高2の久保凛は、今春の日本GPシリーズで存在感を見せた Photo by 中村博之 2024年、高校2年生のふたりの女子ランナーが、その将来性も含めて注目を集めている。中学3年時の全国都道府県対抗女子駅伝の快走でその名を轟かせ、高校入学後は…
高2の久保凛は、今春の日本GPシリーズで存在感を見せた
Photo by 中村博之
2024年、高校2年生のふたりの女子ランナーが、その将来性も含めて注目を集めている。中学3年時の全国都道府県対抗女子駅伝の快走でその名を轟かせ、高校入学後は1500mを中心に順調に競技生活を続けているドルーリー朱瑛里(津山高2年・岡山)、今季年齢制限のない日本GPシリーズの800mで3連勝を収めた久保凜(東大阪大学敬愛高2年・大阪)だ。
6月27日から新潟で行なわれる日本選手権には、ドルーリーが1500m、久保は800mにエントリーしているが、五輪ランナーであり、現在は五輪コーチの山下佐知子氏(第一生命グループ女子陸上競技部エグゼクティブアドバイザー兼特任コーチ)に、俯瞰した立場からふたりの長所、そして将来への期待について聞いた。
後編では久保凛についてうかがった。
【自然と足が振り出される独特なフォーム】
昨年の全国高校総体(インターハイ)800mを1年生ながら制したことで、陸上界では名が知れるようになっていた久保凛だが、今季の活躍はその注目度をさらに上げるものとなっている。
今年4月の金栗記念800mではセカンドベストの2分05秒35で田中希実(New Balance)を0秒73抑えて優勝。その後も静岡国際、木南記念で選手たちを抑え、日本GPシリーズ3連勝を果たした。
「久保さんの名前は、私ももちろん知っていました。『サッカーの久保健英さん(日本代表、レアル・ソシエダ)の従姉妹らしいよ』という話は聞いていたし、2月のアディダスの"TOKYO CITY RUN"(女子招待5km)にはうち(第一生命)の選手も出ていましたけど、高校生の彼女にやられたので」と苦笑する山下コーチだが、今回改めて久保の走りを映像で見て「股関節の使い方が天才的」と驚く。
「ドルーリーさんは腕をたたんで走るのに対して、久保さんは"やじろべえ"のように脇を開いて腕を下ろした状態で走っています。独特なスタイルと言えます。一般的に、多くの選手はトラックを回る時には外側になる右手を(左手よりも)少し開いて大きく振るのですが、彼女の場合はトラックの内側になる左側のほうが、脇が開いている。トラック選手でこういう腕の開き方は珍しいと思います。
腕を振り過ぎると股関節の動きが阻害される場合がありますが、左右ともに少し脇を開いて腕を下げている上体の動きは、股関節が一番動きやすい姿勢とも言えます。ドルーリーさんとは違い、『教科書のような走り』ではなく、独特な走りですが、おそらくドルーリーさんと同じように、身体のなかできちんと肩甲骨が動いて、体幹、骨盤にも力が伝えられていると思います。
腕を下ろしているので、しっかり腕を振っている、という感じではないのに、あれだけ股関節がしなやかに振り出されるというのは、体幹の強さ、筋肉の強さが備わっているのではないかと思います」
山下コーチはまた、「走ろうという意識を持って足を前に運んでいるのではなく、力みなく足が振り出されてくるような、という表現になるのでは」と久保の走りを形容する。
「何にも阻害されず、足が(勝手に)振り出されてくるっていうような表現ですね。太ももを挙げよう、足を前さばきにするために(重心を前方に)しっかり乗り込むとか、そういう作り込まれた意図を感じない走りです。
動き自体は少し違うでしょうが、100mの伊東浩司さん(元日本記録保持者、現・甲南大陸上競技部監督)の走りは、股関節を伸展させる独自のメカニズムと言われていましたし、末續慎吾さん(200m日本記録保持者)はナンバ走りと言っていたように、彼女もそういう、独自のランニングのメカニズムがきちっと機能しているからこそ、力みなくいけている感じがします」
【五輪と日本記録を目標にする裏付け】
久保凛は、少し脇の開いた独特なフォームが特徴
photo by 中村博之
久保は5月に400mでも自己記録を1秒44更新する55秒04をマーク。この記録は昨年度の高校ランキング11位に相当する好記録である。自分の体がどう動けば速く走れるか、本能的にわかり始めているのだろう。
「ドルーリーさんより骨盤の前傾が強いところがあるので、ペースが遅かったり、力んだ時にはすごく足が流れているように見えるレースもあります。しかし、今年の静岡国際800mのラスト100mからスパートした時は、上下動もないのに足が本当に前さばきになっていてすごいなと思いました。先ほど触れたように、力みなく足が振り出されている走りでした。本当に遊びの延長で走っている印象を受けます」
静岡国際800mをU20日本記録で走った時は、400mを60秒で引っ張ったペースメーカーに余裕を持って付いていき、600mまでを少し落としてラスト100mで後続を引き離すレース展開だった。山下コーチは、その部分にまだ改良点もあるという。
