木下明美がアメリカの名門クラブで築いた「常にトップレベルのコーチング」 かつて全米オープンテニスが行われた「ウエストサイドテニスクラブ」のスタッフとして関わり、現在でもニューヨーク屈指の格式が高い「…

木下明美がアメリカの名門クラブで築いた「常にトップレベルのコーチング」
かつて全米オープンテニスが行われた「ウエストサイドテニスクラブ」のスタッフとして関わり、現在でもニューヨーク屈指の格式が高い「リバークラブ」でコーチを務める木下明美氏(旧姓・西谷)。1980年代では少なかったアメリカの大学に進学しプロの道へと歩を進めた。当時のプロで感じたことや今の日本女子テニスに感じること、自身のコーチ論を聞いた。

【画像】グランドスラムチャンピオンンのジェンセンやタチシュビリらとともに仕事をしてきた木下明美氏

玉川学園在籍時の1980年から82年にはインターハイ団体3連覇を成し遂げた木下氏は、アメリカ留学後プロへ。全豪オープンや全仏オープン、ウィンブルドンとグランドスラムに計6度出場した。以降はアメリカを拠点に、格式の高い名門クラブでコーチを務めてきた。ツアープレーヤーだけでなくテニスクラブのコーチとしても経験している木下氏に、選手とコーチの関係性やプロコーチに求められること、今後の目標について聞いた。

――木下さんがテニスを始められたきっかけを教えていただけますでしょうか。 

「グリーンテニスクラブ(東京)で家族会員になり、飯田藍先生(日本女子テニス連盟名誉会長)と出会ったことがきっかけでした。当時は“ジュニア育成”の草分けで少し上の年代には米沢徹さん(TEAM YONEZAWA主宰)も在籍していて必然的に強くなっていく環境であり、藍先生とみんなでアメリカ遠征に行ったりし、影響を受けてきました」 

「高校は(グリーンテニスクラブと近い)玉川学園に通い、藍先生と一緒に桜田倶楽部へ。そしてジュニアのトップとなって、アメリカのペパーダイン大学へ2年間留学をした後にプロになりました。ジュニアの頃からITFの試合に出ていたため、プロになることを視野に入れるのは自然でしたね」 

――プロとしてWTAツアーに参加された頃のメインドローにはマルチナ・ナブラチロワやクリス・エバートも現役の終盤でした。そこからシュテフィ・グラフへの世代交代の時代を経験されています。 

「グランドスラム予選に引っかかるということは大変で、日本でいう1万ドルの大会を仲間と回っていました。賞金もほとんどないような中、ようやく1989年から90年ぐらいに大きな試合に出られるようになり、インディアンウェルズやマイアミの予選から本戦に上がれるようになりました。(なかなか本戦に上がれず)大変な時間が多かったです」 

――当時を振り返っていただいて現在のテニスとの違いなどがあれば教えてください。 

「先日、私の所属する(アメリカのマンハッタンにある会員制テニスクラブ)リバークラブのメンバーの方が、YouTubeで私とサバティーニが対戦した1989年のフレンチオープン1回戦の試合を観て、『ボールがスローモーションに見えたよ!』と言っていました。 グランドスラムのデビュー戦で0-6、0-6というスコアで負けて、緊張もありましたが話にならなかった。(当時のテニスと現在との違いは)スピードが全然違います。肉体的なところやボールのスピードなどが決定的で大きな差ですね」 

――それは道具の進化によるところも大きいのでしょうか。 

「女子ツアーのテニスの変化については一概には言えないところがありますが、テニス人口の裾野は(プロで活動していた頃より)広がったように思います。昔はテニスをやっている人は限られていたかもしれませんが、今は誰でもできる時代になりました。欧米の子と日本人の運動能力には大きな差があり、(裾野が広がったことにより)30年前とは違う状況になっているのではないかと思います。もちろんラケットやストリングといった道具による影響ももちろんあるとは思いますが、テニスを始める前の子供たちの基礎体力と運動能力が全然違いすぎるというのが個人的な見解です」 

