3月中旬、身体障がい者野球「千葉ドリームスター」の土屋来夢選手が講演を行った。700人を超える高校生を前に、障がいを負ってからの過程や昨年の”世界一”を勝ち取るまでの10年を語った。(写真 / 文:白石怜平、以降敬称略)身体障がい者野球 日…
3月中旬、身体障がい者野球「千葉ドリームスター」の土屋来夢選手が講演を行った。
700人を超える高校生を前に、障がいを負ってからの過程や昨年の”世界一”を勝ち取るまでの10年を語った。
(写真 / 文:白石怜平、以降敬称略)
身体障がい者野球 日本代表として世界一に輝く
土屋選手は千葉県の身体障がい者野球チーム「千葉ドリームスター」に所属しており、昨年9月に開催された「第5回世界身体障害者野球大会」の日本代表として出場した。
代表選手としては最年少の24歳(当時)、東日本のチームでは唯一となる選出でもあった。
遊撃手として最多の2試合にスタメン出場し、守りの要を務めるなど4試合全てに出場。侍ジャパンが3大会ぶりの世界一に輝いたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に続き、”もうひとつのWBC”での世界一に貢献した。
ドリームスターでは今年から主将に就任し、全国大会に毎年出場しているチームにおいて攻守の中心を担っている。
グラウンドの外でも精力的に活動しており、代表選出後はメディア出演や地域の学校訪問にも多く参加している。
流通経済大学付属柏高等学校で講演会を開催
今回はチームが拠点を置く千葉県の「流通経済大学付属柏高等学校」にて講演が行われた。
世界大会の活躍を報道で見た同校の先生がチームにオファーし実現した。
テーマは「失ったことで得られたこと」。野球との出会いから、高校1年時に負った怪我そして昨年日本代表として出場した世界大会までを振り返った。
講演は1限目・2限目の授業として設けられ、700人を超える全校生徒が体育館に集まった。館内は先生も含め、後ろに立ち見が出るほどだった。
講演の最初は”身体障がいとは何か”から始まり、身体障害者野球そして千葉ドリームスターの紹介が行われた。
高校一年の夏、練習後に起こったアクシデント
続いてマイクを握った土屋は「JAPAN」のユニフォームを身に登場。
はじめに野球との出会いについて語った。小学3年生で地元の少年野球チームに入団すると早くも頭角を表し、少年軟式野球国際交流協会の日本選抜に選ばれた。米セントルイスでプレーし、早くも世界の舞台に立った。
中学では硬式クラブチームに入団し全国大会にも出場するなど、メキメキと力を付けていった。そして、少年時代から憧れだったという高校球児となった14年、突然のアクシデントが襲った。
ある夏休みの練習終了後にグラウンド整備をしていると、整備用の機械に右手を挟まれてしまった。
すぐに救急搬送され、緊急手術。切断を防ぐために措置を加えたが、血が通わなくなり利き手の右手の指4本を失った。憧れ実現した日々が一瞬にして打ち砕かれた当時の心境を生徒たちに共有した。
「まさか自分が障害を負うなんて思いませんでした。将来に対する漠然とした不安、仕事はどうなるのか。結婚はできるのか。ましてや野球ができるなんて到底思うことはできなかったです」
利き手だったため、日常生活の動作をゼロから訓練する日々を送った。
ドリームスターへ入団し、再び開いた野球への道
前述の通り野球はできないと思っていた中、一つ大きな転機が訪れた。
今もチームでヘッドコーチを務める父・純一が偶然インターネットでドリームスターのサイトを見つけた。そこで、息子を”無理やり”練習に連れて行った。
当時のドリームスターの選手は、入団を機に野球を始めたメンバーが多く、全国大会に出場するチームではなかった。全国そして世界の舞台を経験した立場から見た純一さんは、帰りの車中で
「野球に復帰するには早かったな。今までやってきた野球とのレベルとは違うよな」
と問いかけたが、自身は全く違う言葉を返した。
「あれを見たらやるしか無いでしょ」
その言葉に心打たれた純一もコーチとして再びユニフォームに袖を通し入団。野球人生の第二章が始まった。
感じた”ギャップ”は唯一無二の”個性”へと進化
まずは左投げや片手での打撃に挑戦するなど、日常生活と同様に新たな動きを取り入れていった。チームも力をつけ、17年以降は全国大会常連チームへと進化していく。
全国から集まるトップレベルの選手を間近で見る機会が増え、まだまだ実力の差があると痛感した。そこで発想を変えていったという。
「最初は過去の自分に近づこうとして、そのギャップにも悩んでいました。でも、続けていくうちに思考が変わっていきました。それは、『同じ障がいを持つ人はいない』ということでした。であれば、自分が出来ることは何か。そこをとことん突き詰めていったんです」
考え抜いた結果、土屋は両投げというプレースタイルを確立。”ギャップ”は”個性”へと姿を変えた。
