平野早矢香インタビュー 後編(中編:早田ひなはパリで金メダルを獲るために「自分の卓球を変えた」 中国のエース攻略法も考察>>) 卓球女子日本がパリ五輪で金メダルを獲る可能性は、シングルスよりも団体戦のほうが高いと言えるだろう。2012年ロン…
平野早矢香インタビュー 後編
(中編:早田ひなはパリで金メダルを獲るために「自分の卓球を変えた」 中国のエース攻略法も考察>>)
卓球女子日本がパリ五輪で金メダルを獲る可能性は、シングルスよりも団体戦のほうが高いと言えるだろう。2012年ロンドン五輪で銀、2016年リオ五輪で銅、そして東京大会では銀メダルを獲得した実績がある。
残るは金色のメダルのみ。それを手にするには、1番のダブルスでの先制が重要だ。日本代表メンバーの早田ひな、平野美宇、張本美和をどう組ませるのがベストなのか。ロンドン五輪で日本卓球史上初のメダルを獲得したメンバーのひとり、平野早矢香さんが考える秘策を聞いた。
2月の世界選手権で中国をあと一歩まで追い詰めた(左から)張本美和、早田ひな、平野美宇
photo by YUTAKA/アフロスポーツ
【エース早田ひなのダブルス起用もアリ】
――パリ五輪までにどんな強化が必要でしょうか。
「五輪の団体戦ではダブルスが入るので、やはりダブルスが重要になります。ダブルスが難しいのは、パートナーの打ったボールが自分に返ってくること。たとえば平野美宇選手と張本美和選手がペアを組んだとすると、ふたりともラケットの両面に裏ソフトラバーを貼っている戦型ですが、ボールの回転や打球スピードは少しずつ異なりますから、お互いのボールの回転やコース、速さに慣れて合わせる繰り返し練習が必要になります」
――やはりエースの早田ひな選手はシングルス2点起用で、ダブルスは平野選手と張本選手のペアがいいでしょうか?
「対中国を考えると、私は早田選手をダブルスに起用するのもアリなんじゃないかと思っています」
――エースの早田選手をダブルスに!
「ダブルスは基本的に、右利きと左利きの選手が組んだほうが有利という大前提があって、早田選手は左利き、平野選手と張本選手は右利きです。中国は代表メンバーがまだ決まっていませんが、候補と見られる孫穎莎選手、陳夢選手、王曼昱選手、王芸迪選手はみんな右利き。誰がペアを組んでも右利き同士ですから、『ダブルスで何が何でも1勝』と考えると、 "ダブルス巧者"の早田選手をエース使いではなく、ダブルスとシングルスで1回ずつ勝負するのも面白いと思います。
ただし、早田選手は個人戦の混合ダブルスとシングルスも出るので、さらに女子ダブルスの対策も......となると準備に負荷がかかるという難しさもありますね」
――仮に早田選手がダブルスで出るとしたら、平野選手か張本選手のどちらかがシングルス2点起用になりますね。
「世界選手権でのプレーを見ると、パリ五輪までの期間も順調に強化できれば、平野選手がシングルス2点でいいのではないかと思います。確率でいうと、団体の中のシングルス4試合のうち3試合勝つのは難しい。相手が中国ならなおさらです。
正直、誰が2点シングルスで出るかよりも、とにかくダブルスを絶対に取るという視点で考え、強化やオーダーを考えていくほうが勝算はあるんじゃないかと思います。今後の平野選手と張本選手のペアリングの完成度も見つつですが、特に対中国戦では、まずダブルスで勝負をかけてほしいですね」
――ただ、中国以外にもインドのような"伏兵" もいます。世界選手権団体釜山大会の予選グループリーグでは、中国が大苦戦していました。
「そうでしたね。インドの選手の多くは『アンチ』や『粒高』と呼ばれる特殊なラバーを使っていて、こちらの打ったボールが通常とは逆の回転になって返ってきたり、回転をかければかけるほど回転が残って複雑になるといった要素があります。日本でもそのラバーを使っている選手が少なく、球質に慣れていないので戦いにくいはず。だから試合をする際は、いつもとはまったく違う戦術で戦ったり、試合の中で相手の球質に対応しなくてはいけません」
――3月の海外ツアーWTTシンガポールスマッシュでは平野選手と張本選手のペアが、女子ダブルス1回戦でインドのペアにフルゲームで敗れました。インドペアは、アイヒカ・ムカルジー選手が「フォア面が表ソフトラバーでバック面がアンチラバー」、スティルタ・ムカルジー選手は「フォア面が表ソフトラバーでバック面が裏ソフトラバー」という異質のラバー同士でした。
「本当にやりにくそうにしていましたね。でも、異質のラバーを嫌がっていると相手の型にはまってしまうこともあるので逃げてはいけません。
今年の世界選手権でも、平野選手が予選グループリーグ第2戦で、バック面に粒高系のラバーを貼ったイランのマフシッド・アシュタリ選手にフルゲームの大激戦で辛勝しました。アシュタリ選手は、フォア面には多くの選手が使っている裏ソフトラバーを貼っていたのですが、試合の後半で平野選手は慣れない粒高を避け、フォア側にボールを送る戦術をとり、平野選手の忍耐力と実力の高さで勝利しました。
しかし、異質のラバーを使う選手は、相手が異質ラバーを嫌がり逃げることを想定してカウンターをしてくる選手が多いので、私は『異質を潰す』という気持ちと対策が必要だと思います」
――インドのような独特なタイプの選手を攻略するには何が大事になってきますか?
