「It is what it is」 この6年間、ロサンゼルスでクリッパーズの試合を取材している間に、数えきれないほど聞いたクリス・ポールの口癖だ。ジェームズ・ハーデン(左)とコンビを組むことになったクリス・ポール(右) 日本語に訳すと…

「It is what it is」

 この6年間、ロサンゼルスでクリッパーズの試合を取材している間に、数えきれないほど聞いたクリス・ポールの口癖だ。



ジェームズ・ハーデン(左)とコンビを組むことになったクリス・ポール(右)

 日本語に訳すと、「それが現実さ」――。それだけ聞くと、どこか投げやりに思えるかもしれないが、むしろ、そう繰り返し言うことで自分自身に言い聞かせているようだった。誰よりも負けず嫌いの彼が、自分の思うようにいかない現実と折り合いをつけるために覚えた表現だったのかもしれない。

 実際、ポールの性分的に「現実を受け入れるだけ」ということはできなかった。何しろ、「サイズが小さいからできない」と言われるのが嫌で、その悔しさを原動力にNBAまで到達した選手なのだ。

 そう考えると、クリッパーズに加わって6年経ったこの夏、ポールがヒューストン・ロケッツへの移籍を決めたのも理解できる。思い返せば、その前に所属していたニューオリンズ・ホーネッツ(現ペリカンズ)を離れることにしたのも、6シーズン目が終わったときだった。

 6年間、できる限りのことをやり尽くしたからこそ、変化が必要なことを感じ取っていたのだろう。事実、昨季のクリッパーズは補強面でも、戦力の熟成面でも行き詰まった空気が漂っていた。チームとしても、何らかの変化が必要だった。

 ポールがクリッパーズを離れた理由は、チームメイトやドク・リバース・ヘッドコーチとの関係が悪かったからだとも報じられたが、ポール自身は「どんなチームでもすべてがバラ色とはいかない。でも最後のところ、すべてのチームメイトやコーチたちとの関係は、お互いのことが好きで思いやり、支援するような関係だった」と、その報道をきっぱり否定している。

 それでも、ポール個人にとっても、チームにとっても、壁を越えられなかった6年だった。プレーオフには毎年出たものの、ファーストラウンド(1回戦)敗退が3回、カンファレンス・セミファイナル(2回戦)止まりが3回。優勝どころか、1度もカンファレンス・ファイナルすら進むことができなかった。時にはポールやチームメイトの故障が原因で、時には勝利を前に自滅して崩れ、シーズンを終えていた。

 今年4月30日、プレーオフ1回戦の第7戦でユタ・ジャズに敗れ、またも早々にシーズンを終えた後の記者会見で、「あなた方は、これまでも同じような経験をしてきていますが……」という質問が投げかけられると、ポールは質問を最後まで聞く前に、「そうだね。あまりに多く経験してきた」と率直に認めた。

 質問者が「この状況をどうやって乗り越え、次の段階に進むのですか?」と聞くと、ポールは言葉を探しながら答えた。

「そうだな……ただ……よくわからないけれど……プロセスを踏むことを好きになることかな。結局のところ、これは僕らが大好きなゲームにすぎないんだ。言いたいこと、わかってくれるかい? 実現するまで、がんばり続けるだけのことだ。これまでと変わることなくトレーニングして、プレーして、努力して壁を突き抜けるまで、そういったすべてのことをやり続けるだけだ」

 好きなことをやっているだけで、そこまで深刻なことではないのだから、これからもあきらめずに努力し続けるだけ――というわけだ。これもまた、誰に向かって語るというよりは、自分自身に言い聞かせているようだった。

 それから2ヵ月弱経った6月下旬、ポールはトレードによってロケッツに移籍する道を選んだ。7月にFAになれば引く手あまただったが、ロケッツでジェームズ・ハーデンとともに優勝を狙うことを選択したのだった。

「彼は特別な競争心を持った選手だから」

 7月14日、ポールのロケッツ入団会見の場でマイク・ダントーニ・ヘッドコーチは言った。アメリカ代表のアシスタントコーチとして一緒に戦った経験から、ポールがいることでチームにどんな変化があるのかを理解していた。

「私も彼にお尻を叩かれるだろうし、彼がいることでチームは向上する。それは間違いない」

 トレードが決まった後、ポールはハーデンとほとんど毎日のように、さまざまな話をしたという。

「究極の目標について話した。それは優勝だ。僕らはふたりとも、まだそれを成し遂げることができていない。達成できたらどれだけうれしいだろうか、という話もした。自分と同じくらい強くそれを求めている奴と、一緒にこの旅路を行くことが何よりもうれしいんだ」

 ディフェンディングチャンピオンのゴールデンステート・ウォリアーズはまだしばらく衰える気配もなく、ポールの優勝へのチャレンジはチームを移り、ハーデンとタッグを組んでも厳しいことに変わりはない。それでも環境が変化したことで、新たなチャレンジに心躍らせているのだという。

「これまでないほどエキサイティングだと感じている。新しいスタートだ。僕にとっても、ジェームズ(・ハーデン)にとっても、これ以上ないタイミングだ」

 ポールは今年の5月6日、32歳の誕生日を迎えた。その日、7歳の息子が誕生日プレゼントに優勝リングの代わりの指輪をくれたのだという。ポールは『ESPN』のインタビューでうれしそうに語った。

「あれは、これまでもらったプレゼントのなかで一番、心を打たれたプレゼントだった。指輪をくれて、『パパ、これを持っていて。いつか優勝したときにはもうひとつ指輪をもらえることになるね』と言ってくれたんだ」

 そう話しながら、息子の気持ちに応えるためにも、ポールの気持ちは「もうひとつの指輪」に向けられている。果たしてロケッツに移ってのチャレンジは、ポールにとって3度目の正直となるだろうか──。