サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回のテーマは、独裁者が健在だった頃…。

■通訳兼運転手は「レスリングの世界王者」

 さて、ステアウア・ブカレストの取材である。クラブは、「通訳兼運転手」として、イオン・バチューさんをつけてくれた。小柄だががっしりとした体つき。アメリカ人のような笑顔を見せる好漢だった。

 話してみて驚いた。彼は元グレコローマン・スタイルのレスリングの「世界チャンピオン」だったのだ。バンタム級(当時は57キロ以下)で、1967年に地元ブカレストで行われた世界選手権で優勝、1968年メキシコ・オリンピックでは銀メダル、1972年のミュンヘンオリンピックでは6位に入賞していた。

 いや、驚くには当たらなかったかもしれない。ステアウアは23種目ものスポーツチームをもつ総合スポーツクラブで、1947年の創設以来わずか40年のうちにオリンピックで金メダル17個、銀メダル23個、銅メダル24個という成績を残してきていた。1970年代にテニスの大スターのひとりだったイリ・ナスターゼも、ステアウア所属の選手だったという。

 バチューさんは当時42歳。私より7歳年上だったが、「西側」への留学期間が長かったためか英語が上手で、ユーモアもたっぷりだった。私たちは、すぐに気心を通わせるようになった。

■盗聴は日常茶飯事「突然、電話が切れた」

 だが彼も、「当局」の厳重な監視下に置かれていたのである。ある日彼が運転する車の助手席に座ってステアウアの練習場に向かっているとき、窓の外に大きな「土手」のような構造物を見つけ、私は何げなく「あれは何?」と聞いた。すると彼はあわてて右手の人さし指を口の前に立て、小さく「シー」と言った。そして乗用車の天井の中央についている「室内灯」を指さしたのである。そこに盗聴マイクが仕込まれ、車内の会話はすべて当局に聞かれているというのである。

 盗聴は日常茶飯事だった、「ブカレストの帝国ホテル」に暮らす私とサワベ・カメラマンのツインルームでも、電話はすべて盗聴されていた。ある夜、私が東京のHさんに電話して状況の報告をしていたとき、Hさんが何げなく「当局はうるさいのか」というようなことを聞くと、そこで突然、電話が切れた。盗聴者は、ホテルの交換台にいるようだった。

■スタジアム最上部で託された「一通の手紙」

 取材が終盤に近づいたある日、バチューさんは私をスタジアムの観客席の最上部に誘った。その日、ステアウアは翌日に試合が行われるスタジアムのピッチでトレーニングをしていた。観客席の最上部は、「盗聴」の恐れがない数少ない場所だった。

 並んで腰を下ろすと、彼は体に隠すように1通の手紙を私のポケットに押し込んだ。何かと聞くと、キューバのレスリング連盟への手紙だという。キューバの連盟が彼をコーチとして招聘してくれたら、彼は家族とともに生活の不安と恐怖に満ちたこのブカレストを離れ、同じ共産圏の国でも気候が良く、生活が楽なキューバで暮らすことができるというのである。

 もちろん私は快諾し、日本に帰ってからキューバまでの航空便の切手を貼って投函した。しかし、その後どうなったのか、確かめるすべはなかった。まともに手紙で問い合わせれば、検閲に引っ掛かって彼が罪に問われるかもしれない。彼から何の連絡もないということは、「キューバへの脱出」は成功しなかったのだろうと、暗澹たる気持ちになった。もちろん彼は、トヨタカップのデレゲーション(代表団)には含まれていなかった。

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