「テニス以外のスポーツをやっていて(最終的に)テニスを選択する子もいて、ヤニック・シナー選手もスキーをやっていたことは有名です。昔はスキーをやっている子がテニスをするということはなかった(スキーによる怪我のリスクがある為)。そのような意味でもプロとなる選手の体力や基本的な能力、持っているものが違うという印象です。ここ15年ぐらいでそういう点からもスピードの違いを感じています。アメリカはビーナス(・ウイリアムズ)が出てきた頃から、いろんな人たちがテニスをやるようになってきたように思います」 

「アジア人は勤勉で練習も懸命に取り組んでいてマッスルメモリーを鍛え上げればある程度までは(選手として)いけると思います。真面目な子供はある程度は強くはなりますが、そこから先の飛び抜けた選手になるには筋力や体力の差が大きい。私の現役時代も日本人の女の子は特に真面目で一生懸命に練習し、ツアーに出ていれば、(大変だったけど)そこそこにはなりました。現在はテニスの技術も上がってきていますが、運動能力の差は顕著に出ていて同じ土俵にいるのはタフなことだと感じています」 


WTAツアーで活躍したアンナ・タチシュビリは現在リバークラブでの仕事仲間

――現役時代に印象に残っている、またはショッキングな選手などを教えてください。 

「ウイリアムズ姉妹がビーズをつけた頭で出てきた時の驚きはありましたね(笑)モニカ・セレシュは両手打ちでしたが、(打ち方よりも)ニック(・ボロテリー氏)に代表されるコーチングスタッフが彼女に張りついて将来のために“今やるんだ!”という雰囲気を醸し出していたのは、今でいう『チーム』の先駆けだったように思います」 

「私たちの時代は選手が1人、または選手同士の岡川(恵美子)さんや悦っちゃん(井上悦子氏)、くーちゃん(岡本久美子氏)らとツアーを回っていて、コーチが帯同することはほとんどなかった。いたとしても何人かに1人がついていくというのが一般的でした。それは外国の選手も同じ状況ではありましたが、(シュテフィ・)グラフもスタッフを連れてきている頃で生活がかかっているような雰囲気で、これまでのテニス界にはなかった印象が強く残っています」 

――その後、伊達公子さんや沢松奈生子さん、そして杉山愛さんまで続く「日本女子テニス黄金時代」があり現在に至ります。今の日本女子テニスをどのように見ていますか。 

「海外のコーチのレベルの高さについていける人材が圧倒的に少ないように感じています。(日比野菜緒のコーチを務める)竹内映二さんとも親交があり、女子でグランドスラムチャンピオンが生まれるのはうれしい限りで、現場のコーチ陣が頑張っていることもよく承知しています。しかし、以前からコーチングの国際的な感覚にズレがあるような感じがあり、それが選手への成績にもつながっているように思います」 

――国際的なスキルの感覚を持つには、日本国内で自由な発想やアイディアを持てる方法はないでしょうか。 

「環境による影響というのは大きなインパクトがあり、ツアーの世界や、海外での生活では、いろんな人種や生活習慣、価値観、テニスを日常の生活を通じて自然に触れることができます。日本でも学ぶことはできますが、その違いを体感覚で落とし込んでいくのは選手もコーチも日本国内だけで捉えて(テニスで成長していく)難しさがあるのではと思っています」 

――そういう意味ではコーチの言うことを選手が真面目に受けとるより、海外のように相談するぐらい対等な関係性が良いのでしょうか。 

「受身的な選手で(コーチのアドバイスにより)成功する場合もあるだろうし、コーチと(意見を)言い合うから良いわけでもない。相手を尊敬し違う意見を受け入れたり、いろんなことをフレキシブルに考えることができるのは大事なことだと思っています。それはハイパフォーマンスの選手を教えているコーチも、一般の大人の方や子どもを教えているコーチにも言えることです。時と場合、状況に応じて柔軟に対応できないコーチは難しいと感じています」 

