蹴球放浪家・後藤健生は世界中に知己( 知り合い、知人、親友の意味も)を持つ。その再会もまた、サッカー取材の楽しみのひとつである。しかも再会した人物が、会うたびに変化していくとなれば、また楽しみも増すというものだ。 ■ポルトガル英雄、アルゼ…

 蹴球放浪家・後藤健生は世界中に知己( 知り合い、知人、親友の意味も)を持つ。その再会もまた、サッカー取材の楽しみのひとつである。しかも再会した人物が、会うたびに変化していくとなれば、また楽しみも増すというものだ。

■ポルトガル英雄、アルゼンチン大統領との「出会い」

 サッカーを追って世界を旅行していると、もちろん、多くのサッカー関係者と出会います。まだ、それほど有名ではなかった18歳のクリスティアーノ・ロナウドとか、後にアルゼンチン共和国大統領になる(当時はボカ・ジュニアーズ会長)マウリシオ・マクリといった人物にインタビューしたのも良き思い出です。

 日本国内でも、長沼健元日本サッカー協会会長(故人)を初め、数多くのサッカー関係者に本当に面白い話をたくさん聞かせていただきました。

 当然ですが、「サッカー関係者ではない人」にも出会います。

 1990年代には、僕は韓国にしょっちゅう行っていました。日本との試合の取材もありましたし、Jリーグ開幕直後には韓国のKリーグを取材したこともありました。

 1990年のKリーグの開幕節を取材に行ったことがあります。済州(チェジュ)市のスタジアムに6チームが集まって、なんと12時から連続で3試合が行われました。前の試合が終わると10分後には次の試合が行われるという。怒涛の開幕節でした。

 日韓両国が激しい競争を繰り広げていた、2002年ワールドカップ招致に関する取材もありました。

 ですから、当時は韓国協会やKリーグ事務局に顔見知りが何人もいて、ソウルに着くと、まずKFA(韓国サッカー協会)ビルの各フロアを回って、「アンニョンハシムニカ、また来ました。よろしく」とあいさつに回ったりしたものです。

■ソウル生まれの通訳に「ソウル市内」を道案内

 あるとき、関係者のインタビューをするので通訳を探していたら、知人が朴さん(仮名)という男性を紹介してくれました。

 大学を出たばかりの会社員で、サッカーは素人なのですが、それは問題ではありません。むしろ、中途半端なサッカー知識を持っていると、通訳をしながら自分の意見を差しはさむことがあるので、むしろ素人のほうがよいのです。

 とにかく、その後、朴さんとは2、3回一緒に仕事をしました。

 通訳としては問題なかったのですが、彼はとんでもない方向音痴で、ソウル生まれだというのに、ソウル市内でもしょっちゅう道を間違えます。最初は僕も遠慮していたのですが、最終的には僕が道案内役となり、朴さんも「後藤さん、詳しいですね」とか言いながら、素直についてくるようになりました。

■在日韓国人の派手めな女性と「飲み屋」で…

 あるとき、朴さんが学生たちのサークルに誘ってきました。日本人留学生と日本に興味がある韓国人学生の集まり(飲み会)だそうです。で、ちょうど僕もヒマだったので顔を出すことにしました。地下鉄2号線「建大入口(コンデイプグッ)」駅前の飲み屋集合でした。「建大」は、建国(コングク)大学校のことです。

 そこにいたのがハナさん(仮名)という、目鼻立ちがハッキリしたかなり派手めな女性でした。きわめて社交的で「ねえねぇ、後藤さん~、飲みましょう~」と、しきりに酒を進めてきます。

 彼女は在日韓国人だったのですが、韓国にはとくに興味もなく、大人になってから日本国籍を取得したんだそうです。ところが、日本国籍を取ってから急に自分のルーツに興味を抱き、延世(ヨンセ)大学の語学堂という韓国語教育機関に留学したところだそうです。

 もっとも、そのときはまだ来たばかりで、僕のカタコトの韓国語と、どっこいどっこいのレベルでしたが……。

 ただ、まあ社交的で話好きな女性ですから、語学の上達も速く、あっと言う間にペラペラになってしまいました。

 その後、何度か韓国に行ったときには、延世大学校そばの新村(シンチョン)あたりに飲みに行ったりしましたし、サッカーにも興味を持って試合を見に来るようにもなりました。

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