講演後に行った実演でもこのことに触れ、
「左投げと右投げを使い分ける、グラブトスも上下両方行えることでアウトにできる確率が高まります。さまざまな投げ方を瞬時に判断できることが、唯一無二の武器になったんです」
と説明した。いつしか土屋にとって、日本代表は遠い存在から”目指すべき目標”へと切り替わっていた。
その後も全国大会で高いパフォーマンスを見せた土屋についに吉報が届いた。22年の夏、翌年に行われる世界大会の日本代表に選出された旨の通知が届いた。
「ほっとした部分もあったのですが、両親を始めこれまでお世話になった方々が僕以上に喜んでくれた事が何より嬉しかったです」
また、もう一つ自身で誇りに思えることがあった。
「これまでの日本代表メンバーの中でも後天性、かつ利き手を交換しての選出は過去に前例がなかったんです。身体障害者野球の未来に向けて、後天性であっても・利き手交換しても代表になれるという可能性を示せたことはとても自信になりました」
語った3つの「失ったことで得られたもの」
昨年の世界大会当日、会場となったバンテリンドーム ナゴヤには各日4000人以上の観客が訪れた。
その中には家族はもちろん、ドリームスターのメンバーなどこれまで関わってきた多くの”応援団”が駆け付けた。現在勤めている職場の同僚は特製の横断幕を作成し、スタンドで掲げ声援を送った。
自らも世界一に貢献し、感じたのは安堵だけではなかったという。
「今までは勇気をもらう立場だったのですが、あの時は僕たちが勇気を届ける番という想いでした。応援に来てくださった方々が『勇気をもらった』などと声をかけてくれました。発信する立場になったのだとさらに自覚を持てたと思います」
これまでを振り返ったのち、テーマである「失ったことで得られたもの」について3つ挙げた。
「まずは『”当たり前と思うこと”が”当たり前ではない”こと』に気づきました。怪我をする前はあまり考えたこともなかったのですが、物ごとの考え方が変わって、そう気づいてから一層”ありがとう”の想いが強くなりました。
次に今の自分と向き合い、受け入れること。過去の自分ではないですし、戻ってくるわけでもないです。であれば今自分のあるもので勝負しようと。向き不向きより、前向きに”今”を受け入れる。できないとなったら何も進まないです。
そして3つ目、みなさんは自分のことを考えたりしたことがありますか?僕は正直怪我する前までは考えたことはこれまでなかったです。
でも、あの時から自分と向き合い続けることで、見えなかったことが見えてきましたし、一番は自分の可能性に期待できるようになったのが大きいです。これからもそんな前向きでいる人でいたいし、周囲が手を差し伸べたり協力もしてくれるんですね。そうやって今たくさんの人と出会うことができましたし、経験も全てが財産だと胸を張って言えます」
最後に伝えた2つのこと
そして約1時間の講演の最後、2つ伝えたいこととして会場の全員に話した。
「障がいを持つ人の代表として言えることは、もちろんなってほしくはないですが、いつ自分たちが障がいがある状態になっても不思議ではないということです。近いようで遠い・遠いようで近いと思うんです。
あとは、皆さんが将来いろいろな世界に羽ばたいた時、障がいがある人と出会うことがあるかもしれません。
その時、一つ覚えておいてほしいのは『不便なだけであって不幸ではない』。みなさんと変わったことは全くないですし、困ったときは助けてほしい。そんな人になってほしいと思います。
あと、私個人として大事にしている事は『自分で決断をすること』。これまで、大きな”決断”を何度もしてきました。指を切断をすること・チームに入団すること・プレースタイルを変えること。これらは全て自分で決めてきたというのがあります。
どちらかを選ぶということは捨てる。それだと苦しいと思うんです。そうではなくて、選んだ方が正しいと思えるように行動して結果を出すという考えが大事だと思います。
これからいろいろな選択を迫られる場面に出会うと思います。その時はたくさん悩んで、相談してもいいです。時には誰か参考にするのもいいと思います。
ただ、最後は自分で責任を持って決めてほしい。それが自信につながっていきます。一歩踏み出した先に待っている人や事にワクワクしながら、自分自身の可能性を信じて応援してあげる。そんな人になってほしいと願っています」
最後は実演会が行われた。片手グラブを持ち替えて投げる動作や土屋が実践している両投げを野球部員と共に体験した。
後日生徒たちからは、
「自らの障がいと向き合い、発想を変えてこんなことが出来る・こんな利点があるとポジティブに捉えていける姿に感動しました」
「自分のできないところはむしろ、自分ならではの戦術であると捉えて野球をする姿を見て、簡単に物事を諦めてはいけないと自身を見つめ直すきっかけにもなりました」
などと数々寄せられた。当日も質問が挙がり続けるなど、生徒にとって普段得ることのできない体験となった。