「多くの人と、いろんな接し方をしていないと“気づき”がなくなっていきます。そういう意味では、コーチが環境や文化の違う相手の立場を理解し、色々なことにいち早く気づく臨機応変に対応できる能力をコーチ自身が鍛えなければ難しいのではないのでしょうか。ビックリするような出来事を臨機応変に対応できる人は、実際に驚くようなことをここぞ! という時にそつなくやっているように見える。その様な能力を発揮して魅力的なプレーヤー、コーチになってほしいと思っています。 

――“ビックリ”は変化というより無謀のような難しさを感じてしまいます。 

「ある日本人選手を見る機会がありましたが、数年前とテニスが変わってなかった。それは突き詰めて“変わってない”のではなく、いつも同じ試合をしているように見えました。全くビックリするようなおどろきがありませんでした。それは勝っても負けても。それは私個人からするとつまらなく、魅力がなくなってしまうような印象でした。最近魅力的だったのは、トミー(トーマス嶋田氏)が見ていた、島袋将選手。『信じられない場面でネットに出ていく!』っていう試合が楽しかったですね。話が逸れてしまいましたが、体格が違う選手と試合をするので何か変わったビックリする戦術をしないと特に女の子はシングルスでこのバリア(壁)を破ることは大変だと思います」 

――かつては世界のトップ50に日本女子選手が何人もいました。なぜ、その黄金時代が続いていかなかったと思いますか? 

「当時の選手たちはまじめで懸命に練習し、負けても、負けても試合に出続けていたという生活を続けていた世代。現在も現場で選手をサポートしている方は少ないと思います。『負けても、負けてもまた試合に出る』という異常な精神力と体力があったからこそ、今の自分があると私自身は思っていますが、その同じ時代にやってきた選手で、選手を育てている方は少ないのではないでしょうか? クラブ経営やテニス協会の方のお仕事に移行されたのかもしれませんが、私が考えるのはその厳しい時代を戦ってきた方々、私自身も含めてコーチとして自身の経験を伝えられたのだろうか自問自答してしまいます。(過去に選手として活躍した方が)育成することの大変さ、生活を犠牲にしてまで取り組むことに抵抗があるのも理解できるので歯痒いところでもあります」 

「選手時代の勝ち負けや当時のランキングがどうのということより、普通の人が経験できないこと、当時苦しい思いをしながら得た貴重な経験を現場に生かしたのだろうか?ということはこれまで私が言いたくても言えなかったことではあります」 

――「根性論」はちょっと…という時代になり、みなさん距離をとって引いたところから見ているのかなという印象もあります。 

「根性論というと言葉が先行してしまうようですが、どんな状況でもアメリカの子供もやる子はやっています。むしろスパルタ的なアプローチはかなりあります。大学テニスでもアプローチの仕方は(日本とは)異なりますが、D1(ディビジョン1:日本でいう大学1部リーグ)は大学の勉強と試合とトレーニングだけを見ても大変で、それを継続していくタフさも自然と要求されます。そのシステムはやらざるを得ない状況になることを選手側が納得してやっています」 

「コーチが主体となり過ぎる場合は、どこか甘えが出てしまったりして、本人の意志に任せるような感じになりがちになってしまうような傾向にあるように思います。アメリカ人のエリート中のエリートは口には出しませんが、すごい努力をしています。トレーニングもアメリカ陸軍並みのこともやっている。すごいことだと思っています」 

「“臨機応変”ということがコーチにとって大きな重要な一つのポイントだと思います。常にどんなレベルのプレーヤーとも、どんなレッスンでもします!というところなどその人のレベルに合わせて自分を合わせていける柔軟性がエリートにはある、というのが実感としてあります」 

――「エリートコーチ」についてはいかがでしょうか。 

「一つ挙げるとすれば、コーチングが上手くてもそれを実践する技術がないと評価されにくい、というのがコーチの世界であり、ヨーロッパやアメリカも含め、それは世界共通のことだと思います。(例外はごく稀にあるかもしれないが)コーチの教え方が上手くても技術が伴わない場合は認めてもらうのが難しい。ジョン・マッケンロー・アカデミー(ニューヨークにあるテニスアカデミー)で教えているロシア人や東欧のコーチ達は選手の経験もあり、指導方法もツアー経験も含め背景までしっかりと理解しているので興味のあるプロ達です」

