと思っています。

――頑張ってください。では続いて、斉藤選手の転機について聞かせてください。

斉藤光毅(さいとう・こうき) プロフィール 2001年8月10日生まれ、神奈川県出身。170センチ、61キロ。犬蔵SCから横浜FCジュニアユースを経て、横浜FCユースへ。下部組織から横浜FCで育ち、18年9月にプロ契約。J2デビューを果たすと、通算31試合で6得点。20年にチームが13年ぶりにJ1昇格を果たすと、J1通算32試合で3得点。19年には、U-20ワールドカップに出場。20年シーズン終了後に、ベルギー2部のロンメルSKへ完全移籍(29試合5得点)。22年6月に、オランダ1部のスパルタ・ロッテルダムにレンタル移籍(32試合7得点)。昨シーズンは、ハムストリングの手術で4か月、戦線を離脱するも、公式戦22試合で3得点5アシストをマーク。オランダメディアが選ぶ年間ベストイレブンに選出された。最大の武器は、ドリブルによる仕掛け。

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