ジュビロ磐田川島永嗣インタビュー中編川口能活コーチの存在が刺激「これを求めてジュビロに来た」 2010年南アフリカワール…

ジュビロ磐田
川島永嗣インタビュー中編

川口能活コーチの存在が刺激「これを求めてジュビロに来た」

 2010年南アフリカワールドカップを経て、海を渡った川島永嗣は3カ国で14年間を過ごし、5チームでプレーした。

 それぞれのリーグで、GKに求められるスタイルや役割に違いはあったのか。

 ベルギー、スコットランド、そしてフランス......それぞれの国やチームで求められたこと、培ったこと、また、求められるGK像を追求していくなかで確立した哲学について語る。

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川島永嗣はベルギー、スコットランド、フランスでプレー

 photo by Sano Miki

── ヨーロッパでは3カ国でプレーしました。それぞれGKに求められるプレーは異なっていたのでしょうか?

「違いますね。求められるGK像も違うかもしれません」

── それぞれ、どこに違いを感じていたのですか?

「ベルギーでは、とにかくシュートを止めればよかったというか。とにかく、そこを強く求められていました。シュートを止めてさえいれば評価されていたので、細かい技術については、それほど問われることはなかったですね」

── たとえば、ポジショニングとか、ステップについてはそれほど言及されない?

「そうです。あとはシュートの止め方とかも、それほど細かく言われることはありませんでした。でも、スタンダール・リエージュで優勝争いをしていた時には、ちょっとしたミスでも厳しく指摘されました。

 ヨーロッパで最初に所属したリールセは、優勝争いに加われるチームではなかったこともあり、シュートセーブ以外でのミスを指摘される機会も少なく、むしろ相手のシュートを止めることで、ちょっとしたミスへの評価もカバーされていた感覚がありました」

── スコットランドではダンディー・ユナイテッドに在籍していました。ここでも、やはり求められるプレーは違ったのでしょうか。

「もしかしたらプレミアリーグも同じ意識、伝統があるのかもしれませんが、スコットランドでは『キャッチング』に強い美学があるように感じました。強いシュートをどれだけ難なくキャッチングできるか、みたいな。

 だから、簡単に弾くことをよしとされない文化がありました。ベルギーの時と同様、GKは相手のシュートを止めることで評価されていく。それもキャッチングできればなおさら」

【パンチで弾くのならば、相手に負けるな】

── GKコーチからもキャッチングに対するアプローチが多かったのでしょうか。

「コーチももちろんですが、国というか、ファン・サポーターもそうした目線を持っているように感じました。でも、思い出して見ると、たしかにキャッチングの練習は多かったかもしれない。

 あと、僕がプレーしていた時は、レンジャーズは下部リーグを戦っていましたけど、スコットランドはセルティックとレンジャーズの二強という構図なので、彼らはボールをつないで攻撃を組み立てるサッカーを指向していますが、ほかのチームはロングボールを主体にしたサッカーをするチームがほとんどでした。だから、ハイボールへの対応も含め、フィジカル的な強さも求められましたね」

── ハイボールも弾くよりも、キャッチが求められるのですか。

「できればキャッチしてほしい、という感じでしたね。パンチで弾くのならば、相手に負けないくらいの強さで行け、と言われていました」

── ベルギーとスコットランドだけでも、日本とはまた、求められるGK像も違いますね。

「そうなんです。だから、ベルギーで5年間プレーした時点で、これだけでヨーロッパを経験したとは言えないと思って。ほかのリーグも知らなければいけないと感じて、ベルギーから違う国に渡ったんです。

 そういう意味で、スコットランドでプレーしたのは1年間でしたけど、自分のなかでは大きな変化があった。求められるプレーが違う環境に触れた機会は大きな経験になりました」

── ちなみに、キャッチングに重きを置くリーグでプレーしたことで、その技術は伸びたのでしょうか。

「伸びましたね。当時、キャッチングの技術が成長した実感はありました。経験と成長って、そういうことだと思うんですよね。

 最初からスコットランドがキャッチングを重視しているとわかっている人は決して多くないと思いますし、いろいろな環境に身を置き、その環境に順応していくことで、人は成長していく。そういう意味で、環境を変えたことは、今もよかったと思っています」

【自身に考えがなければ正解も否定もできない】

── フランスはフランスで、求められるプレーが異なっていたのでしょうか。

「フランスはベルギーに似た傾向もありましたが、シュートの止め方をはじめ、状況判断については、より細かさがありました。この場面で、こういうプレーをしていたらトップレベルでは通用しないと指摘されることもありましたし、GKを見る目の厳しさをより感じました。

 実際、求められるプレーが継続できなかったら、すぐに定位置を失うし、代えられる。GKはフィールドプレーヤーよりも、一番手、二番手と序列が決まっている傾向がありますけど、フランスではパフォーマンスが悪ければ、たとえ一番手であっても、どこかのタイミングで代えられてしまう。