――木下さんご自身も現在も指導方法など幅広く探求されていると伺いました。 

「いろんな人がいて教え方もたくさんあります。先ほど話に出たジョン・マッケンロー・アカデミーで教えているロシア人を崇拝しているクライアントが私の前に来ることがありました。その打ち方が合っていないと思っていても、私は否定せずリスペクトから入ることにしています。話をクライアントから聞いている中で他のプロならどういうアプローチをしているのか、どういう『Ianguage』(テニス指導で使う表現など)を使っているのかを聞いたりしながら情報を集めています」 

「『前で打て!』と言ってもクローズスタンスの前とオープンスタンスの前でいろいろありますからね。何がどう前なのか、他のプロはどんな表現をしているのか、いろんな人に聞いています。1時間の間にクライアントに満足して帰ってもらわないといけないので、いつも『全力』。個性の強い欧米のクライアントを満足させるには、どういう知識と言葉を使ったらその人に合うかを考えます。私自身がたくさんの引き出しを持つことはクライアントにとっては大切なことだと思います」 

「新規で来た方には、私が良いと感じるシンプルな方法を伝えますが、そうでない場合はいろんな理論を踏まえた上で、他で習っている方に出会ったとしても『引き出し』を使うことによって私自身がクライアントと共に充実できる楽しいレッスンを送れるように努めています。プライベートクラブでメンバーを教える私にとっては、メンバーにテニスを通して元気でハッピーにさせるのが私の役目だと思って毎日全力でやっています」 

――ツアーを回っていたコーチに聞いたのですが、木下さんがスタッフの一人であるマンハッタンの会員制「リバークラブ」ですが、コーチの実技採用試験の際、最初の1球目の球出しで不採用が決まったこともある、というお話を聞いたことがあります。 

「私も以前のクラブではコーチ採用の担当だったこともあり、『プロとしてクラブに貢献できるかできないか』が採用される時の1番大切なポイントです。特に若く、経験の浅いプロに多いのは、技術はあるがクライアントにトップスピンしか打てないとか、コンチネンタルグリップでラリーができないということ。アメリカのプライベートクラブの会員は家族3世代など一族でメンバーになっている方々が多く、プロの私達は礼儀とマナーをわきまえ、人として成熟していること、そして我慢強くないと務まりません。また、自分の意見を押しつけるように『やる気があります!』だけでは通用しない世界です。常にトップレベルのコーチングを求められているので、着ているものや道具の扱い、プロとしての自覚があるかどうか、それから正しいテクニックを教えられるかどうかが基準になります。それが『球出し』の一球に出て、すぐにわかります」 

「クラブ側もメンバーの方々も求めているものが高いので、私自身も技術を常にアップデートするように努め、健康管理には気をつかっています。言葉遣いには特に気をつけ、誰にでもいつでもリスペクトする事を心がけています。メンバーには『Mr』や『Mrs』で話しかけ、『~ちゃん』なんて呼びません。それが(雇用側から)言われなくてもできるかは、これまでの経験によるものは大きい。歴史のあるカントリークラブや名門テニスクラブでテニスプロとしてベストなテニスレッスンを提供するためには、自分を高めていく意識がないといけないと常に課題を持って取り組んでいます」 

――木下さんがニューヨークに初めていらっしゃったのは試合ですか? この地を拠点としたことやその想いなどがあれば教えてください。 

「試合ですね。生活を始めたのは1993年で、渡米30年を越えました。マンハッタンは住みやすいと思うし、不便を感じたことがありません。ニューヨークでコーチとして活動を始める際には、ライラケットクラブ(ニューヨーク郊外にあるテニスクラブ)のオーナーが私のことを現役時代から知っていたという経緯もあって好意的で、バージニア・ウェードさん(全豪、ウィンブルドン、USオープンチャンピオン)にもニューヨークのテニス界に溶け込んでいくためのお世話もしていただきました。昔からのつながりがここでテニスをするにあたって良い流れとなり、今もそのつながりは続いています」 

