オールドファンならご存じだろうが、現在は1200mで行われている北九州記念は05年まで芝1800mで行われていた。そのラストイヤーとなる05年に小倉大賞典、北九州記念、小倉記念と、小倉の古馬芝重賞=小倉3冠を全て制したのがメイショウカイ…

 オールドファンならご存じだろうが、現在は1200mで行われている北九州記念は05年まで芝1800mで行われていた。そのラストイヤーとなる05年に小倉大賞典、北九州記念、小倉記念と、小倉の古馬芝重賞=小倉3冠を全て制したのがメイショウカイドウである。小倉を愛し、愛された名馬の足跡を振り返りたい。

 メイショウカイドウは父スキャン、母キンセングローリー、母の父ヒッタイトグローリーの血統。3歳1月にデビューし、初勝利には10戦を要した。2戦目は4歳2月の笠松の交流競走。ここまでは至って地味な馬だったが、4歳夏に小倉で500万下、1000万下、1600万下と3連勝を決める。そして5歳春にオープン入りすると、夏の小倉記念で武豊騎手を背に重賞初制覇を果たしたのだ。

 そしてメイショウカイドウが最も輝いたのが6歳時だった。2月の小倉大賞典で重賞2勝目を挙げる。その後は中山記念が7着、マイラーズCが7着と悔しいレースが続いたが、夏に舞台を小倉に移すと復調。北九州記念を快勝して、史上4頭目の小倉3冠を達成。さらに続く小倉記念では58.5kgのトップハンデを克服して堂々の連覇。史上初となる同年の小倉3冠制覇を成し遂げたのだった。

 メイショウカイドウは通算11勝のうち、小倉で8勝を挙げた。引退後は小倉競馬場の誘導馬に転向。18年の夏開催をもって小倉を後にし、いわき市の競走馬リハビリテーションセンターを経て、現在は滋賀県で余生を過ごしている。