JRAの短期免許第1号となったL.クロップ騎手が、94年6月25日にJRAで初騎乗してから、きょうでちょうど30年となる。これまでに述べ70人以上の名手が海の向こうから来日し、日本の競馬を盛り上げてきた。そんな短期免許を取得したジョッキ…

 JRAの短期免許第1号となったL.クロップ騎手が、94年6月25日にJRAで初騎乗してから、きょうでちょうど30年となる。これまでに述べ70人以上の名手が海の向こうから来日し、日本の競馬を盛り上げてきた。そんな短期免許を取得したジョッキーたちの軌跡とは。L.クロップ騎手は「パイオニア」として、その歴史の第一歩を刻んだ。

 94年の1月、騎手免許制度が一部改正され、外国で騎手免許を受けている者のための臨時試験制度を整備し、短期免許を交付できるようになった。これを利用して最初に来日したのがニュージーランドの女性ジョッキー、当時23歳のクロップ騎手だった。中京競馬場で騎乗を開始し、当初は厳しいレースが続いたものの、4週目に小倉競馬場で初勝利を挙げると軌道に乗った。夏の小倉では9勝を挙げて「小倉ターフ賞・特別賞」を受賞。94年7月31日から9月4日にかけて女性騎手最多の6週連続勝利も記録するなど、夏競馬で存在感を示した。

 クロップ騎手は翌95年にも来日して7勝を挙げた。2年間で189戦して特別3勝を含む16勝をマーク。重賞にも5回騎乗し、95年の朝日チャレンジCでは10番人気のタマモハイウェイで5着に健闘した。後に母国で数多くのG1を制した名手。それだけに96年以降、一度も日本で騎乗する機会がなかったことは惜しまれる。

 その後、O.ペリエ騎手やR.ムーア騎手など、そうそうたる名手が短期免許で来日したが、その第一歩を記したのがニュージーランド出身の女性ジョッキーだったことは心に刻んでおきたい。