「30年以上前の現役時代に負けても頑張って試合に出続けていた時代の私を知っている方々からのサポートで、住みやすく不自由もなく生活ができています」 

――木下さんの今後の目標や夢などをお聞かせいただければと思います。 

「今後の目標とか立てないようにしています。先ほどお話をした「つながり」が良い具合に動いていることについて(これ以上出来そうな気もしていて)満足はしていないですが、これを継続しながら『テニス』を伝えていきたいですね。例えば私が教えているジュニアの子が、全米の大会に出場して対戦した選手のコーチが過去に仲の良かった選手だったりして、そこでまたつながっていたりします。それがとても楽しいんです。全米オープンの際にはレジェンドの方々と一緒にお仕事をしたり、過去に共に戦ってきた仲間との再会も楽しみになっています」 

「ルーク・ジェンセン氏(1993年全仏オープン男子ダブルス優勝)は、ウエストサイドテニスクラブ(以前の名称はフォレストヒルズ:全米オープンが開催されていたニューヨークの名門クラブ)で一緒に仕事をしていた仲間であり、現在はお互い活動拠点もそれぞれ違いますが、一緒に仕事をする機会も時折あることも楽しい。そのつながりによって学ぶことが多く、毎日のテニスレッスンにも活かされていて『教えたい』というよりテニスを『伝えたい』と思いながらコートに立っています。テニスをやっていると必ずどこかで(偶然のように)『つながる』ことが楽しく、人にどう思われるかなどは20年ぐらい前に無くなりました。かといってヘルプが必要とあれば私ができることなら協力もしています」 


1993年全仏オープン男子ダブルス優勝のルーク・ジェンセン氏とともにウエストサイドテニスクラブのテニスプログラムをリード

――インタビューを通じてテニスに対しての情熱やパワーのようなものを感じます。 

「テニスだけに対してのエネルギーだけではなく、常にエネルギーに満ち溢れたいい状態で生活ができているかが大切だと思っています。私がテニスで、そして友人として関わる多くの方は素晴らしいポジティブなエネルギーに満ちています。選手やコーチをやっているからポジティブだ、ということはないと思います。人とつながるためには私自身が常にポジティブであることは重要で、自分から何か無理にアクションをしなくても周りから(ポジティブなエネルギーを)貰っているという感覚があります」 

「以前は(ウエストサイドテニスクラブで)5人分ぐらいの仕事をしていましたが、現在はレッスンだけに集中することができています。それはとても濃いレッスンですよ。すべてのエネルギーをオンコートで注いで、どんなクライアントでも楽しんで取り組んでいます。障がいを持つお子さんも担当させていただいていますが、ご両親が驚くほどボールが打てるようになります」 

「『Akemi理論』のようなものはありません(笑)その子がネットと反対側を向いたら私は追いかけて反対側に行ってボールを打たせて、臨機応変に対応しています。若いプロにレッスンプランを書いて教えてくれ、とお願いされることもありますが、一回一回違うので、『そんなものは書けないよ』と言います。プランが無いわけではありませんが、大人も子供もその通りにすることで縛りが生まれ、エネルギーが失われていくように思います。その日によって、人それぞれなんです。我々コーチ側は常に良い状態であることを求められるので、食生活や睡眠時間などルーティンを守り、コンディションを完璧にしておかないと色々な事情のある方々への対応が難しくなってきます」 

――「Akemi理論」はないということですが、プロコーチとしての基本的な在り方のような気がします。 

「日本の教え方で基本的なことを我慢強くやり続けることも初期の段階では必要なことだと思っています。ルーク(ジェンセン氏)は非常に基本練習と反復練習に重点を置く教え方をします。一緒にジュニアプログラムをやっていた頃は、彼の提案で「ラリー1000回」というのをやっていました。オレンジボールクラスからグリーンボール、通常のボールに移行するテストとして導入しました。アメリカ人の子供達が自分から必死になり、とてもレベルが上がりました。1000回連続ラリーをミスしないで最速30分でできたアメリカ人選手は現在全米14歳以下で4位にランクされています」 