「基本的に異質ラバーの特徴は、長くて深いボールが打ちにくく、そんなに強く打てません。回転量の多いボールと少ないボールを混ぜながら、重要なことは回転量の少ないボールをうまく使うこと。だから、長くて回転量の少ないサーブなども効果的だと思います。
ポイントは、打点を下げないこと。打点を下げれば下げるほど回転をかけて持ち上げるしかなくなり、相手のボールにさらに回転が上乗せされてミスをさせられたり、ボールが浮いてしまったりします。回転量の多い中国の選手が苦戦するのはそのためです。
そういう悪循環に陥らないために、ボールの深さと打つ時の打点の高さも意識しながら、異質ラバーでちょっと打たせるくらいの余裕を持たないといけない。『打たれるのが嫌だ』ではなく『打たれても大丈夫。返せる』という前向きな気持ちと、対応できる技術が大事です」
【パリ五輪代表を逃した伊藤美誠の「実績と偉大さは何ら変わらない」】
――東京五輪で混合ダブルス金、女子団体銀、女子シングルス銅と3つのメダルを獲得した伊藤選手が、パリ五輪の代表メンバーから漏れました。伊藤選手についてはどう見ていましたか?
「2021年の8月に東京五輪が終わって次のパリ五輪まで約3年しかなく、2022年3月には代表選考レースがスタートしたので、気持ちの切り替えがすごく難しかったと思います。伊藤選手は『東京五輪で絶対に金メダルを取る。それしか見えない』と感じるほど練習にのめり込み、周りが心配になるくらい東京五輪に懸けていましたから。
そうしてパリ五輪の代表選考レースで出遅れて、体調不良もあって本当に苦しかったと思います。でも、世界選手権の時にやっと肩の荷が下りたというか、すごく伸び伸びとした伊藤選手らしいプレーが見られましたね」
――世界選手権では、監督顔負けのベンチワークで選手をサポートする姿も話題になりましたね。
「パリ五輪の代表は逃しましたけど、世界ランキングは今も日本の女子選手の2番手ですし、世界の第一線で活躍している選手ならではの目線でアドバイスできたんだと思います。ちょっと引いたところから試合を見たからこそ気づいた部分があって、それがほかの選手たちの役に立ったでしょう。当然、悔しいという感情もある中で、卓球の面白い部分があらためて見えてきて、いろいろな発見があったんじゃないかと思います」
――今年1月の全日本選手権で代表争いに敗れた際には大粒の涙をこぼし、引退を示唆するような発言もあって心配されました。
「そこから気持ちを立て直し、世界選手権で戦えたのはすごいことだと思います。伊藤選手の実績と偉大さは何ら変わりません。これからも自信を持って、伸び伸びと卓球を続けてほしいです。新たな挑戦をするのであれば、普通の選手にはできない斬新な発想のプレーを試してみるなど、持ち味である思い切りのよさを存分に生かす挑戦をしてみてもいいかもしれません」
――そんな伊藤選手の分も、パリ五輪メンバーには頑張ってほしいですね。本番まで、追い込みの期間となります。
「本番まで4カ月を切りましたが、時間があるようで、あっという間に過ぎてしまうと思います。その中で、海外ツアーに出て世界ランキングを上げ、オリンピックで少しでも有利なシードに入ることが重要になってきます。それと並行して、オリンピックの対策練習として、『この選手に勝たなければメダルはない』という選手に絞った戦術と技術の強化にも重点が置かれます。
このふたつを両立させるのは難しいと思いますが、どちらもすごく重要なこと。オリンピック本番のその日まで、勝った試合も負けた試合もすべてプラスに捉えて、悔いのない準備をしてほしいです」
――平野さんも北京五輪とロンドン五輪を経験していますが、大会までの期間はどんな心境になるものなのでしょうか?
「私は必死でした。不安を感じる間もなく、とにかく必死に準備しましたね。ロンドン五輪の時は6月に故障して2週間ぐらい練習できない期間があったので、そこはちょっと苦しかったです。それでもできることをやって、団体戦での銀メダルという結果につながりました。パリ五輪に出場する日本女子の3選手は世界選手権で中国に本当にあと一歩のところまで近づきましたから、今度こそ金メダルに届くんじゃないかと期待しています」
■平野早矢香(ひらの・さやか)
1985年3月24日生まれ。栃木県出身。全日本選手権のシングルスを2007年度から3連覇するなど、通算5度の優勝を達成。2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪に出場し、ロンドン五輪の団体戦で日本卓球史上初の銀メダル獲得に貢献した。2016年4月に現役を引退後は、後輩の指導をはじめ、講習会や解説など卓球の普及活動にも取り組んでいる。