「東大阪大敬愛高には2年前くらい前から長距離と中距離を教えられる指導者が来られて、『五輪も可能性があるから目指していきたい』『日本記録レベルを』と話していたそうです。今はまだ、日本で勝つことを優先していると思いますが、以前に杉森美穂さんが日本記録を出した頃(2005年、2分00秒45)は1分台を目指して、ひとりでガンガン攻めて記録の壁をこじ開けようとしていました。
久保さんはまだ高校生ですし、陸上を始めてからの年月も浅いので、いきなり今季日本記録への挑戦というわけにはいきませんが、久保さんのような動きができる、潜在能力の高い選手はあまりいないと思うので、今後が楽しみです」
だからこそ、指導者が「オリンピック」「日本記録更新」を目標として言葉に出しているのだろう。
「東京五輪の1500mで田中さんが3分台を出して入賞した時は『まさか』と驚きだったけど800mでもそういう選手が出てほしいですね。その意味でも久保さんには800mや1500mで世界を狙ってほしいと思います。
昨年はチームが全国高校駅伝に出ていましたが(久保は出走せず)、駅伝にチームメイトと一緒に取り組むことは、いいことだと思います。チームワークとか、楽しめる範囲とかでやるのであれば、いい練習になると思うし、生理学的な意味でも有酸素能力も高められるので、ある程度距離を踏む練習をすることも大事です。
『これ、狙います』という時にはその種目に特化することも大事ですが、年間を通じてひとつのことに特化させなくてもいいと思います。それはシニアの選手にも言えることで、マラソン選手でも時として3000mや1500mに出たり、1500mの選手がハーフマラソンを走ったりするのと同じことです。
高校生なら体育の授業もあるので、ほかのスポーツをやったりしてもいい。久保さんは小学校時代にずっとサッカーをやっていたそうなので、その経験が今の股関節の使い方に影響を与えているのかどうかも、興味深いですね」
【大切なのは中長期の目標設定】
今季の女子800mの状況を見れば、久保が日本選手権を制する可能性もある。だが、大切なのは中長期の目標設定だろう。
「国内で優勝したり、仮に日本記録を更新しても、『世界との差はこうだから、ここから先にうまく伸びてほしい』と思うような周囲の目線や評価があるかどうかだと思います。それはドルーリーさんに対しても同じだと思います」と山下コーチは言う。
パリ五輪出場資格状況を示す世界ランキング(1国上位3名対象)を見れば、48人がエントリー目安の五輪の800mでは現在、世界ランキング32位の選手までが1分59秒30の五輪参加標準記録を突破済み。参加標準記録を突破しないで48番目までに入るには2分0秒台を継続して出すことが必要となってくる状況。また、45人がエントリー目安の五輪の1500mでは現在、五輪参加標準記録の4分02秒50を29位の選手までが突破済みで、同記録を突破せずに45番目までに入るには4分5~6秒のレースを継続していく必要がある(*)。
*五輪、世界陸上では大会ごとに設けられている参加標準記録を本大会までに突破すれば、出場資格獲得。ただし、参加標準記録を未突破でも、複数の大会の記録、順位を独自に算出したポイントで順位づけされる世界ランキングで出場枠内に入れば、状況に応じて出場資格を得ることができる。参加標準記録突破が実力的に厳しい選手は、世界陸連が高くランク付けした大会で高順位、好記録を出せば、高ポイントが得られるシステムになっている。
そうした自分が置かれている状況を捉える意味では、ドルーリーは家庭環境からもグローバルな視点を持っているだろうし、久保もスペインのプロリーグで戦う存在が身近にいる点で、冷静な判断できる環境に身を置いているともいえる。
「周りがどう評価しようがそれを気にしない、とは言うものの、難しい部分はやはりあります。パリ五輪にマラソンで出るうちの鈴木優花を見ていても、それは感じます。
ドルーリーさんと久保さんに関しては、これから世界に出ていく選手として温かい目で注目して、その成長をみんなで楽しむというようなスタンスになったらいいですね」
そんな環境を作っていくことが、彼女たちの可能性を大きくするカギにもなるだろう。
【解説者Profile】山下佐知子(やました・さちこ)/鳥取県出身。鳥取大学卒業後、教職の道に進むが、陸上競技への思いを募らせ、京セラに入社し実業団選手に。マラソンランナーとして活躍を見せ、1991年東京世界選手権で銀メダルを獲得、翌92年バルセロナ五輪では4位入賞を果たした。現役引退後、指導者となり、第一生命監督時代には2009年ベルリン世界陸上選手権銀メダル、12年ロンドン五輪代表の尾崎好美、2016年リオデジャネイロ五輪マラソン代表の田中智美、同5000m代表の上原美幸、そしてパリ五輪代表の鈴木優花ら多くの長距離ランナーを育て上げている。現在は、第一生命グループ女子陸上競技部エグゼクティブアドバイザー兼特任コーチを務めている。