――いろんな方とレッスンされる中で、親に連れられてやってきた運動嫌いなジュニアと対面することもあるかと思います。 

「そういう時は一緒に遊んで楽しんでいます。そうすると自然に上手くなっていきます。(その上達ぶりは)本人もそうですが親が驚くケースが多いです。毎回、テニスコートに来ることに意義がある子もいます。決められた曜日や時間に“来週も来る”ように楽しませますが、その中で例えば15分だけ一生懸命にやらせる時間を作ります。楽しみながらいつ集中させるかの見極めが大切になってきます」 

「現在のリバークラブでは、生涯を通してのかけがえのない友人と出会うためにテニスを習う子ども達が多いです。その子供たちとの関わりも私にとっては大切なテニスを伝える取り組みの一つです」 

――富裕層のクライアントに何か共通していることを感じることはありますでしょうか。 

「テニスは一つのソーシャルツールであるという認識が高いことです。テニスが上手というのは、ボールが打ててゲームができ、そして友達ができることがとても大事です。彼らの多くが全米オープンの観戦に訪れ、新しいテニスウェアやラケットをシーズンごとに購入します。この層がテニスビジネスを支えているとても大事なファンの方です」 

「そのような人たちに共通しているところは、正しいテクニックできちんとしたフォームで打っているのかということ。ですので、私は全力で真剣に向き合います。彼らはテニス界を支えている重要なレクリエーショナルプレイヤーたちであり、テニスファンであります」 

「私自身はメンバーのご家族たちに正しいテクニック、テニス、ルール、テニスコートでのエチケットをプロとして思いやりのある言葉で教えてあげることは大事だと考えていますし、私に求められていることだと思っています。その人達が将来的に長くテニスを続けてファンとして支えてほしいと願いながらやっています」 


すべてのレベルのプレーヤーが一緒にプレーしてもハッピーに

――そこまで考えてテニスを教えているプロもアメリカでは少なくなってきたように思います。 

「今の70代ぐらいの方々はみんなそうでした。それは昔がそうだったから、私たちもその人達に支えられてやってきました」 

――日本のテニスが今後発展していくにあたってアドバイスをお願いします。 

「日本から海外に出ていくということは現実にやっていることだと思います。私個人が考えるのは海外で長く生活をし、日本に縁のある選手やコーチを探し、スポットを当てて強化していくというのもアイディアの一つだと考えています。大坂なおみ選手の例にあるように世界中にまだまだその原石が眠っていて、そういうバックグラウンドを理解して、選手や家族に寄り添った指導ができるコーチや強化スタッフがいることも条件となります」 

「こういう視点で世界のテニスを想像することができるようになれば、日本のテニス界のダイバーシティ革命が次世代のチャンピオンを生み出すことになるのではないか、とずっと思っています。過去には宮城黎子さん(フェデレーションカップ元監督、テニスクラシック編集長を務め2008年に逝去)はそういう活動もされており、宮城ナナ(2006年引退)ちゃんを探してきたりしていました。世界に飛んでいろんなことを見て、いろんな人と関わることは日本発とは違う軸でプロジェクトを進めていくことも必要になってくるように思います」 

「ロシアやウクライナのような戦争をしている国のプロもニューヨーク近郊にはたくさんいて、とても大変な精神状態で活動しているのではないかといつも思っています。生きるために、生活がかかっている。テニスはもちろんみんな上手くて選手をいっぱい育てています。倫理観や価値観が全然違うコーチが育てている選手とそうでない選手が試合をするということは勝つことが容易なことではないのではないでしょうか」 

「技術力があり、教え方が上手いロシア人コーチなどを見ていると子供達も自然と引き込まれていきます。おそらく彼らが生きるエネルギーに満ちているからではないでしょうか。スポーツの分野を超えた大谷翔平さんはすごいですね。でも日本でテニスが話題にならないのは寂しい限りです。そういう意味でも海外を軸に生活をしている方面からのアプローチから強化を進めていくことで次世代のチャンピオンが出てきて欲しいですね。取り組みとしては、宮城黎子さんのような方でテニス界の一流の人とのコネクションは欠かせないところがあり、そういう人材に活動していただきたく息の長いスパンでこの業界に関わることのできる視点は欠かせないところだと思います」 

――貴重なお話をありがとうございました。