 だから、シーズンを通してパフォーマンスを維持するためのプロセスや、GKとしての判断、技術、スタイルについては、練習から厳しい目を感じていました。実際に自分も、急にチャンスが巡ってきたことがありましたから」

── GKの技術についても、日本で培ったものとの違いを感じる部分はあったのでしょうか。

「興味深かったのは、たとえばですが、1対1の状況でのシュートセーブについて、今は足も使って止めるのは一般的で、足を開いて守ることもセオリーになってきていますよね。でも、GKコーチも世代によっては、そうした守り方についての指導経験がないため、ヨーロッパでも意見がわかれたりします。

 今、挙げたのはあくまで一例ですけど、コーチによっても、選手によっても、それぞれにみんな違う意見や違う考え方を持っていました。だから、なおさら自分なりの考えを、コーチや周りに共有しなければならないし、伝えられなければならないんです。

 要するに、自分自身に考えがなければ、『こうしたい』という正解も『これは違う』という否定もできなくなってしまう」

── 自分がどうしたいのかを主張するためにも、自分のなかで理論や方法を確立しておかなければならないと?

「そうです。おもしろかったのは、フランス時代にGKコーチから『ウォーミングアップに何をやりたい?』って聞かれたんですよ」

【足を広げてもいいけど、その代わりにミスをするな】

── コーチからメニューを提示されるのではなく、選手からメニューを提案しなければならなかった?

「僕自身もそれまでは、ウォーミングアップはGKコーチが決めるものだと思っていました。でも、それを聞かれた時に自分がどういうウォーミングアップをしたら、試合に100パーセントの状態で臨めるかを考えますよね。

 自分のなかでそれを確立できていなければ、結局は受け身になり、100パーセントの状態になるかわからないウォーミングアップをやらなければいけないことになる。その時に思ったのは、プレーにしても、プロセスにしても、自分のなかでしっかりと考えを理解して伝えられるようにならなければいけないと。

 そのGKコーチは、自分だけでなく、年齢の若い選手にも同様のことを聞いていたんです。その若手選手は『自分はこういうことをやりたい』と伝えていました」

── ちなみにそれは、どのクラブでプレーしていた時ですか。

「メスですね」

── 最終的に川島選手はどう対応したのですか。

「自分で考え、自分がやりたいことを伝えました。そうしたら、それをやろうということになりました。シーズンが変わった時には、GKコーチからウォーミングアップの内容について提案され、『どう思うか?』と意見を聞かれたのですが、自分のなかですでに考えが確立できていたので、自分が試合に出る時には『そのメニューをやろう』と尊重してくれました」

── ヨーロッパで14年間、プレーしてほかにも感じたこと、培ったことはありますか?

「今の話の流れでパッと思い浮かんだのは、自分の体を知り、自分に何ができて、何ができないかを理解することの大切さです。体のサイズによっても、選手によってできること、できないことは違いますし、目指すプレースタイルも違ってきます。ヨーロッパでは、ひとりひとりに合ったスタイルをどれだけ出せるか、それを考えてくれていたように思います」

── 個性や特徴を尊重してくれていた?

「そうです。たとえば、ゴロのシュートって日本ではひざを折り曲げてキャッチするのが一般的だと思います。でも、長身の選手のなかには体が大きいがゆえに、ひざを折り曲げるのが得意ではない選手もいます。

 そうすると、足を広げたままキャッチすることを選択するGKもいるわけです。ヨーロッパでは、足を広げてキャッチしたからといって、それでミスをしなければいいと考えてくれる。そういうところは海外ならでは、というか。こうしろと押しつけるのではなく、人によって判断を尊重してくれている気がしています。

 ただし、足を折り曲げられないのであれば、足を広げてもいいけど、その代わりにミスをするなよ、と。尊重してくれるからこそ、責任は自分で取らなければいけない。そこはヨーロッパでプレーして感じたこと、学んだことのひとつでした」

(後編につづく)

後輩には「動けていなかった時には、遠慮なく言ってね」

【profile】
川島永嗣(かわしま・えいじ)
1983年3月20日生まれ、埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身。2001年に浦和東高から大宮アルディージャに加入。プロ3年目に正GKの座を掴み、2004年〜2006年は名古屋グランパス、2007年〜2010年は川崎フロンターレで経験を積む。2010年7月、ベルギーにリールセに完全移籍。その後、スタンダール・リエージュ→ダンディー・ユナイテッド→メス→ストラスブールでプレーし、2024年よりジュビロ磐田に加入した。日本代表では95試合に出場し、4度のワールドカップを経験。ポジション=GK。身長185cm、体重82kg。