近鉄や中日などで投手として活躍した佐野慈紀氏(56)が30日、自身の「ピッカリブログ」を更新し、5月1日に右腕を切断する手術を受けることを報告した。30日に誕生日を迎え、「56歳」のタイトルで張り裂けそうな胸の内をつづった。(「」内は原文ま…

近鉄や中日などで投手として活躍した佐野慈紀氏(56)が30日、自身の「ピッカリブログ」を更新し、5月1日に右腕を切断する手術を受けることを報告した。30日に誕生日を迎え、「56歳」のタイトルで張り裂けそうな胸の内をつづった。(「」内は原文まま)

「2024/05/01 感染症が進み明日右腕を切断する事に。56歳 最初の出来事が右腕を失う事。涙は出なかった。もちろんショックはあるけれど 何とか機能を残そうとしたけど。。。ままならない。受け入れることなんて出来ないけど 生きる為には乗り越えないとな」

昨年4月に足の異変を感じて病院に出向くと「重症下肢虚血」の診断を受け、1年以上に及ぶ入院生活が始まったという。

「右足中指の感染が発覚。重症下肢虚血 緊急の為、右足中指を切断。治療の為、強制入院生活始まる。遅ければ右足を失うとこだった。回復に時間が掛かり長期の治療。何とか回復し、足は残す事ができたのだが。。。」

体調は悪化。12月には感染症が足から指先に転移」し、指先2本を切断せざるを得なくなったという。

「最初は小さな傷口だった。そして。。。指先に壊死が見られる。その結果 指先を2本切断」

さらに今年1月には心臓弁膜症も発症した。

「心臓弁膜症の発覚 血流の悪さに懸念が増える。動脈硬化が激しく回復がままならない。糖尿病による影響は恐ろしい。これ以上感染を広げない為に洗浄の繰り返し。毎回激痛が走る」

そして「今日まで右手の機能を残す為に治療を続けるも」願いはかなわなかった。松山商(愛媛)時代に右翼手兼控え投手で夏の甲子園準優勝、プロでも353試合に登板した大事な右腕を切断する決断を下した。

「思い入れはたくさんある。思い出も語り尽きない。一緒に戦ってくれた右腕。感動を分かち合った右腕 明日、お別れする。ごめんなさい。この言葉しか浮かばない。その後どうなるんだろう。不安がよぎる。出来なくなったことはいくつあるのだろう。この治療が終わってもまだ終わりではない。心臓弁膜症の手術もしないといけない。感染症も5年生存率と言われ 再発のリスクもある。改めて健康第一と考えさせられる。正直、死ぬ事は想像できない。まだ、やらないといけない事もたくさんある。悲劇のヒロインでもない。みんなと笑顔で会う為に。56歳になりました。誕生日おめでとう。苦難の先には幸せがある。それを有難いという。ありがとう。失われた右腕 これも長い人生の一つ。そう思いたい。元来ただの強がり。ならば命ある限り強がって生きる。やる事はまだまだたくさんある。目一杯抗いでやる。56歳を迎えた右腕のないハゲたおっさんですが どうかよろしくお願いします。皆さんもどうか健康第一で! みんなかがや毛! ワシ、野球選手やったんやで!!!」

佐野氏は松山商-近大工学部を経て、90年ドラフト3位で近鉄に入団。中日、オリックスと渡り歩き、主にリリーフで353試合に登板し、41勝31敗27セーブ、防御率3・80の成績を残した。近鉄時代には中継ぎでは球界初の1億円プレーヤーになった。薄い自身の頭髪にちなんで「ピッカリ投法」と名付けるなど明るいキャラクターで、現役引退後も人気を博している。

◆佐野慈紀(さの・しげき)1968年(昭43)4月30日生まれ、愛媛県出身。松山商から近大工学部を経て、90年ドラフト3位で近鉄入団。99年オフに中日へ移籍も00年終了後に自由契約となり、米独立リーグなどで2年間プレー。03年にオリックスにテスト入団し、2試合に登板した。現役時代は175センチ、87キロ。右投げ右打ち。

◆重症下肢虚血 動脈硬化が原因で、足に血液を供給する動脈が狭くなったり詰まったりする病気が重症化したもの。放置すると1年後の下肢切断率が30%、亡くなる可能性が25%ともいわれる重病で、救命や救肢のために迅速な治療が必要とされる。

◆心臓弁膜症 心臓には大動脈弁、肺動脈弁、僧帽弁、三尖(さんせん)弁の4つの弁があり、それらの弁に異常があると血液を送り出す機能が低下する病気。全身に必要な血液が送り出せなくなり、心不全を引き起こす。

◆糖尿病 インスリンが十分に働かず、血液中を流れるブドウ糖(血糖)が増えてしまう病気。血糖の濃度(血糖値)が何年間も高いまま放置されると、血管が傷つき、心臓病や、失明、腎不全、足の切断といったより重い病気につながるとされる。