東京・府中市民球場のバックネット裏には、複数球団のスカウト幹部クラスが集まっていた。この日は桐朋の春季大会初戦で、注目選手である森井翔太郎が出場する予定だった。バックネット裏の賑わいは、プロ側が森井を本気でドラフト候補として見極める対象に…

 東京・府中市民球場のバックネット裏には、複数球団のスカウト幹部クラスが集まっていた。この日は桐朋の春季大会初戦で、注目選手である森井翔太郎が出場する予定だった。バックネット裏の賑わいは、プロ側が森井を本気でドラフト候補として見極める対象にしていることを意味していた。


投打で注目を集める桐朋のドラフト候補・森井翔太郎

 photo by Kikuchi Takahiro

 桐朋の田中隆文監督は、この状況に戸惑いの色を隠せなかった。

「ウチにスカウトの方が来られること自体初めてですし、たぶん二度とないはずです」

 桐朋といえば、有名なのはスポーツではなく学業面である。2023年度は東大に9名、京大に4名の合格者を出している。都内有数の超進学校なのだ。

 そんな高校からドラフト候補が出現したのは、前代未聞だった。しかも森井はメディアに対して「高卒でのプロ志望」を明言している。

【最速151キロをマーク】

 森井は身長183センチ、体重86キロの恵まれた肉体を誇り、投打に優れた資質を持っている。100メートル走11秒6(手動ストップウォッチ計測)、遠投110メートルと身体能力も高い。

 4月2日の春季大会初戦・順天戦は3番・遊撃手で先発出場。2打席目にセンター上空に高々と舞い上がる大飛球を放つと、順天の中堅手があまりにフライが高く上がったためかボールを見失ってしまう。中堅定位置付近の芝生にポトリとボールが落ちる間に、森井はダイヤモンドを1周していた。

 結果的にこの1点がものを言い、試合は3対2で桐朋が勝利した。

 試合後、高校通算本塁打数を確かめると、森井は首を傾げながらこう答えた。

「さっきのランニングホームランを入れれば、31本です」

 高校野球で初めてのランニングホームランだったため、通算本塁打にカウントしていいのかわからず戸惑ったようだ。今春に新基準バットに移行してからも4本のサク越え弾を放っている。飛距離に関しては、本人も「戦っていける」と自信を持っている。

 2年秋から本格的に取り組み始めた遊撃守備は、スローイングの強さが際立つ。軽い力感の腕の振りでも、一塁に向かってぐんぐん伸びていく。野手としては野口智哉(オリックス)に近いタイプだろう。

 ただし、投手としても田中監督が「伸びしろがある」と高く評価するように潜在能力を秘めている。高校から本格的に始めたばかりで、練習では最速151キロを計測するまでに成長。本人はカーブなどの変化球やコントロールにも自信を持っている。

 そして、最大の魅力は投打とも鍛え込む余地を残している点だろう。桐朋は学業優先のため、週休2日制。練習時間も短いうえに、「投手としての練習が6〜7割を占めています」と森井が語るように、野手としての技術練習は空いた時間にこなすしかない。

 また、現時点では身体操作性を重視してきたため、「今までウエイトトレーニングは1回もやったことがありません」と森井は語る。腕立て伏せ、腹筋などの基礎的な自重トレーニングだけで、たくましい肉体をつくりあげてきた。また、ヨガインストラクターの母・純子さんの指導のもと、ヨガで滑らかな動きや柔軟性を養っている。

【プロ志望のきっかけはコロナ禍】

 これほどの才能を秘めながら、森井はなぜ進学校の桐朋で野球をしているのか。森井は小学校から桐朋で過ごしてきたが、桐朋中3年時には田中監督から「本当にウチでいいのか?」と念を押されている。だが、森井は「(強豪校からの)誘いもなかったので」とそのまま高校に進学した。

 どうしてプロ野球選手になりたいのか。そう尋ねると、森井は少し困ったような表情を見せた。口ぶりから察するに、自分の言葉で説明しきれるのか不安があったようだ。

「中学2年の時にコロナ禍で学校がなくなって、何をしたらいいかわからない時期に、家で『野球を頑張ってみたい』となんとなく思ったんです。そこで本格的にトレーニングを始めて、スイッチが入った感じです。中学3年の頃には『プロになりたい』という思いがより濃くなりました」

 2020年に新型コロナウイルスが蔓延した時期は、先行きの見えない不安と閉塞感のなか、自分の人生を見つめ直す時間がたっぷりとあった。中学2年生だった森井は、さまざまな選択肢のなかで自分自身を輝かせるものとして野球を選んだ。

 高校に進学すると、森井は周囲にプロ志望を明言して野球に打ち込むようになる。ただし、当然ながら桐朋でプロ野球選手志望は森井しかいない。温度差は大きかった。「口ではプロと言っているけど、どうせ大学に行くんだろ?」という軽口も聞こえてきた。森井は「最初は考えていることを理解されず、苦しい時期もありました」と振り返る。

 それでも、森井は自分の道を貫いた。両親は「やりたいことをやれ」と応援してくれた。チームメイトや教員たちも森井を変人扱いすることなく、サポートしてくれるようになった。

 桐朋は自由な校風もあって、強烈な個性の持ち主も多い。そんな環境も森井にとっては刺激的だった。こうして高校生活を送るうち、森井の心境にある変化が生まれた。

「最近、チームとして勝っていきたい気持ちが出てきました。友だちはみんないい人ばかりだし、先生も『キミみたいな生徒は初めて』と言いながらサポートしてくれて。温かい学校だなと感じます。チームのみんなも勝ちたい思いが出ているので、勝つには自分がスキルを上げて、引っ張っていかないと。冷たい言い方かもしれませんが『利害が一致した』という感じです」

【アメリカの大学進学も選択肢】

 その一方で、学業面も疎かにしているわけではない。1学年あたり約300人の生徒がいるなか、森井は150位前後の順位に入っているという。勉強を頑張れるモチベーションがどこにあるのか尋ねると、森井はこう答えた。

「自分は心配性なところがあって、留年したくない気持ちがありまして......」

 心配性な人間は、進学校からプロ野球を目指さないのではないか......。思わずそんな感想を伝えると、森井は「そうですよね」と苦笑した。

 あらためて進路について聞くと、森井はこんな考えを口にした。

「今は進路より自分のプレーに集中しています。いくら高卒でプロに行きたくても、自分がそのレベルに達しなければ(プロ志望と)言えないので。その意味でもこの春からが勝負だと思っています」

 森井はMLB志向が強く、NPBからのドラフト指名がない場合はアメリカの大学への進学も選択肢にあることが報じられてきた。ただし、指導する田中監督は慎重な見方を示している。

「森井とは話し合っていますが、もしプロに行けたとしても、そんなに甘い世界ではないと思っています。入って2〜3年で終わってしまう可能性もありますよね。だから、日本の大学で4年間経験してもいいのでは......という思いも持っています」

 春から夏にかけて戦うなかで、森井本人にとってベターな進路を見極めていく姿勢が感じ取れた。

 アスリートが高みを目指し、努力を重ねるのは自然なことだ。ただし、環境も文化も違う世界に飛び込んで成功できるかは、ギャンブルでもある。超進学校に現れた森井翔太郎という才能を最も生かせる道はどこにあるのか。まだまだ模索は続きそうだ。